『国民之友』と文学
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『国民之友』は文学の領域にも力を入れ、当時の一流文学者や新進作家で同誌上に名を出さなかった者はまれであったと評されるほどであり、近代文学史上に大きな足跡を残している。 1889年(明治22年)の坪内逍遙の『細君』、山田美妙の『胡蝶』、1890年(明治23年)の森鷗外の『舞姫』、幸田露伴の『一口剣』、1896年(明治29年)の樋口一葉の『わかれ道』、泉鏡花の『琵琶伝』、1897年(明治30年)の国木田独歩の『独歩吟』などは、いずれも『国民之友』誌上に発表されたものである。 翻訳文学としては、1888年(明治21年)の二葉亭四迷の『あひびき』(イワン・ツルゲーネフ原作)や、1889年(明治22年)に夏期付録として出版された森鷗外・落合直文・市村讚次郎・井上通泰・小金井喜美子共同による訳詩集『於母影』が特に有名である。 他には、 チャールズ・ディケンズ森田思軒『伊太利の囚人』(1891年) 内田魯庵『黒頭巾』(1891年) 若松賤子『雛嫁』(1892年) ウォルター・スコット石川残月庵『喇叭の声』(1894年) ウィリアム・ワーズワース山田美妙『韻文、山の翁』(1891年) ジョージ・ゴードン・バイロン落合直文『いねよかし』(1889年) ワシントン・アーヴィング内田魯庵『窮乏操觚者』(1891年) 森田思軒『肥大紳士』(1893年) ナサニエル・ホーソーン森田思軒『用達会社』(1892年) エンゲル森田思軒『滑稽氏』(1897年) 森田思軒『不思議の後家』(1897年) アディソン森田思軒『一シリング銀貨の履歴』(1893年) エッヂワース森田思軒『千人会』(1893年) ヴィクトル・ユーゴー森田思軒『隨見録』(1888年) 森田思軒『探偵ユーベル』(1889年) 森田思軒『クラウド』(1890年) 森田思軒『懐旧』(1892年) 森田思軒『死刑前の六時間』(1896年) ジュール・ヴェルヌ森田思軒『大東号航海日記』(1888年) アルフォンス・ドーデ森鷗外『政治を憎む文』(1891年) ギ・ド・モーパッサン国木田独歩『糸くづ』(1898年) ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)鍾礼舎『のばら』(1890年) ハインリヒ・ハイネ森鷗外『あまをとめ』(1889年) フリードリヒ・フォン・シラー可行生『希望』(1889年) 自適・指月『マリア、スチュアルト』(1896年) フレンツェル森鷗外『女丈夫』(1892年) レフ・トルストイ内田魯庵『悽涙』(1893年) 小西増太郎『靴師』(1894年) 小西増太郎・尾崎紅葉『名曲クレーツェロワ』(1895年) 小西増太郎『スレトの珈琲店』(1896年) イワン・ツルゲーネフ竹村智童『時計』(1897年) 二葉亭四迷『猶太人』(1898年) フョードル・ドストエフスキー内田魯庵『損辱』(1894年) などの翻訳作品が掲載された。 なお、のちに日本民俗学の祖といわれる柳田國男も第一高等学校(入学時は第一高等中学校)在学中にはさかんに文学の創作作品を『国民之友』誌に投稿したひとりであった。 文学論争では、森鷗外のドイツ三部作(『舞姫』、『うたかたの記』、『文づかひ』)をめぐる鷗外と石橋忍月の論争が『国民之友』誌に掲載された。日本における最初の本格的な近代文学論争といわれる。また、『国民之友』125号に掲載された蘇峰の評論「非恋愛」に対しては、巌本善治が『女学雑誌』に「非恋愛を非とす」と題する反論を書いている。
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