'90s中頃以降 -新興ゲイ雑誌の創刊-
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「ゲイ雑誌」の記事における「'90s中頃以降 -新興ゲイ雑誌の創刊-」の解説
1990年代に入ると「Badi」(1993年12月創刊)や「G-men」(1995年4月創刊)などの新しいゲイ雑誌の創刊が相次いだ。薔薇族やさぶといった従来のゲイ雑誌は、ゲイの世界とは下半身の繋がりしかない「既婚者のための趣味の雑誌」というスタンスで、こと異性愛者の薔薇族編集長・伊藤文學は「ゲイには圧倒的に末っ子が多く、母親が甘やかして育てるから同性愛者になる」というネガティブな考えを繰り返しコラムやテレビのインタビューで表明し、同性婚にも否定的で女性との結婚を勧めていた。同性愛者を社会的弱者ときめつけ、府中青年の家裁判などにも冷ややかだった。ゲイライターの伏見憲昭は当時の薔薇族について「異性愛者の編集長が“可哀相なホモたち”を諭し擁護する構図は、ゲイたちの中に自らのセクシュアリティに対する『後ろめたさ』を持たせた」といっている。また東郷健はゲイの当事者性を重視する立場から「ゲイでない人間がゲイを食いものにしている」と伊藤を批判していた。そんな同誌の編集方針はゲイの共感を得られず、部数は低迷し、後に休刊を余儀なくされる。 それに対し新興のG-menとBadiの2誌は同性愛をポジティブに捉え、ゲイであることをこの際楽しんで生きようというスタンスで、新しいゲイシーンを提案した。従来の気の毒な同性愛者というスタンスの薔薇族、ゲイリブ偏重で理屈っぽいアドンに対し、その斬新なスタイルは多くのゲイの共感を呼ぶことになる。伊藤の同性婚を否定したコラムをめぐり、後発の「Badi」と誌面で論争にもなっている。ただしBadiの伊藤のコラム批判は決して挑発的なものではなく、先輩誌に敬意を払いながら同性婚を否定する姿勢は悲しい、と静かに綴るものだった。その後伊藤はコラムで同性婚の否定を撤回している。因みにBadi編集部にはマツコ・デラックスやブルボンヌが在籍した。 1997年にはBadiと同じテラ出版からコミック誌の「パレード」(季刊)、1999年にはやはりテラ出版から「ファビュラス」が発行された。ファビュラスの編集長はBadiの初代編集長でもあったマーガレットこと小倉東で、かつて存在したMLMWと似て、成人記事は載せず、主として日本国外のゲイ情報などを誌面にし、スポンサーにタワーレコード、ユナイテッドアローズなど一般企業が参加したことでも注目されたが、2000年6月に休刊した。同じ99年には「QUEER JAPAN」(勁草書房)が創刊された。編集長はゲイライターの伏見憲明で、ゲイライフや老後などの問題をアカデミックに取り上げた。また、1999年は男性SM専門誌「SM-Z」(のちの「SUPER SM-Z」)も創刊された。
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