『ちびまる子ちゃん』『クレヨンしんちゃん』での活躍
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「湯浅政明」の記事における「『ちびまる子ちゃん』『クレヨンしんちゃん』での活躍」の解説
幼稚園時代には、皆が喜ぶため、テレビアニメのキャラクターを描くことを繰り返していた。中学時代には「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「ルパン三世 カリオストロの城」「エースをねらえ!」などの劇場アニメの影響を受け、アニメーションを志した。 九州産業大学芸術学部美術学科を卒業後、1987年に亜細亜堂へ入社。初めは動画からキャリアをスタートしたが、「彼は自分の画を持っているから、早く原画に上げた方が良い」との事ですぐに原画に昇格。 1990年から放送開始の『ちびまる子ちゃん』では本編原画に加え、初代OP「ゆめいっぱい」、初代ED「おどるポンポコリン」の作画を担当。1992年の映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』では「1969年のドラッグレース」「買い物ブギ」の音楽シーンを手がけ、原作者のさくらももこからは「一見大人しそうに見えてとんでもないことを次々と思いつく」と評される。 その後フリーランスとなり、『クレヨンしんちゃん』に各話作画監督・原画として参加。1993年から始まる『劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ』へは第一作目から設定デザイン・原画などの役職で、各作品のキーとなるもののデザインやクライマックスシーンの原画を担当するなど、現在に至るまで関わり続けている。 映画第1作目「アクション仮面VSハイグレ魔王」では、クライマックスのアクションのアイデアを考案し絵コンテを描いた結果、仕上がりが「すごく気持ちよかった」ことから、それまで向いていないと感じていたアニメーションを天職に感じるようになった。また湯浅は、『クレヨンしんちゃん』でタイプの違う演出家二人(本郷みつる・原恵一)が、各々のやり方で面白いものを作っていく姿に刺激を受けたとも述べている。1996年の第4作目「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」と2014年の第22作目「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」では絵コンテも担当し、特に後者では自身の設立したサイエンスSARUが湯浅の絵コンテパートの制作を担当している。サイエンスSARUについては後述を参照。
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