『万国公法』の伝来
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朝鮮半島に『万国公法』がもたらされたのが史料上で明確に確認できるのは、1877年12月17日である(田保橋1940)。この日花房義質が『万国公法』と『星軺指掌』を朝鮮側に寄贈し、同時に国際法の説明をしている。当時日朝修好条規締結で解決できなかった両国公使の相互派遣・駐在について、日朝間の見解が衝突していた。東アジアにおける伝統的な華夷秩序、朝鮮では事大体制というが、に留まることを望む朝鮮側と条約に基づく国際関係を求める日本側では公使派遣をめぐっても対立していたのである。朝鮮側の姿勢を少しでも和らげようと花房が持ち出したのが『万国公法』であった。公使交換が西欧の条約体制下では常識であることを説明するためである。 ただ「万国公法」ということばは、1876年12月の時点で使用されており、韓国の研究者の間では花房によってもたらされる以前に、すでに伝来していたと推測する論者もいる(李1982、金容九1999、金鳳珍2001)。 朝鮮にもたらされた『万国公法』は、日本経由であれ、直接中国からであれ、それは中国で刊行されたときのまま漢文で表記されたものであった。朝鮮において知識人は、日本でもそうであるが、漢文の読み書きに堪能であって文章として理解する上で困難といえるものはなかったのである。
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