その後の XL シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 00:14 UTC 版)
「Atari 8ビット・コンピュータ」の記事における「その後の XL シリーズ」の解説
このころアタリは価格戦争に巻き込まれた。コモドール社のジャック・トラミエルはテキサス・インスツルメンツ(TI)がホームコンピュータ市場に参入するのを見て、これを追い出そうと考え価格戦争を仕掛けたのである。数年前、TIは電卓の価格戦争でコモドールを電卓市場から追い出したが、今回はコモドールの方に分があった。 アタリはトラミエルのターゲットではなかったものの、他の各社もシェアを確保するために低価格化を進めざるをえなかったのである。アタリにとってタイミングが悪かった。1200XL は失敗し、それ以前のマシン(400/800)はコスト高のため、価格競争には対抗できない。解決策としては、1200XLの後継機でユーザーの信頼を回復するしかなかった。 1200XLをベースとして、アタリの技術者は新ICを追加して機能を追加した。1200XLの回路は非常にコンパクトだったためICを追加しても問題なかった。また、製造コストを下げるために、新しいマシンは極東で生産された。 新たな4つの機種 600XL、800XL、1400XL、1450XLDは1983年夏のCESで発表された。これらはBASICのROMを内蔵し、拡張のためのPBIを備えている。外観は1200XLによく似ているが、奥行きが1200XLよりも小さい。1400XL と 1450XLD は300ボーのモデムを備え、音声合成機能を備えていた。さらに 1450には両面フロッピーディスクドライブが内蔵された。 生産工程上の問題でリリースは遅れ、1983年中ごろに投入する予定だったものが1983年のクリスマス時期になっても大量に出荷できない状態だった。それにもかかわらず、800XL はアタリの発売したコンピュータの中で最も売れたマシンである。1983年後半には価格戦争が最高潮に達していた。600XL/800XLの価格性能比は悪くなかったが、市場に出回るのが遅すぎた。1983年のクリスマスはコモドール64の勝利に終わった。同時期のゲーム専用機でのアタリショックとの相乗効果によって、アタリは毎日数百万ドルを失うこととなった。アタリの当時の所有者であったワーナー・コミュニケーションズは、この部門を売却したいと考えるようになった。 なお、600XL/800XL の生産を優先するため、1400XL と 1450XLD の生産は後回しにされ、その後は Atari 7800 を優先するため後回しにされた。最終的に 1400XL はキャンセルとなり、1450XLD はあまりにも先延ばしとなって、結局出荷されなかった。他にも 1600XL、1650XLD、1850XLD といったプロトタイプが発売されることなく消えていった。1600XL は6502と80186を搭載したデュアルプロセッサ機、1650XLD は1450XLDによく似た機種だった。これらは当時CEOとなったジェームズ・J・モーガン(英語版)の、ゲーム会社という原点に返るという方針によってキャンセルとなった。1850XLDはAmigaのプロトタイプ Lorraine に基づいていた。その後ジャック・トラミエルがアタリを入手すると、トラミエルはXLシリーズの開発をXEシリーズへと方向転換させた。1850XLDがベースにしようとしていたAmigaはコモドールが発売することになり、代わりに Atari ST を開発することになった。 価格戦争では勝利したコモドールだったが、内部抗争によってジャック・トラミエルは失脚させられた。彼は市場に再参入する方法を模索し、ワーナーが破格の低価格で売却したがっていたアタリを購入することにした。
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