リーゼント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 16:34 UTC 版)
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リーゼントまたはリーゼント・スタイル(英語: Regent style)とは、ヘアワックスやポマードなどの整髪料を利用し、両側頭部から髪を撫で付け後頭部でIの字型にぴったりと合わせる髪型(ダックテール)と、前髪を前方と上方に膨らませてボリュームを持たせる髪型(ポンパドール)を組み合わせた髪型のことである。
現在では、『リーゼント』と言えばボリュームのある特徴的な前髪だけを指すことも多い。
歴史
元来の「リーゼント」
このリーゼントは、ダックテールともポンパドールとも無関係で、襟足がV字型になるようバリカンで整え、整髪料を使って前髪をオールバックもしくは横分けにし、側頭部の髪を後ろに流して後頭部で合わせるというものだった[1]。
日本には、イギリス人のポール・グラウスが、1933年6月と1936年3月の二回にわたり、大日本美髪会の機関誌『美髪』上においてリーゼントを紹介した[2]。
銀座ユタカ調髪所の理容師である増田英吉は、日本人の頭部の形に適するよう、いちど前髪を膨らませてから後ろに撫でつけるリーゼントを考案したと主張している[3][4]。1936年10月刊の雑誌『スタア』に掲載された広告には「銀座ユタカ調髪所創案のリーゼントスタイルをお薦めします」と書かれている[5]。
1936年の「日本理容通信」にも時のイギリス摂政皇太子(プリンス・リーゼント)だったエドワード8世の写真とともに紹介されているという[6]。
このようなリーゼントは「イギリス紳士の髪型」あるいは「ハリウッド俳優の髪型」として一時的に流行したが、日中戦争の長期化にしたがってポマードが贅沢品とみなされるようになり退潮した。
ダックテールとポンパドール

一方、ダックテールは、フィラデルフィアの理髪師 Joe Cirello が「Duck's Ass」として1939年に考案したものが初期の記録として残っている[7]。
また、男性のポンパドールも1930年代から見られるようになっている。1925年の小説グレート・ギャッツビーの主人公ジェイ・ギャッツビーは、10代の頃は(当時は女性の髪型だった)ポンパドールにしていたという記述がある。
1930年代半ばから40年代を通じて、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人のパチューコ (Pachuco) /女性はパチューカと呼ばれた不良グループは、すでにポンパドールの髪型を始めており、40年代半ばにはダックテールとポンパドールを組み合わせた髪型も始めている[8]。ズート・スーツ (Zoot suit) を着て、ポンパドールにセットするのが彼らのファッションだった[9]。
また白人の映画俳優の間でも、1930年代から当時流行のオールバックに前髪を長めにしてボリュームを持たせるスタイルが始まっており(クラーク・ゲーブルなど)、1940年代にはさらにボリュームのある前髪も見られる[10]。
1940年代のアメリカでは、すでに多くの若者がポンパドールの髪型をしている写真の記録が残っている[11]。グリーサーズ (Greaser) と呼ばれた不良の若者たちも、ポマードでガチガチに固めた髪型をしていた(グリーサーの名前の通り、グリース(潤滑油)を塗ったようなテカテカの頭をしていた)。彼らの中にはダックテールにしているものもいた。
1950年代、アメリカでは頭頂部を短く平らに刈り込んだスタイル「フラットトップ(角刈り)」にし、後頭部を「ダックテール」にするというような手の込んだ形状のデザイナーズスタイルが流行した(ザ・デトロイトと呼ばれた)。
また、ロックンローラーやロカビリアン達の間でも、後頭部をダックテールにし、前髪をポンパドールにした合わせ技に人気があった。これは、80年代のパンクの影響を受けたサイコビリーのような直線的なものと異なり、いかに櫛で美しく色気のある曲線に梳かし立てるかを競うものであった(1955年頃のエルヴィス・プレスリーのポンパドールは明確に曲線である)。曲線的なものをロカビリー・ポンプ、直線的なものをサイコビリー・ポンプと呼び分ける場合もある。
カリフォルニアでは、後髪のダックテールに加えて長めの前髪をウェーブのかかったポンパドールにする「ブレーカー (Breaker)」と呼ばれる髪型が流行った。
