『國民雑誌』主筆とは? わかりやすく解説

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『國民雑誌』主筆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 02:08 UTC 版)

山路愛山」の記事における「『國民雑誌』主筆」の解説

明治41年1908年以降は、雑誌太陽』に人物月旦の筆をとり、また『國民雑誌』の主筆として活動した同年5月、『現代金権史発表明治42年1909年)には『足利尊氏』『加藤清正』『豊太閤』『源頼朝』、翌43年1910年)には『西郷隆盛』 など英雄列伝発表明治43年1910年10月に『武家時代史論』、翌44年1911年5月勝海舟』、同8月に『佐久間象山』を発表している。 明治45年1912年1月國民雑誌誌上で、唯物史観めぐって山路堺利彦との間で論争があった。『國民雑誌2月1日に「唯物的歴史観堺枯川君に与ふ公開状」を発表し、堺が次号に反批判発表した同年には『伊達騒動記』『加賀騒動記』の御家騒動叢書刊行大正2年1913年)、『為朝論 附・義経論』『日本歴史 家庭講話』『書斎独語』『愛山史論』を刊行同年頃より未完の『日本人民史』の著作準備をはじめ、『獨立評論』を再興し、その言論活動晩年まで活発であった大正3年1914年)には『偉人論』 『岩崎弥太郎』 『現代富豪論』、同4年1915年)には『徳川家康』 を刊行同年丹毒一時危篤となるがその後回復した大正5年1916年)『支那論』 発表同年秋に信濃日々新聞』が発刊されると、これに主筆として多大援助与えた大正6年1917年3月15日疫痢のため死去享年54歳だった。辞世一首、「この娑婆はとても去られぬ世なれども生れぬさきの國へ行かなむ」。同年5月には『世界過去現在未来』 が刊行された。

※この「『國民雑誌』主筆」の解説は、「山路愛山」の解説の一部です。
「『國民雑誌』主筆」を含む「山路愛山」の記事については、「山路愛山」の概要を参照ください。

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