『万国公法』伝来とは? わかりやすく解説

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『万国公法』伝来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:35 UTC 版)

万国公法」の記事における「『万国公法』伝来」の解説

マーティン漢語訳『万国公法』は中国刊行後すぐ幕末の日本もたらされ以後大きな影響日本史与えている。伝来した思われる1865年1866年の両年に限っても、幕末・明治維新活躍した幾人も著名人が『万国公法』の輸入に素早い反応示した。たとえば安井息軒門下米沢藩雲井龍雄横浜購入し勝海舟松平春嶽貸し出している。また海舟の弟子坂本龍馬は『万国公法翻刻計画している。仮に『万国公法』の中国での刊行1865年1月だとすると、一年経ずして日本伝わり憂国志士たちに読まれていたことになる。そして需要拡大により中国からの輸入だけでは需要まかなうことができなかったため、すぐに『万国公法』の「海賊版」が日本作られるようになったその日本での最初翻刻江戸幕府洋学教育機関であり研究機関であった開成所なされている。つづいて漢語日本語重訳した堤殻士志(つつみこく しし)訳の『万国公法訳義』や重野安繹訳の『和訳万国公法』が刊行された。またホイートン原著から直接訳した瓜生三寅訳『交道起源 一名万国公法全書』も出た幕末から明治初期にかけて、「万国公法ということばをタイトルに持つ著作上記以外にもいくつか刊行されたことから、その影響のほどがうかがえる日本において『万国公法』の影響は、このように素早くしかも大きなものであった。この点につき穂積陳重は「識者は争うて此書を読むが如き有様であった」(『法窓夜話』)と記しあたかも経典のような権威をもって万国公法』が読まれたと述べている。

※この「『万国公法』伝来」の解説は、「万国公法」の解説の一部です。
「『万国公法』伝来」を含む「万国公法」の記事については、「万国公法」の概要を参照ください。

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