入営・出征
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1943年(昭和18年)12月1日付で、第十六師団 中部第四十二部隊(京都 伏見区深草 直違橋片町 中部第三十七部隊内)に入営。入営の日の様子を、見送りに来た加藤進は次のように『おおとり』に書いている。 たしか十二月三日頃彼が京都伏見の通信隊へ入隊出発の日、海軍入隊が十二月十日である私は彼の家へ見送りに行った。彼は電蓄のある応接間にいた。表門にはそろそろ国防婦人会や隣保の人々が集まり始めていた。彼は最後に一枚のレコードをかけ目を閉じて聴き出した。やがて表門で村野弘二君万歳の声が始まり家の人も出発の時間を知らせに来た。彼は目を開けて立ち上がりそのレコードを途中で止めて「これでええんや」と言って笑った。私は思わず彼の手を握りしめた・・・・彼とはこれが最後であった。 入営後、甲種幹部候補生に合格。翌1944年(昭和19年)5月、伍長の階級で東京陸軍通信学校(神奈川県 相模原市)に入学。同9月末、繰り上げ卒業で出征。相模原から下関に向かう列車の中で、家族あての長い手紙を書いている(写本のみ現存)。すでに南方への輸送船は米軍の攻撃により激減しており、一行は約1ヵ月下関に滞在。この間、貞朗は宿舎になっている旅館に弘二を訪ね、同じ部屋で1泊した。10月下旬、弘二は門司から出航する。
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