同時期のイギリスでも、後髪をダックテールにし、ボリュームのある前髪を頭頂部に集めるクイッフと呼ばれるスタイルが、テッズやロッカーズの間で流行となった。
戦後日本の「リーゼント」
終戦直後、日本の若者のあいだでリーゼントの人気が復活したが、これは駐日アメリカ兵のカジュアルな服装を真似た「リーゼントとアロハシャツ」というスタイルで[12]、戦前のようなイギリス紳士の髪型という印象は薄れていった。
リーゼント 男子の頭髪型で前髪をたてるとともに左右の横髪を後頭部で合致するように刈つた型. 終戦後若い町の兄ちやんたちが好んでやつた. — 『最新時事新語辞典 1949年版』
この時期にはパーマネントウェーブと組み合わせたリーゼントなども登場して多様化している[2]。
1950年代後半、ロカビリーブームに乗って「ダックテール+ポンパドール」スタイルが日本でも流行すると、「前髪を膨らませて横髪をなでつける」という共通点から、「リーゼント」と「ダックテール+ポンパドール」が同一視されるようになった。
70年代の日本では、ハンブルク時代のビートルズのスタイルを真似たキャロルや、その後に結成されたクールスによって、「不良の髪型」=「ダックテール+ポンパドール」=「リーゼント」という認識が定着した。
80年代にも、竹下通りにたむろするロックンローラー族(ローラー族)の若者などが、クールスらの影響を受けてダックテール+ポンパドールを愛好したが[13]、90年代には衰退し、現在では一部の愛好家の間で見られるのみとなっている。
名称の由来

リーゼントという名称の由来には、諸説ある:
イギリスの首都ロンドンのウエストエンド地区にある左右双子の大通り「リージェント・ストリート (Regent Street) 」に由来するという説。両サイドの髪を撫で付けた髪型を頭上から見た流れが、膨らんで合流する(左右二手に分裂し中間で膨らみ再び合流する)この大通りの軌道に似ているからだという。
他の説としては、実際に1930年代のリージェント街で流行っていたからだという説。
さらには、1930年代にイギリスの摂政皇太子(英語でプリンス・リーゼント)だったエドワード8世に由来しているという説もある。
考案者
- イギリス
日本にリーゼントを紹介したポール・グラウスは、1931年に出版されたイギリスの理容師向けの技術書『The Art And Craft Of Hairdressing』において「The Regent」の項を執筆しているが、「リーゼントは長年にわたり紳士たちに愛好されてきた」「当初は長い髪によく似合う髪型だったが、筆者がより短くカットすることを決めた」と書いている[1]。
- 日本
日本でリーゼントの考案を主張している者に、銀座ユタカ調髪所の理容師である増田英吉がいる(#歴史の節を参照)。
RCC中国放送の調査では、現在の日本で見られるリーゼントスタイル[どれ?]は、1949年に尾道市の理容師・小田原俊幸(1922年 -2011年8月18日[14])によって確立されたものだという[15]。
- アメリカ
ダックテールは、フィラデルフィアの理髪師 Joe Cirello が「Duck's Ass」として1939年に考案している(#歴史の節を参照)。
リーゼントの著名人
- エルヴィス・プレスリー(Elvis Aaron Presley)
- ポンパドール&ダックテール(1950年代ロカビリー時代)ヘアの代表的ロックアンドローラー。
- ジェームズ・ディーン
- 『エデンの東』や『理由なき反抗』の俳優。1950年代のアメリカの不良ヘアの代表者の一人。
- リトル・リチャード
- ロックンロールの草分けの一人。50年代は黒人特有のボリュームのあるリーゼントヘアであった。
- エヴァリー・ブラザース
- 50年代のロックミュージシャン。兄弟二人揃ってリーゼントヘアである。
- ザ・ビートルズ
- 1960年デビュー当時のマッシュルーム・カットや後期のロング・ヘアが有名だが、デビュー以前にドイツのハンブルクで活動していた頃は、前髪をソフトなポンパドールスタイルに、後頭部はぴったり合わせたダックテールスタイルであった。
- キャロル
- 1972 - 75年に活動したリーゼントスタイルのロックバンド。
- メンバーの矢沢永吉は、バンド解散後のソロ活動においてもリーゼントを代名詞としていた。
- クールス
