『オールナイトニッポン』への影響
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「LF+R」の記事における「『オールナイトニッポン』への影響」の解説
この「LF+R」の開始により、『オールナイトニッポン』ではさまざまな変化が見られ、開始時間帯が大幅に前倒しされたうえで2部制から3部制となり、夜帯が下記の英語表記をベースとしたものに改題。 『allnightnippon SUPER!』月曜 - 金曜 22:00 - 24:00 『@llnightnippon.com』月曜 - 土曜 25:00 - 27:00 『allnightnippon-r』月曜 - 木曜 27:00 - 28:30 / 金曜・土曜 27:00 - 29:00 新時代の『オールナイトニッポン』を作るという名目で、22時から28時30分(29時)までを『オールナイトニッポン』の枠として捉え、初期の半年間『.com』枠では「BITTERSWEET SAMBA(ビタースウィート・サンバ)」をオープニングに流さないなど、イメージの刷新を図っていた。 また、1990年代末に『オールナイトニッポン』のパーソナリティも経験した平野友康など多数のインターネット関係者の協力の下、メールやインターネット放送などに対応した公式サイト「www.allnightnippon.com」を開設するなど、デジタルとアナログの融合を目指した大改編を行った。 その一方で、初期においては、旧1部からパーソナリティを引き継いだ『SUPER!』枠がニッポン放送ローカルの放送となり、もう一つの柱であったインターネットラジオも、1999年の時点ではインターネットの常時接続システムが現在ほど普及していない、著作権の問題で各番組内でのオンエア曲が配信に乗らない、各番組内で入るCM(時間帯によってはCMフィラーも)が完全にカットされるなどの問題があった。この他にも、葉書の投稿受付を廃止(FAX、メールのみ)したが、携帯電話からのメール送受信サービスも普及しておらず、FAXもしくはパソコンからのメール利用に頼るしかなかった。当時インターネットオンリーでの参加手法をとっていたのは当ゾーンとジャパンエフエムネットワーク制作『IR3シリーズ』くらいである、。 1999年秋以降は『SUPER!』枠が地方局へネット開始されたが、その他方で、一部のJRN系ラジオ局は『BATTLE TALK RADIO アクセス』(TBSラジオ)を受け入れることとなり、同時に『アクセス』の地方ネットも同時進行することとなり、TBSラジオとニッポン放送(後に文化放送の『レコメン!』関東ローカル枠も加わる)による、夜ワイド番組の販売合戦の原因となった。 また、人気があった旧1部のパーソナリティのうち4組の担当の場を、時間の浅い22時台と23時台に移したことで、トークやコーナー内容に規制がかかり、パーソナリティは番組を深夜帯ほど自由に行うことが難しくなり、番組自体も深夜帯に比べ若年の聴取者層にも対応しうる内容が求められた。特にナインティナインはこの問題に深く言及し、旧1部最終回の際に「半年後には25時台に戻ってくる」というコメントをした。反面、『.com』枠では、Webを活用した企画などで番組制作を試みたが、トーク・ネタコーナーを中軸に据えた「深夜放送」というシンプルな編成は少なくなった。 結果的には、開始から半年後の1999年10月に方針を大きく転換。前述の宣言を発したナインティナインが『SUPER!』枠から『.com』枠へ復帰し、放送形態も『.com』水曜担当のaiko同様に、箱番組が他の各番組に先駆けて廃止され、大半の番組が、いくつかの箱番組を残しつつ、従来のトーク・コーナー重視に方針転換する。また、葉書受付の再開や、『.com』枠でのオープニングテーマが「BITTERSWEET SAMBA」へ回帰など、かつてのスタイルが復活していった。
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