『エチオピア王国誌』などの異伝とは? わかりやすく解説

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『エチオピア王国誌』などの異伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:31 UTC 版)

シバの女王」の記事における「『エチオピア王国誌』などの異伝」の解説

16世紀エチオピア使節団一員として入国したポルトガル人のフランシスコ・アルヴァレスは『エチオピア王国誌』で、アクスムの町の教会見た史書引用して女王異伝載せるソロモン神殿造りを見に行ったサバの女王エルサレム向う途中浮橋キリスト十字架となることを悟り迂回してソロモン面会したソロモンとの間に一子もうけた女王帰国したが、残されその子横暴であったためエチオピア送り返すことになったソロモン途中休憩地としてガザの地を与えた、というものである1563年刊行されジョアン・デ・バロスの『アジア第三篇では、盗み出すのは聖櫃ではなく十戒石版であったコプト教徒に伝わるアラビア語異伝では、アビシニアアラビア語におけるエチオピア旧名)の女王がまだ胎内にいた頃、あるとき彼女の母が太って美しい山羊に欲情したため、女王片足山羊のような奇形であったソロモンはその話が真実確かめるべく神殿中庭満たしていたが、女王が裾を捲くって進むとちょう放置されていた聖十字架木に触れたため、普通の人の足になったという。また、『ケブレ・ネガスト』と異なり聖櫃奪取息子ダビデ発案で、偽の聖櫃を作らせその口封じ職人殺している。 アクスムにあるティグレ地方伝承によると、メネリクの母はティグレ少女でエテイェー・アゼーブ(南の女王)という名であった当時の人々から崇拝された竜の生贄となって木に縛られているところを通りがかった七聖人によって開放される。竜は聖人十字架打ち据えられ退治されたが、その時の血が踵にかかるとその部分ロバのように変形してしまった。そうして少女は竜を退治した勘違いした人々から推戴され女王となる。その後ソロモン治療者としての名声聞いたエテイェー・アゼーブは侍女とともに男装してエルサレム向うソロモン宮殿アビシニア王として迎えられ宮殿の床に足が触れたとたん踵の奇形綺麗に元に戻ったソロモン宴会でエテイェー・アゼーブの食が細いことから女性ではないか疑い自身寝室泊めた彼女を侍女ともども無理やり手篭めにしてしまう。二人帰国後に生まれたメネリクらは成長するエルサレム向いソロモンからミカエルのターボート(小型聖櫃あるいは十戒石版)を与えられる。しかしメネリクは父を出し抜いて、より価値のあるマリアのターボートを盗み出す、というものである。 他にはソロモンシバ王国訪問した逸話も残る。

※この「『エチオピア王国誌』などの異伝」の解説は、「シバの女王」の解説の一部です。
「『エチオピア王国誌』などの異伝」を含む「シバの女王」の記事については、「シバの女王」の概要を参照ください。

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