- 1975年デビュー当時からメンバー全員リーゼント(バックをダックテールスタイルにした本物)が原則。なお、この原則を作ったのは舘ひろしである。また、ボーカリストの村山一海は、クレイジーケンバンドの横山剣(同じく元クールス)いわく「芸能界でリーゼントが似合うNo.1」とのこと。
- ストレイキャッツ
- 1980年代のアメリカ合衆国のロカビリーバンド。全員がダックテール。
- レニングラード・カウボーイズ
- フィンランド出身のロックバンド。1989年の映画『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』がきっかけで誕生した。極端に長いポンパドール(クイッフ)が特徴。
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レニングラード・カウボーイズ
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リーゼントボクサー和氣慎吾
- 三浦大輔
- 元プロ野球投手。現横浜DeNAベイスターズ監督。現役時代からトレードマークとして知られ、「ハマの番長」の愛称がある。
- 秋山博康
- 元徳島県警察警部。現役時代からトレードマークとして知られ、「リーゼント刑事」の愛称がある。
- 岡晴夫
- 戦前、戦中、戦後に活躍した歌手。昭和13年に「国境の春」でデビュー。翌、昭和14年に「上海の花売娘」がヒットする。
- 竹内力
- 高校生の頃からリーゼントスタイルの髪型をしており、高校卒業後に勤務していた三和銀行(現・三菱UFJ銀行)行員の頃も変わらずそのスタイルだったが、営業成績は店内でトップだった。
関連項目
脚注
- ^ a b Gilbert A Foan Ed (1931). The Art And Craft Of Hairdressing. pp. 118-121
- ^ a b 『理容現代史』日本理容美容教育センター、1970年 。
- ^ 昭和唱和ショー「リーゼント」 - 無駄じゃ無駄じゃ(?)
- ^ Masuda, Eikichi. Rekishi kara Mita Gendai no Heā-Fasshon (Contemporary Hairstyles as Seen From History). Zenkoku Riyō Kankyō EIsei Dōgyō Kumiai Renḡokai, 1972. p.71-72
- ^ “スタア 4(21)(82) - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年5月19日閲覧。
- ^ History of the Regent
- ^ Wallace, Andy (1994年2月15日). “'Duck Cut' inventor Cirello, barber to stars dies at 79”. Ocala Star-Banner 2014年2月24日閲覧。
- ^ Zoot Suit Culture
- ^ The Dandy Suit that America Banned and Caused a Riot
- ^ THE MOST ICONIC MEN’S HAIRSTYLES IN HISTORY: 1920 – 1969
- ^ 1940s Men’s Hairstyles & Facial Hair
- ^ Danshi-Senka.com (2016年1月31日). “年代別『ファッション族』物語:アメリカの兵隊たちの服装”. 男子専科 official (日本最古の男性ファッション誌). 2023年5月19日閲覧。
- ^ 原宿の『ローラー族』 1980年 第2次ロカビリーブーム
- ^ 尾道見聞録に詳しい 路地ニャン公の尾道ホッと情報 - 2016年8月22日閲覧
- ^ RCC中国放送の「敬老の日特集」(2006年9月18日放送)の時点で小田原俊之の現役生活は70年に及んでおり、番組中には鮮やかなはさみ捌きを披露し「まずは90歳まで現役でいること。それから95歳、100歳。理容師の長寿世界一を目指したい」と意気込みを語った。2011年8月18日、小田原は永眠。享年88才(数え年で言えば90才)であった。小田原に師事した弟子は総勢31名だったという。
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