『エスプリ』誌・スイユ出版社
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「ミシェル・ヴィノック」の記事における「『エスプリ』誌・スイユ出版社」の解説
一方、教育研究活動だけでなく、雑誌や叢書の編集にもすでに1950年代の終わり頃から関わり、パリ6区ジャコブ通り(フランス語版)27番地の同じ建物に入っていた『エスプリ』誌の編集部とスイユ出版社の編集部に出入りするようになった。『エスプリ』誌は1932年に哲学者エマニュエル・ムーニエが創刊した雑誌であり、「国際的な雑誌」という副題のとおり、国外の知識人との連携により、欧州の精神や西欧の価値を他国との関連において論じる場であった。一方、スイユ社はロラン・バルトの初期の著作物、モーリス・ナドー(フランス語版)の画期的な著書『シュルレアリスムの歴史』など、特に戦後のフランス思想の紹介において重要な役割を果たした。編集部では絶えず政治問題について議論が交わされ、「文学を擁護しようとする出版社の編集委員だったが、政治の話ばかりしていた」という。ヴィノックは1971年にスイユ社の「ポワン・イストワール」(「ポワン・スイユ」ペーパーバック版シリーズの1つで、ペーパーバック版の歴史書)を創刊し、編集長に就任した。
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