安土桃山時代
「安土桃山時代」とは、日本の歴史年表において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を掌握していた時代のことである。一般的には、織田信長が足利義昭を河内に追放して室町幕府が滅びた時(西暦1573年)に始まり、徳川家康が江戸幕府を開いた時(西暦1603年)までの、約30年間を指す。
安土桃山時代に栄えた文化は「安土桃山文化」と呼ばれる。この時代は織田信長や豊臣秀吉の政策によって寺院勢力が抑えられたことにより、それまでの仏教色が薄れ、洒脱な文化が数多く生まれた。
「唐獅子図屏風」などで知られる狩野永徳は安土桃山時代の絵師である。茶人・千利休は言うまでもない。
安土桃山時代は、主に武将たちが食事に大いに気を配るようになったとされ、食文化にも大きな変化が見られる。今日の「日本食」の土台がこの時代に半ば築かれたという評価もある。たとえば、鉄製の鍋が使われるようになって汁物を食べるようになったり、醤油の普及によって煮物料理が食されるようになったのが、安土桃山時代であるらしい。
織田信長が振る舞っていたとされる「本膳料理」は、ご飯、漬物、汁物、煮物料理などで構成される(今日の日本料理の)形式が出来上がっていたとされる。
「安土桃山時代」の発音・読み方
「安土桃山時代」の読み方は、「あづちももやまじだい」である。なお「安土」は、文脈によっては「あづち」でなく「あんづち」や「あんど」と読まれることもある。
「安土桃山時代」の語源・由来
「安土桃山時代」の「安土」は、織田信長の居城であった「安土城」に由来する。一方「桃山」は、豊臣秀吉が居城としていた「伏見城」があった「桃山」という地名が由来となっている。「桃山」という地名は江戸時代になってから付けられたとされる。伏見城の跡地に桃の木が植えられたことからその名が付いたという説がある。いずれにしても「安土桃山時代」は後世の歴史学の文脈で付けられた呼び名であり、当時そう呼ばれていたわけではない。
「安土桃山時代」と「江戸時代」の違い
「安土桃山時代」は1603年に徳川家康が江戸幕府を開いたことで終わりを迎える。そして「江戸時代」が始まる。要するに「安土桃山時代」の次の時代が「江戸時代」である。「安土桃山時代」が織田信長および豊臣秀吉が中央政権を掌握していた。「江戸時代」は徳川家の世襲によって権力が受け継がれていった。
「安土桃山時代」は大名による権力争いが絶えなかったが、「江戸時代」は絶大な権力を誇示し続けた徳川家が武力の抑制も含めて支配体制を敷いたこともあり、大規模な戦乱は生じなかった。そうして「天下泰平の世」とも称される江戸時代は200年にわたり続くことになった。
あづちももやま‐じだい【安土桃山時代】
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