入営
入営
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1942年(昭和17年)10月1日、久保は松江の陸軍西部第64部隊に入隊した。そこで7か月の基礎訓練を受けた後、1943年(昭和18年)5月に久留米第一陸軍予備士官学校へ入校。同年8月、ひと足先に美校を卒業し、大陸へ出征していた親友の原田新は、ニューギニアへ向かう途中、輸送船が米軍機の攻撃を受けて亡くなった。士官学校を卒業後、自身も大陸へ出征することになった久保は、発つ直前に原田家を訪ねて、新の部屋にこもってレコードをずっと聴いていたという。 1944年(昭和19年)6月に久保は、中国湖北省湖北省当陽県育渓河に駐屯する第39師団歩兵第232連隊第6中隊に見習士官として着任し、そこで初年兵や補充兵を訓練する教育隊長の任務にあたった。7月18日の夜明け前、第六中隊が守備する尚河砦文哨の前方を八路軍約100人ほどが移動しているとの情報を受けて、教育隊に非常呼集がかかった。教育隊と中隊本部からなる約20名の小隊が編成され、久保は小隊長として斥候出撃した。同隊にいた政森伍長の証言によると、明け方になって目的地へ到着しても敵影を確認できなかったため部隊が転進を始めると、直後に南の山稜から銃声が響いた。振り返ると最後尾にいた久保が倒れており、頭部を狙撃されて戦死した。
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入営
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入営は地方自治体により実施される。各地方自治体の兵役科が入営業務を担当し、対象者の分布状況、居住地、交通機関を総合的に判断し、入営期日と地点が決定される。
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