「華胥の幽夢」
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冬栄 驍宗の登極から間もない戴国。泰麒は蓬莱からの帰還を手助けしてもらったお礼を兼ねて、使節として漣国を訪れる。半月の行程を経て漣国重嶺へ辿り着いた泰麒らは、外殿を通り抜け後宮まで招き入れられたことに戸惑うが、そこにあったのは畑、しかも農作業をしているのは廉王・鴨世卓であった。 蓬莱から帰還して日が浅く、政治のことも分からず戴国での自分の存在に悩んでいた泰麒であったが、廉王との対話を通じて「お役目」と「お仕事」の違い、そして麒麟はそこにいることで「お役目」を果たしていると教えられる。戴国へ帰還した泰麒は、驍宗から性急過ぎる自分の重しでいて欲しいと告げられる。 乗月 芳国恵州州侯の月渓は、諸侯を束ね峯王・仲韃を討った。次の峯王が立つまでの仮王として月渓を推す声は強かったが、月渓は頑なにそれを拒んでいた。月渓は朝廷の混乱が収まったことを見届けるや、恵州城に戻ると宣言し、官吏たちは嘆く。 ちょうどその時、慶国から青辛と名乗る使いが、景王からの親書を届けにやってくる。「芳国の国主である月渓」宛てであったが、月渓は国に宛てた書状を一州侯に過ぎない自分が受け取るわけにはいかないと言う。青はさらにもう一通、月渓宛ての書状を差し出す。差出人は慶国下官、名を孫昭、先の芳国公主であった。 2通の書状は冢宰に預け、青は月渓の官邸に逗留することになる。月渓は、敬愛する峯王が民に恨まれるのを見ていられず大逆に到ったのは私怨であり民のためではなかった、この上さらに玉座まで盗むことはできないと語るが、青は民に称えられる王であって欲しいと願うのは民のためを思うことと同義である、罪を遠ざけるのが道ならば罪を悔いて正すことも道だと月渓に諌言する。 景王と公主からの書状を受け取った月渓は、民の苦しみに目を向けず父王を諫めることをしなかった己の罪を背負う覚悟を決めた公主に倣い、仮王として立つ決意を固める。 書簡 慶国の王・陽子と、雁国の学生・楽俊。かつて共に旅をした2人は、今は遠く離れ、鸞で現状を伝え合っていた。 陽子は楽俊に「官吏とも問題がなく」と伝えていたが、実際は問題が起こるほど意見もできていない状態であった。楽俊は「学生も教師も皆よくしてくれる」と伝えていたが、実際は半獣・荒民であることから苦労が絶えない生活を強いられていた。そんな背伸びは互いに理解しており、それでもなお励まし合う仲となっていた。 華胥 華胥華朶、それは才国の宝重であり、枕辺に挿して眠ることで国のあるべき姿を見せるという。 采王・砥尚はわずか8歳の采麟にこの宝重を授け、理想の世界に近づいていく様を見せることを約束する。しかし、采麟の見る国と砥尚の作ろうとする国は近づくことは1度としてなく、ついには采麟は失道してしまう。華胥華朶は普遍的な理想を見せるものではなく、所持者にとっての理想を見せるものであり、采麟の理想と砥尚の理想は大きく食い違っていた。しかも砥尚の思い描く世界は、国として到底成立するはずのないものであった。遂に砥尚は自らの罪を認め、「責難は成事にあらず」(先王の悪政を否定することで登極した自分は正しい政治を知っている訳ではなかった)との遺言を残し禅譲する。大司徒・朱夏は、自分たちが自らの過ちを認めようとせず、他者に罪を押し付けようとしていた事を悟り、それを悔いる。 帰山 柳国は現劉王による厳格な法治体制の下で、安定した治世が120年続いていた。この柳国が傾きつつあるという。 その噂に引き寄せられ、利広と風漢(尚隆)は柳国首都・芝草で30年ぶりに再会した。この2人が出会うのは、いつも傾きかけた国だった。2人は酒を酌み交わしつつ、自身の母国を含む国の盛衰について語り合い、それぞれの国へと戻っていった。
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