「ヒラヌマ」報道の変遷とは? わかりやすく解説

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「ヒラヌマ」報道の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 15:38 UTC 版)

ヒラヌマ」の記事における「「ヒラヌマ」報道の変遷」の解説

1941年12月12日付のThe Mercury紙は「日本海軍戦艦炎上」と題した記事掲載した。この記事では、「マニラにて陸軍発表した声明によるとフィリピンルソン島沿岸北東10マイル地点日本海軍の29000トン戦艦ヒラヌマアメリカ陸軍による爆撃を受け炎上した」と報じており、同日付のThe Canberra Times紙やAdvocate紙も同様の報道行っている。これらの報道ケリーの名は一切登場せず、爆撃機による体当たり攻撃が行われたという報道存在しないヒラヌマ被害状況撃沈ではなく、あくまで炎上としか報じられていないヒラヌマに関する報道自体も特に大規模に行われた訳ではない12月10日航空戦は「被撃墜後、戦艦榛名煙突体当たりし撃沈した」と報道された。 1944年9月2日付のThe Advertiser紙には「1941年以来主要な出来事」と題した1941年12月から1944年9月までの年表掲載された。この中で1941年12月11日には日本軍によるグアム攻撃と共に日本戦艦ヒラヌマ爆撃し深刻な損傷与えた」と記載されている。一方1945年8月11日付のThe Daily News掲載された「太平洋戦争ハイライト」と題され年表では、1941年12月11日では「フィリピン沖にて米軍爆撃により戦艦ヒラヌマ撃沈される」と記載されている。1945年9月28日付のWodonga and Towong Sentinel紙には太平洋戦争経過を追う年表が付されたが、こちらの1941年12月11日でも同様に記載されている。 戦後日本海軍坂井三郎が『大空のサムライ』にて、アメリカにおける報道内容を「コリン大尉以下10名の搭乗するB-17は、圧倒的な日本空軍攻撃排除しつつ、ビガンの敵上陸地点空爆した戦艦ハルナ戦艦ヒラヌマほか約40隻の日本艦隊は、上陸作戦中だったが、B-17500ポンド爆弾3発を投下そのうち1発はハルナに、2発はヒラヌマ命中、ともに大火災発生させたが、敵艦載機数10機による包囲攻撃を受け、故障生じたコリン大尉は、B-17そのまま降下させ、ハルナ体当たり遂行しこれを撃沈したコリン大尉勇戦こそは全軍の範とすべきである」と紹介して米軍が「空の要塞」と誇っていたB-17撃墜されたことから、「士気低下恐れた米軍が、(架空の)日本軍戦艦撃沈した、との情報流したであろう」と語っている。また、坂井三郎はこのB-17自分撃墜した主張しているが(著書では撃墜確認できなかったので撃墜不確実報告した述べている)、記録によれば坂井三郎はこの出撃交戦していない。

※この「「ヒラヌマ」報道の変遷」の解説は、「ヒラヌマ」の解説の一部です。
「「ヒラヌマ」報道の変遷」を含む「ヒラヌマ」の記事については、「ヒラヌマ」の概要を参照ください。

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