ながれ星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 10:05 UTC 版)
「流れ星」 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
||||||||
リリース | 1924年(大正13年)7月[1][2] | |||||||
規格 | 雑誌(『婦女界』)[1][2] | |||||||
録音 | 1930年(昭和5年)頃 東八重子(蝶印レコード/尼崎市特許レコード製作所)[3] |
|||||||
ジャンル | 童謡 | |||||||
作詞者 | 1番:管野都世子(本名:管野とも→佐々木とも)[4] 2・3番:佐々木仁[3] |
|||||||
作曲者 | 中山晋平[1][2][5] | |||||||
カバー | ||||||||
堀ちえみ、タンポポ児童合唱団、大石昌美、[注 1]
|
||||||||
|
「流れ星」(「ながれ星」)(ながれぼし)は、日本の童謡。1924年(大正13年)に雑誌『婦女界』7月号で発表された[1][2]。作曲は中山晋平[1][2][5]。作詞者は発表誌に示されず60年以上不詳であったが、1987年(昭和62年)に管野都世子と判明した[4]。
昭和初期の教科書に載り、一時期は全国的に歌われた。戦後は半ば忘れられていたが、1987年(昭和62年)にNHKドラマ「ばら色の人生」で使われたことにより再注目され、作詞者解明に至った[4]。
なお、作詞の管野都世子は1949年没[4]、作曲の中山晋平が1952年没なので著作権の保護期間が満了し、1番の歌詞および楽曲はパブリックドメインとなっている[注 1]。ただし、管野都世子の息子、佐々木仁が後年補作した2番、3番の歌詞[1][3]については著作権の保護期間中である。
作詞者判明までの経緯
童謡「流れ星」は、1924年(大正13年)に雑誌『婦女界』7月号で、タイトル「ながれ星」、「婦女界当選童謡・中山晋平曲」として発表された[1][2]。その後、1928年(昭和3年)12月発行の『新撰小学唱歌曲集』(京文社)[5]など、昭和初期の小学校の教科書に掲載され、ロマンあふれる唱歌として全国的に歌われた[4]。
作詞者は発表誌で示されなかった[1][2]。昭和5年頃に東八重子の歌唱で録音され、蝶印レコードのレーベルで発売されたレコード[3]や、一部の教科書では野口雨情とされたが、後に間違いであったことが判明した[2]。1980年(昭和55年)に中山晋平の養子である中山卯郎がまとめた『中山晋平作曲目録』では作詞者不詳とされた[5]。
1984年(昭和59年)9月、毎日新聞「若い日の私」欄で神奈川県知事長洲一二が「流れ星」の作者について情報提供を呼びかけたところ、2週間で100件近い反響があったものの作詞者解明には至らなかった[2]。
1987年(昭和62年)4~7月に放映されたNHK総合の水曜ドラマ「ばら色の人生」の中で、鷲尾いさ子演じる主人公さちこが毎回「流れ星」を歌った。これが話題となり、作詞者の家族が名乗り出て、65年ぶりに作詞者が明らかになった。この経緯は同年7月12日『朝日新聞』日曜版、朝刊の社会面で詳しく報じられた[4]。
作詞者は宮城県仙台市出身の管野都世子(本名は管野とも。結婚後は姓が変わり佐々木とも)。少女時代から詩作が趣味で、結婚後も家事の傍ら創作を続け、3人の子を育て上げて1949年(昭和24年)に53歳で病没した。「流れ星」は独身であった24歳頃の作品で、1922年(大正11年)に雑誌『婦女界』4月号で西条八十選の懸賞童謡として1席を獲得したものであった[4]。
なお、多くの文献で「管野」を「菅野」としているのは親族によれば誤記である[1]。
歌詞
作詞者である管野都世子が独身であった24歳頃の作品で、上述のとおり、雑誌『婦女界』で西条八十選の新童謡の1席を獲得した。その際、「はろばろとした空想があって面白い。暗い中に微光のあるところが、露西亜(ろしあ)の童話でも読んでいるような気がする」と評された[4]。
- 1番
- くらいみ空の 流れ星
- どこへ何しに 行(ゆ)くのでしょ
- 林のはての 野のはての
- 誰も知らない湖に
- のどのかわいた お星さま
- お水をのみにまいります
楽曲
作曲は中山晋平[1][2][5]。ト長調、4分の4拍子で、テンポは「早めに」=92[1][3]。日本人が親しみやすいヨナ抜き音階で書かれている。
楽譜

利用
- 昭和初期の小学唱歌に選ばれ、一時期、全国的に歌われた[4]。
- 1987年(昭和62年)にNHKドラマ「ばら色の人生」の中で使われて注目され、保育園で園児に教えたいという声が挙がり[1]、作詞者の息子である佐々木仁が2番、3番の歌詞を補作して、童謡歌手の河村順子によるCDがキングレコードから発売された[1][3]。
- 日本音楽著作権協会(JASRAC)のデータベースには、2025年5月現在、堀ちえみ、タンポポ児童合唱団、大石昌美がアーティスト登録されている[注 1]。
所収
- 書籍
- 『美しい情感を盛るうたとおどり集』渡辺商店出版部、1925/11
- 『新撰小学唱歌曲集』京文社、1928/12
- 『新らしく選びたる小学唱歌300曲集』京文社、1933/11
- 『みどり愛唱歌集 明日へのこす心の歌』第2集 塚田佳男・酒井沃子監修、緑・芸術祭企画運営委員会/横浜市緑区役所、1993/05
- 『日本叙情歌全集3』長田暁二、ドレミ楽譜出版社、1998/12
他
- CD
- キングレコード『河村順子・童謡の歩み』河村順子、1987/11
- EMIミュージック・ジャパン『おかあさんっていいな』堀ちえみ、1992/05
- キングレコード『思い出のアルバム(親子三代うたいましょう) 』タンポポ児童合唱団、1994/08
- 日本コロムビア『大石昌美心のハーモニカ(10) 』大石昌美、1999/06
- 配信
- キングレコード『保育まるごと夏ミュージック~梅雨/歯と口の健康週間/時計の日/七夕/音頭』タンポポ児童合唱団、2023/07
脚注
注釈
出典
参考資料
- “池田小百合 なっとく童謡・唱歌 中山晋平の童謡3” (2013年11月27日). 2025年5月15日閲覧。
- 毎日新聞社 編『若い日の私 2』毎日新聞社、1987年11月30日。ISBN 978-4620305943。
- 長田暁二 編『日本叙情歌全集3』ドレミ楽譜出版社、1998年12月10日。 ISBN 978-4810827200。
- 「大正ロマンの「?」ひとつ分かった 童謡ながれ星 作詞者は当時24歳の仙台娘 妹ら掲載誌を発見」『朝日新聞』1987年7月12日、日曜版、14版、27面。
- 中山卯郎 編『中山晋平作曲目録・年譜』豆ノ樹社、1980年2月29日。
関連項目
- NHK総合水曜ドラマ ばら色の人生(1987年4~7月)
- ながれ星のページへのリンク