その後のHY戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:44 UTC 版)
余りにも熾烈な企業間闘争であったため、HY戦争という言葉はその後も自動車業界の様々な場で用いられた。オートバイ市場で何らかのブームが起こると当然1位のホンダと2位のヤマハは競合し、それを受けて「第2次HY戦争」「新HY戦争」や「HY戦争再燃」などと表現されることがあり、モータースポーツの分野でも使用された。しかし、これらは企業や市場の健全性を損ねるような破壊的行為ではなく、通常の競合状態を指して「戦争」というセンセーショナルな表現が使われる程、HY戦争が依然強烈な印象を残していること示す。 ホンダとヤマハは2016年10月、かつて激しいシェア争いを演じていた50ccのスクーター部門について両社間での提携に関する協議を開始した事を明らかにし、2018年4月25日にホンダの「タクト」はヤマハの「ジョグ」として、同年5月25日にはホンダの「ジョルノ」はヤマハの「ビーノ」としてそれぞれOEM供給が行われている。なお、本提携では両社の業務用スクーター(ホンダの「ベンリィ」およびヤマハの「ギア」)の次期モデルの共同開発およびホンダからヤマハへのOEM供給も予定されている。
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