『ドイツ人の村』
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「ブアレム・サンサル」の記事における「『ドイツ人の村』」の解説
2008年出版の『ドイツ人の村』は、元ナチス親衛隊員でアルジェリア独立戦争に参加したハンス・シラーの物語を、パリ郊外で叔父に育てられた息子が語るという設定であり、ユダヤ人大量虐殺、暗黒の10年(アルジェリア内戦)を背景にフランスの郊外に暮らすアルジェリア移民の現状が描かれている。これらはいずれも扱いにくい問題であり、批判が殺到した。まず、「忌まわしいナチス親衛隊と栄光のアルジェリア独立戦争を一緒くたにしてアルジェリアの威厳を傷つけた」と批判された。だがサンサルは、元ナチス親衛隊員でアルジェリア独立戦争に参加した人物が実際にいたことを偶然知り、彼について調査し、この結果明らかになった事実に基づいて書いていた。ドイツ降伏後、エジプトに亡命し、エジプトの機密情報局に勤務した後、ナセル大統領により、アルジェリア民族解放軍(フランス語版)の参謀本部に技術顧問として派遣された人物であり、後に彼が築いた村は「ドイツ人の村」と呼ばれていた。ユダヤ人大量虐殺についても同様であり、パレスチナ人が多数殺されている現状やアルジェリアにおけるフランス植民地主義による犯罪を軽視していると批判された。サンサルはこれに対して、アラブ世界ではユダヤ人大量虐殺が度外視または過小評価されていることを指摘し、多くのアラブ・イスラム諸国に蔓延する人種差別や反ユダヤ主義を批判した。また、アルジェリア内戦については、これをナチス・ドイツと関連付けるのは強引だと批判された。サンサルは、イスラム主義反政府軍は、「一党制、軍国化、過剰なプロパガンダ、厳重警戒態勢、密告、歴史歪曲、外国人嫌悪、イスラエル・米国が仕組んだ陰謀であるという主張」などナチス党と同じ手段に訴えた、イスラム原理主義はかつてのナチズムと同様のファシズム、全体主義であって、ヒトラーはすでに1933年にこれに気づいていたからこそ、アミーン・フサイニー(エルサレム大ムフティー)、ハサン・アル=バンナー(ムスリム同胞団の創設者)などイスラム諸国で台頭しつつあったイスラム原理主義者と密接な関係を築いていたのだと主張し、「イスラム教は精神性を、本来持っていた力を回復しなければならない。イスラム教の解放、脱植民地化、共有化が必要だ」と訴えている。 『ドイツ人の村』は、フランス文学者協会(フランス語版) (SGDL) のSGDL文学大賞(フランス語版)、RTLグループのRTL読書大賞、工芸技師協会のネシム・アビフ賞、作家ルイ・ギユー(フランス語版)にちなむルイ・ギユー賞(フランス語版)を受賞した。
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