『万国公法』の活用事例とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『万国公法』の活用事例の意味・解説 

『万国公法』の活用事例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:35 UTC 版)

万国公法」の記事における「『万国公法』の活用事例」の解説

幕末・明治初期において『万国公法』はよく新たな権威の源として参照利用された。当時攘夷思想によって欧米人襲撃する事件多発し神戸事件堺事件京都事件がその代表例であるが、これらの事件は「万国公法」の名の下に外国人殺傷した日本人極刑としている。『万国公法』では個別事件については特に触れておらず、その名の下に裁かれること自体、実は非常におかしいことであるが、注目すべきなのはそうした無理を「万国公法」という名によって正当化できた点であって当時における「万国公法」の威名いかほどであったかがこれらの事例からうかがえる。 以下、「万国公法」の威名影響した事件事象一部列挙する安岡1998)。 外交使節天皇謁見外国公使などが赴任した場合君主挨拶することが国際慣例となっていたが、当初天皇公家たちは及び腰であった。しかし1868年松平慶永らが「万国公法」を根拠謁見許可するよう上奏し、フランス・オランダ両公使参内謁見かなった徳川慶喜らの処遇戊辰戦争のさなか、西郷隆盛らはパークスなど外国公使徳川家戦後にどう処遇するか、何度も意見尋ねている。日本側・外国公使側とも「万国公法ということばを用いて会話書簡やりとりしており、国際法に非常に注意を払っていた。たとえばパークス慶喜亡命希望した場合、それを受け入れるのも「万国公法御座候」と答えている。 マリア・ルス号事件1872年奴隷貿易未然防いだとされるこの事件では、日本の姿勢批判するペルー政府が「万国公法」に則って賠償求めたが、日本側も「万国公法に拠」って反論し最終的にロシア仲介斡旋依頼することとなったこれまで見たように「万国公法」は対外折衝において、依拠べき根拠として利用されてきた。しかし明治日本最終目標は、個別外交案件において他国よりも優位に立つことで事足りるものではなく条約体制順応することで、かえって西欧文明国クラブ間だけに平等を限定するという暗黙国際法ルール打破し、それらと同等権利勝ち取ること、単純に言い換える不平等条約解消して日本を「文明国」に格上げすることであった日本幾度にもわたる条約改訂交渉はそのために為されたものであった

※この「『万国公法』の活用事例」の解説は、「万国公法」の解説の一部です。
「『万国公法』の活用事例」を含む「万国公法」の記事については、「万国公法」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『万国公法』の活用事例」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『万国公法』の活用事例」の関連用語

『万国公法』の活用事例のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『万国公法』の活用事例のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの万国公法 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS