『万国公法』伝来
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マーティンの漢語訳『万国公法』は中国で刊行後すぐ幕末の日本にもたらされ、以後大きな影響を日本史に与えている。伝来したと思われる1865年・1866年の両年に限っても、幕末・明治維新に活躍した幾人もの著名人が『万国公法』の輸入に素早い反応を示した。たとえば安井息軒門下の米沢藩士雲井龍雄が横浜で購入し、勝海舟が松平春嶽に貸し出している。また海舟の弟子坂本龍馬は『万国公法』翻刻を計画している。仮に『万国公法』の中国での刊行が1865年1月だとすると、一年を経ずして日本に伝わり憂国の志士たちに読まれていたことになる。そして需要の拡大により中国からの輸入だけでは需要をまかなうことができなかったため、すぐに『万国公法』の「海賊版」が日本で作られるようになった。 その日本での最初の翻刻は江戸幕府の洋学教育機関であり研究機関であった開成所でなされている。つづいて漢語を日本語に重訳した堤殻士志(つつみこく しし)訳の『万国公法訳義』や重野安繹訳の『和訳万国公法』が刊行された。またホイートン原著から直接訳した瓜生三寅訳『交道起源 一名万国公法全書』も出た。幕末から明治初期にかけて、「万国公法」ということばをタイトルに持つ著作は上記以外にもいくつか刊行されたことから、その影響のほどがうかがえる。 日本において『万国公法』の影響は、このように素早くしかも大きなものであった。この点につき穂積陳重は「識者は争うて此書を読むが如き有様であった」(『法窓夜話』)と記し、あたかも経典のような権威をもって『万国公法』が読まれたと述べている。
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