『エチオピア王国誌』などの異伝
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「シバの女王」の記事における「『エチオピア王国誌』などの異伝」の解説
16世紀にエチオピアに使節団の一員として入国したポルトガル人のフランシスコ・アルヴァレスは『エチオピア王国誌』で、アクスムの町の教会で見た史書を引用して女王の異伝を載せる。ソロモンの神殿造りを見に行ったサバの女王はエルサレムへ向う途中、浮橋がキリストの十字架となることを悟り、迂回してソロモンに面会した。ソロモンとの間に一子をもうけた女王は帰国したが、残されたその子は横暴であったためエチオピアへ送り返すことになった。ソロモンは途中の休憩地としてガザの地を与えた、というものである。 1563年に刊行されたジョアン・デ・バロスの『アジア』第三篇では、盗み出すのは聖櫃ではなく十戒の石版であった。 コプト教徒に伝わるアラビア語の異伝では、アビシニア(アラビア語におけるエチオピアの旧名)の女王がまだ胎内にいた頃、あるとき彼女の母が太って美しい山羊に欲情したため、女王の片足は山羊のような奇形であった。ソロモンはその話が真実か確かめるべく神殿の中庭を水で満たしていたが、女王が裾を捲くって進むとちょうど放置されていた聖十字架の木に触れたため、普通の人の足になったという。また、『ケブレ・ネガスト』と異なり聖櫃の奪取は息子のダビデの発案で、偽の聖櫃を作らせその口封じに職人を殺している。 アクスムにあるティグレ地方の伝承によると、メネリクの母はティグレの少女でエテイェー・アゼーブ(南の女王)という名であった。当時の人々から崇拝された竜の生贄となって木に縛られているところを、通りがかった七聖人によって開放される。竜は聖人の十字架で打ち据えられ退治されたが、その時の血が踵にかかるとその部分はロバのように変形してしまった。そうして少女は竜を退治したと勘違いした人々から推戴され女王となる。その後、ソロモンの治療者としての名声を聞いたエテイェー・アゼーブは侍女とともに男装してエルサレムへ向う。ソロモンの宮殿でアビシニアの王として迎えられ、宮殿の床に足が触れたとたん踵の奇形は綺麗に元に戻った。ソロモンは宴会でエテイェー・アゼーブの食が細いことから女性ではないかと疑い、自身の寝室に泊めた彼女を侍女ともども無理やり手篭めにしてしまう。二人の帰国後に生まれたメネリクらは成長するとエルサレムに向い、ソロモンからミカエルのターボート(小型の聖櫃あるいは十戒の石版)を与えられる。しかしメネリクは父を出し抜いて、より価値のあるマリアのターボートを盗み出す、というものである。 他にはソロモンがシバ王国を訪問した逸話も残る。
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