山寺夜行念仏の習俗とは? わかりやすく解説

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山寺夜行念仏の習俗

名称: 山寺夜行念仏の習俗
ふりがな やまでらやぎょうねんぶつのしゅうぞく
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 高擶夜行念仏講山寺夜行念仏保存会
選択年月日 1999.12.03(平成11.12.03)
都道府県(列記): 山形県
市区町村(列記): 山形市山寺
代表都道府県 山形県
備考
解説文: 山寺夜行念仏は、八月六日の夜から七日の朝にかけて、山形市立石寺【りつしやくじ】で高擶たかだま夜行念仏講山寺夜行念仏保存会の人たちによって行われる六日の夜、立石寺根本中堂こんぽんゆうどう】に念仏をあげた後、奥の院向かって出発し念仏堂姥堂仁王門山上の四塔頭【たつちゆう】、そして奥の院、多聖場【たしよう】場(塔婆供養所)の順に巡って念仏唱えた後、奥の院泊まる。翌七日は朝五時からの奥の院お勤め参列した後、多聖場、開山堂磐司祠【ばんじほこら】、五大堂巡って念仏をあげて山を下り立石寺本坊滝不動の順に念仏をあげて終わる。
 この夜念仏は、かつては村山盆地一帯盛んに行われており、現存する念仏供養塔造立銘などから、明治期までは庄内地方秋田県境の遊佐【ゆざ】町周辺でも盆の行事として行われていたことが知られている。
 現在、夜行念仏地元山寺地区山寺夜行念仏保存会と、天童市高擶夜行念仏講が行っているだけである。高擶夜行念仏講は、川東取締呼ばれ、この講が奥の院向かって登り出さないうちは他の講中登り始めないのだったという。現在、奥の院夜を明かすのは山寺夜行念仏保存会だけで、高擶夜行念仏講奥の院念仏をすませるとすぐ山を下りて帰ってしまう。また、現在は、念仏講の人たちだけの行事になっているが、昭和五十年頃まではオツヤモウシといって講中以外の人たちがオツヤキャクとして奥の院上がってきたという。当時夜行念仏の日はオツヤキャクのために、性相院【しようそういん】、中性院【ちゆうしよういん】、金乗院【こんじよういん】、華蔵院【けぞういん】の四つ塔頭開放され部屋廊下大勢のオツヤキャクであふれ、押入まで人が入って夜を明かしたという。オツヤキャクはここで夜行念仏講の人たちが登ってくるのを待ち到着する賽銭をあげ、講の人たちが金剛杖や笠につけているシデもらった。このシデで体を拭いて川に流すと無病息災になるとか、頭をなでると頭病み除けになる、子どもをなでてやると虫封じになるといわれていた。
 七日の朝に夜行念仏が終わると、日を改めてカサハズシと称される直会なおらいが行われ、その年の夜念仏が終わると考えられている。
 現在の山寺夜行念仏保存会昭和四十六年七月山寺地区有志によって結成される以前念仏講師匠呼ばれる先生中心とした師弟関係で結びついた組織であった現在の保存会念仏講の講員は木綿着物に黒袴、足元草履黒足袋を履く。この上白木綿作ったオユズリを着用するが、これは加入して三年を経なければ着用できないという決まりがある。また、山寺夜行念仏保存会では加入して三年未満の者は、頭に被る笠に一四本の幣を下げなければならないとされている。
 山寺夜行念仏の習俗は、古く各地盛んに行われていた夜念仏六斎念仏系譜連なる行事である。盆の時期行われる死者供養行事であると考えられている。


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