アクションスターから演技派へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:18 UTC 版)
「真田広之」の記事における「アクションスターから演技派へ」の解説
1980年公開の映画『忍者武芸帖 百地三太夫』で映画初主演を果たし、桃山城天守からの飛び降りシーンや、翌1981年公開の映画『吼えろ鉄拳』において福井県東尋坊の岩場やヘリコプターから海へ飛び降りるシーンを吹き替えなしで、格闘でも稽古してきた空手を披露した。また、アイドルとしても売り出されていたため、歌手として歌番組にも出演していた。その一方で『魔界転生』での沢田研二とのキスシーン、『道頓堀川』で松坂慶子とのベッドシーン、『里見八犬伝』での薬師丸ひろ子とのラブシーンなどのきわどいシーンを演じたことも話題になり、1984年公開の『麻雀放浪記』にも主演した。 この頃、尊敬するアル・パチーノが出演する舞台の「出待ち」のために海外まで足を運び、1982年の香港映画『龍の忍者』での主演で初めて海外に進出。Sonny Chiba(サニー千葉)に続く日本のアクションスター・デューク真田として海外でも活躍している。 1987年の『必殺4 恨みはらします』では悪役を、翌1988年の『快盗ルビイ』では三枚目を演じて演技の幅を広げたが、アクション俳優としての枠を超えた幅広い演技を求めたことや、母が脳出血で急死したことを機に1989年にJACから独立し、自らの星座でもあるてんびん座の名を冠した「ザ・リブラインターナショナル」を設立。 1990年にはJAC20周年作品である『リメインズ 美しき勇者たち』に主演と音楽監督を兼務した。同年、手塚理美と結婚。二人の男の子を儲けた。 1993年、テレビドラマ『高校教師』に出演し、幅広い世代からの認知を得る。同年のファッション雑誌『アンアン』が毎年誌上で開催する「好きな男ランキング」では1位に選出された。 1995年公開の映画『写楽』で共演した女優の葉月里緒菜との密会現場が写真週刊誌に掲載され、同年7月から妻の手塚と別居。1年半後の1997年3月に協議離婚。慰謝料は1億円に上ったとされる。 後述の海外進出の影響もあってか、日本の地上波のテレビドラマの出演は主演作品である2001年放送の『非婚家族』を最後に20年以上、日本映画への出演も2005年公開の『亡国のイージス』を最後に15年以上途切れている。
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