久保克彦
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久保 克彦(くぼ かつひこ、1918年9月5日 - 1944年7月18日)は、日本の画家。東京美術学校工芸科図案部(現・東京芸術大学デザイン科)を首席で卒業した後、太平洋戦争の中国戦線に出征し、戦死した戦没画学生。東京美術学校卒業生の戦没者はわかっているだけで167名おり、久保はそのうちの1人である[1][2]。卒業後直ちに応召した後、ほどなく戦死しているので目立った作品が多いわけではないが、1971年 (昭和46年) に東京芸術大学芸術資料館に展示された「図案対象」は、戦没画学生の作品発掘のきっかけの1つになった [3]。
注釈
出典
- ^ 「(9)終戦、戦争の爪跡」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第3巻』東京芸術大学百年史編集委員会(編)、ぎょうせい、1997年、pp.993-999
- ^ 佐藤道信「美術4 東京美術学校1944年 戦争」『タイムカプセルに乗った芸大』東京芸術大学
- ^ a b 『日本美術全集 第18巻』小学館、2015年、255頁。ISBN 978-4-09-601118-8。
- ^ 木村(2019: 23-24)
- ^ 木村亨「克彦の父久保白船のことなど」『久保克彦遺作画集』私家版、2002年、pp.177-178。
- ^ 三好二郎, 「東京芸術大学におけるデザイン用語の変遷(デザイン用語の変遷 : 教育・研究機関における年譜をめぐって,<特集>第4回春季大会 テーマ/用語を通してデザインを考える-回顧・現状・展望)」『デザイン学研究』 1983年 1983巻 42号 p.78-79, 日本デザイン学会, doi:10.11247/jssdj.1983.78, NAID 110008443053
- ^ 木村(2019: 68)
- ^ 黒田(2018: 117)
- ^ 木村(2019: 106)
- ^ 木村(2019: 110)
- ^ 木村(2019: 113)
- ^ 「(17)戦時下の学校生活(野見山暁治)」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第3巻』東京芸術大学百年史編集委員会(編)、ぎょうせい、1997年、p.932
- ^ 木村(2019: 116)
- ^ 木村(2019: 202)
- ^ 「(11)図案部成績展示会」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第3巻』東京芸術大学百年史編集委員会(編)、ぎょうせい、1997年、pp.794-795
- ^ 「(8)和田校長による改革」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第3巻』東京芸術大学百年史編集委員会(編)、ぎょうせい、1997年、p.606
- ^ 「(1)水谷武彦の帰国」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第3巻』東京芸術大学百年史編集委員会(編)、ぎょうせい、1997年、pp.464-465
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』p.60.
- ^ 野見山暁治、窪島誠一郎『無言館はなぜつくられたのか』かもがわ出版、2010年、159頁。ISBN 9784780303636。
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』p.13-14
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』p.14.
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』p.14.
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』p.110.
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』pp.67-78.
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』pp.106-107.
- ^ 黒田『《図案対象》を読む』pp.67-72.
- ^ 『芸術新潮』1972年1月号
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