「輞川集」
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「輞川集」序には次のようにある。 「私の別荘は輞川の山谷にあり、別荘の近くには孟城坳・華子岡・文杏館・斤竹嶺・鹿柴・木蘭柴・茱萸沜・宮槐陌・臨湖亭・南垞・欹湖・柳浪・欒家瀬・金屑泉・白石灘・北垞・竹里館・辛夷塢・漆園・椒園などがあった。裴迪と静かに各々絶句を賦した。」 「輞川集」には序文中の孟城坳以下20の場所において王維が賦した20首、裴迪が賦した20首の計40首が収められている。 輞川の詩は前後と繋がっており、詩の順序は意識的に構成されている。詩の意味とその関連は平仄と「桃花源記」・「桃源行」・「藍田山石門精舎」によって裏付けられているという研究がある。 孟城坳原文書き下し通釈新家孟城口 新たに家す孟城の口(ほとり) 新しく孟城の坳口に家を設けた 古木餘垂柳 古木垂柳を餘す 古木としてはただ垂柳があるのみだ 來者復爲誰 來者は復誰と爲す 今ここに住もうとする者は私だけだが、将来の持ち主はいったい誰か 空悲昔人有 空しく悲しむ昔人の有なりしを 同じく昔の持ち主として私も空しく悲しまれるのであろう 華子岡原文書き下し通釈飛鳥去不窮 飛鳥去りて窮まらず 華子岡を飛び去る鳥は、無数に皆飛んで去る 連山復秋色 連山復秋色 連山を見るに復秋色をあらわしている 上下華子岡 上下す華子岡 華子岡を上ったり下ったりすると 惆悵情何極 惆悵情何ぞ極まらん いつか悲しく思いは尽きない 文杏館原文書き下し通釈文杏栽爲梁 文杏栽して梁と爲し 文杏館は杏樹で梁が作られていて 香茅結爲宇 香茅結んで宇と爲す 草葺で屋宇が作られている 不知棟裏雲 知らず棟裏の雲 梁棟の裏より生じた雲が 去作人間雨 去りて人間の雨と作ることを 家から出て人間世界の雨となろう 斤竹嶺原文書き下し通釈檀欒映空曲 檀欒空曲に映じ 竹の美しい茂みはひっそりとした流れに影を落とし 青翠漾漣漪 青翠漣漪に漾ふ 竹の緑はさざ波に漂う 暗入商山路 暗に商山の路に入る 斤竹嶺を過ぎて暗に商山の路に入れば 樵人不可知 樵人知るべからず きこりも気づかない 鹿柴原文書き下し通釈空山不見人 空山人を見ず ひっそりとした山に人影もなく 但聞人語響 但人語の響きを聞く ただかすかに人の声だけが聞こえる 返景入深林 返景深林に入り 斜陽が深い林の中に差し込み 復照青苔上 復青苔の上を照らす また青い苔の上を照らし出す 木蘭柴原文書き下し通釈秋山斂餘照 秋山餘照を斂め 秋の山は夕日をのみ込み 飛鳥逐前侶 飛鳥前侶を逐ふ 飛鳥は帰りを急ぐ 彩翠時分明 彩翠時に分明 美しい草木の緑は鮮やかであり 夕嵐無処所 夕嵐処所無し 山靄のかかるところはない 茱萸沜原文書き下し通釈結実紅且緑 実を結んで紅にして且つ緑 茱萸が実を結び紅色緑色とあり 復如花更開 復花更に開くが如し その実が美しく再び花が咲いたようだ 山中儻留客 山中倘し客を留めば この山の中で客を留宿させることがあれば 置此芙蓉杯 此の芙蓉杯を置かん 芙蓉杯に茱萸の実を入れて飲むことを薦めよ 宮槐柏原文書き下し通釈仄径蔭宮槐 仄径宮槐に蔭し 傾斜したこみちは離宮の槐に蔽われ 幽陰多緑苔 幽陰緑苔多し おぐらい日陰は苔むす緑ばかり 應門但迎掃 應門但迎掃す 客を迎える者が地面を掃うのは 畏有山僧来 畏らくは山僧の来る有らんことを 客として山僧が来ることを畏んだのだろう 臨湖亭原文書き下し通釈軽舸迎上客 軽舸迎へて客を上せ 軽やかな舟でお迎えして客を乗せて 悠悠湖上来 悠悠として湖上に来る のどかに湖面の中心に来る 当軒対樽酒 軒に当たりて樽酒に対すれば 窓に面して樽酒に向かえば 四面芙蓉開 四面芙蓉開く 東西南北に尽く芙蓉の開いているのが見える
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