「ハディース検証学」の確立
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「ハディース批判」の記事における「「ハディース検証学」の確立」の解説
不確かな伝承を排除し、本物の「真正な(サヒーフ)」ハディースの確証を目的としたハディースの「審査・検証法」は、古典的イスラム学問においてハディース検証学(ʻilm al-ḥadīth、「ハディース学問」とも呼ばれる)として確立した。この学問は、シャーフィイーの死後およそ1世紀後のヒジュラ歴3世紀、古典的なハディース集が編纂・完成したことで、「成熟期」、すなわち「最終段階」に入ったとみなされている。 ハディース検証学における、伝承の信憑性を審査する検証法の確立は、いくつかの理由からイスラム教において重要であった。ヒジュラ歴3世紀以降、シャーフィイーがもたらしたこの教義の功績により、ムハンマドのスンナの最たる重要性が不動のものとなったことに加え、ハディースはイスラム法の一次資料としての地位を確立させ、それは政治的・神学的紛争における「イデオロギー」の道具として猛威を振るうようになった。しかし、ハディースは100~150年かけて口頭で伝えられてきたため、ヒジュラ暦3世紀に古典ハディース集が編纂されるまでは、ハディースの伝承経路を確認するための文献は存在せず、さらにハディース捏造は「大規模に行われた」ため、ムハンマドの伝承としての神聖な正統性と地位が損なわれる恐れもあった。その規模の大きさは、最も有名なハディース収集家であるムハンマド・アル=ブハーリーが、600,000近くの伝承の数々を検証し、その中から約7,400(この数には、同じような内容を持つ伝承の異なる言い回しや、伝承者経路が異なる同一内容の伝承の繰り返しも多く含まれる為、額面上より小さな数値となる)を除く、ほぼすべての伝承を排除したと報告されていることからもうかがい知ることができる。これはつまり、ブハーリーがハディースを収集した当時の段階では、出回っていた伝承の約98.7%が捏造だったという概算となる。 ハディース検証学における、ハディース真贋性の審査は、以下の3つの基準に基づく。 その伝承が「伝承経路が複数存在する、共通・同一内容のハディース」によって裏付けが取れるかどうか。このような「ムタワーティル」格のハディースは、信憑性は高まるものの、その存在は極めて稀である。この基準を満たさない、残された数多くのハディースについては、以下の要素が検証される。 伝承経路(イスナード)が単一の伝承(アーハード)における、各伝承者の「性格と能力の信頼性」。これは、預言者の教友(サハーバ)には適用されない。彼らの人格と能力は、ムハンマドとの「直接的な関係によって」保証済みとされるからである。 「伝承経路の連続性」。 ただし、上記の基準は下記の前提にも基づいている。 「ハディースの嫌疑または欠陥は、その伝承者の性格(ʿadāla)。または能力(ḍābiṯ)の欠如に直接起因している」こと それら「嫌疑ある伝承者は特定可能である」こと 教友(サハーバ)以外の各伝承者は検証・審査されるべきである一方、「実際の伝承経路(イスナード)」 の概念そのものの有効性を疑わないこと こうした基準に基づく審査の対象は、ハディースの伝承者経路のみであり、本文(matn)そのものはほぼ全くと言って良いほど対象とならない。 ハディースを審査・検証するハディース検証学(ʻilm al-ḥadīth)の業績としては、ヒジュラ歴3世紀以降の古典ハディース集(スンナ派の真正六書)に見られる。いわゆる真正六書とは、前述のムハンマド・アル=ブハーリーの『サヒーフ・アル=ブハーリー』をはじめ、『サヒーフ・ムスリム』、『アブー・ダーウード』、『アル=ティルミズィー』、『イブン・マージャ』、『アル=ナサーイー』の六冊の書物を指す。
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