その他の指摘された問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:11 UTC 版)
「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「その他の指摘された問題点」の解説
物的証拠、映像、写真から、最低7発の銃弾が放たれていた事が確認できる。最初の銃弾は逸れ、ケネディ大統領の首、背中、右側頭部、コナリー知事の背中、リムジンのフロントグリル(およびフロントガラス)、見物人の足元の縁石。オズワルド単独での犯行は不可能に思える。 「パレードルート変更の謎」説:当時のダラス市長、アール・カベルの指示で、事件当日に狙撃されやすいルートにパレードコースが変更されたという説。カベルがピッグス湾事件で更迭された CIA 副長官のチャールズ・カベルの弟であったことや、歴代大統領は慣例で直線コースをパレードするにも関わらず、迂回ルートが車の速度を落とさなければならないルートであったことから、この説が提唱された。 しかしながら、この説は多くの記事ですでに否定されている。パレードが迂回ルートに変更になったのは、直進ルートだった場合、その先の高速道路の入口道路の形状の影響でパレード車列が渋滞してしまうことが予測されたためであり、保安上の理由から妥当なルートであった。 事件当日のダラスは快晴だったにもかかわらず、ザプルーダー・フィルムに黒いこうもり傘をさした人物が映っている。この人物は通称アンブレラマン (The umbrella man) と呼ばれ、映画『JFK』にも登場する。アンブレラマンを暗殺グループの一員とする説もある。なお、自分がアンブレラ・マンであると主張する人物、ルイス・ウイット (Louis Witt) はケネディ暗殺下院特別調査委員会(1978年) において証言をおこなっている。(cf. Umbrella man (JFK assassination)) 本来なら大統領の近辺にいなければならないシークレットサービスが後ろへ退くように命令された(大統領狙撃時に車に飛び乗ったクリント・ヒルによると車両間隔は 5 ft≒1.5m。大統領のリムジンには2人のシークレットサービスが同乗していた(ロイ・ケラーマン、ビル・グリアー)。後続車と白バイ警官はリムジンを追い、クリント・ヒルら4人のシークレットサービスは後続車のサイドステップに立っていた)。 傷口が変造されていた。 検視の医者は弾丸の検視の専門医ではなかった。このためか、ケネディが背中の古傷のせいで猫背気味であることが失念され、命中時の入射角の判定に誤りが生じたと言われる。 発見された銃弾は本物か。銃弾(証拠物件399、コナリー知事の担架(stretcher)から発見された)は、垂直方向(銃弾の進行方向)には変形せず、水平方向には圧縮されたように変形していた。弾頭部分は損傷していなかった。 暗殺事件発生当時、閣僚の大半は外遊しており、また、ケネディ死亡の公式発表から、ジョンソンの宣誓式までの数十分間、いわゆる「権力の空白」時間が流れている。もっと正確に言えばケネディが撃たれて即死に近い状態であったことを考えると12時30分から14時38分まで権力の空白が生じたことになる。 オズワルドが狙ったのは実際には同乗していたコナリーでケネディは巻き添えになったという説もある。 2013年11月21日に放送された『BS世界のドキュメンタリー』では、専門家たちによりケネディ暗殺の状況を再現する実験が行われた。この中では、ケネディの首を貫いた弾丸がコナリーの背中と右手を貫いてもほぼ変形しない状態に保たれること、オズワルドが単独でケネディとコナリーを銃撃することは可能だったことが実験によって立証されたとする。ケネディに致命傷を負わせた弾丸は、背後からの銃撃によるものだったことも専門家の調査によって立証されたとしている。
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