金本位制 歴史

金本位制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 01:32 UTC 版)

歴史

イギリスで金本位制を確立した、1817年銘の最初のソブリン金貨

金本位制の理念は古くからあった(東ローマ帝国の経済、後に$マークの由来にもなったソリドゥス金貨)と思われるが、金貨は貨幣として実際に流通させるには希少価値が高過ぎ、金貨を鋳造するための地金が絶対的に不足していたため、蓄財用として退蔵されるか、せいぜい高額決済に用いられるかであった。

歴史的には、金本位制よりも銀本位制金銀複本位制の方が一般的であった[2][3]。 金本位制に基づく国際通貨制度への移行は、事故、ネットワーク外部性、経路依存性を反映している[2]

金本位制は金鉱豊かなロシアでの採用が早く、法形式ではイギリスのものが早い。金本位制のグローバル化は大不況期に進むが、それはそのときに工業が発展したからである。特筆すべき例は次のようなものである。アルミニウムの精製に必要だったナトリウムが、ホール・エルー法により無用のものとなった。カストナー・アルミニウム株式会社は、そこでシアン化ナトリウムを製造した。この会社は自社製造で飽き足らずに、ドイツ金銀分離工業所デグサへもナトリウムを供給した。このようなシアン化ナトリウムは、金鉱石をシアン化法で処理するのに使われた[4]

イギリスでは1717年、当時の王立造幣局長であったアイザック・ニュートン卿が銀と金の交換レートを低く設定しすぎたため、銀貨が流通しなくなり、偶然に事実上の金本位制を採用した[5]。金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、唯一の無制限法貨としてこれを1ポンドとして流通させることになってからである。

19世紀にイギリスが世界有数の金融・商業大国になるとヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立した[5]。さらに、19世期後半の大不況期に採用が進み、1870年代から1920年代前半、1920年代後半から1932年まで[6][7]、また1944年から1971年の米ドルの金兌換停止し、ブレトンウッズ体制を事実上終了させるまでは国際決済銀行ブレトン・ウッズ体制による国際通貨制度の基礎となった[8]。 1971年以降は以降、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行したが、それでも多くの国が多額の金準備を保有している[9][10]

近代日本の金本位制

日本では1871年(明治4年)に「新貨条例」を定めて、新貨幣単位とともに確立されたが、金準備が充分でなかった上に、まだ経済基盤が弱かった日本からは正貨である金貨の流出が続いた。1871年に法律を改めて暫時金銀複本位制としたが、実質的には銀本位制となった。日清戦争後にから得た賠償金3800万英ポンドの金[注釈 3]を準備金として1897年には平価を半分に切り下げた貨幣法が施行され、実質的に金本位制に復帰した[11]

第一次世界大戦による金本位制の中断

1914年にはじまった第一次世界大戦により、各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行した。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。また戦局の進展により、世界最大の為替決済市場であったロンドンのシティが戦災に遭い活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。例えば日本は、1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあり、外貨決済の8〜9割を同地で行っていたが、大戦勃発後の1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。

第一次大戦後の金本位制への復帰と大恐慌による離脱

その後1919年アメリカ合衆国が金本位制に復帰したのを皮切りに、各国も次々と復帰したが、1929年世界大恐慌により再び機能しなくなり、1931年9月のイギリスを契機として1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。このことについてアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)議長を経験したベン・バーナンキは、「金本位制から早く離脱した国ほど経済パフォーマンスが良いことの証明だ」と述べた[12]

日本では、一次大戦後に金本位制復帰の機会をうかがうも、関東大震災などの影響で時期を逸し、1930年昭和5年)に濱口雄幸内閣が「金輸出解禁」を実施したが、多額の貿易赤字に伴い多量の金流出が起り、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した[13]

1933年金融恐慌を期にルーズベルト大統領は大統領命令6102号を発令し、アメリカ市民に対し保有する金を平価(1オンス=20.67ドル)で強制的に搬出させ、市民の金保有を禁じた。これは、当時金本位制の下で紙幣が金保有高に制限されてしまうため、インフレ政策が取れなかったための措置であった[14]1934年に、アメリカは金の買上げ価格を1オンス=35ドルと定め、この価格で外国通貨当局に対し金を引き渡す措置をとるようになった[15]

ブレトン・ウッズ体制の創設

第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制を中心としたIMFによる体制、所謂「ブレトン・ウッズ体制」が創設された。他国経済が戦災で疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国は1オンス=35ドルの平価で金と結びつけられた米ドルとの固定為替相場制を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。


注釈

  1. ^ 日本では1871年、新貨条例が定められ、この時金平価は1円=純金1.5グラムとされたが、その後1897年の貨幣法施行で金平価は半減され、1円=純金750ミリグラムとなった。
  2. ^ 個人あるいは政府造幣局に金地金を納入し、その量に応じて金貨の交付を受ける制度。すなわち手持ちの地金を本位貨幣に鋳造することを政府に請求できる制度。
  3. ^ 下関条約で合意した賠償金は銀2億テールであるが、実際には相当額の英ポンドで受領し、その大半は在外正貨としてロンドンにおかれた。
  4. ^ 世界的観点と研究蓄積の網羅に努めて書かれた研究の手引きであり、おびただしい文献が紹介されている。
  5. ^ 「2.幣制改革に至るまでの中国の通貨・金融事情」1935年5月に合衆国が銀本位制を部分的に採用したことが、大不況で価格の下落していた銀を昂騰させ、中華民国をデフレに陥れた。民国からは銀が大量に流出し、幣制改革を経て、翌年5月の米華協定により合衆国政府が直接銀を買上げて民国がドル建ての売上げをナショナル・シティー銀行へ預けることになった。

出典

  1. ^ 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、38-39頁。
  2. ^ a b Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 5–40. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  3. ^ Esteves, Rui Pedro; Nogues-Marco, Pilar (2021), Fukao, Kyoji; Broadberry, Stephen, eds., “Monetary Systems and the Global Balance of Payments Adjustment in the Pre-Gold Standard Period, 1700–1870”, The Cambridge Economic History of the Modern World: Volume 1: 1700 to 1870 (Cambridge University Press) 1: pp. 438–467, ISBN 978-1-107-15945-7, https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-economic-history-of-the-modern-world/monetary-systems-and-the-global-balance-of-payments-adjustment-in-the-pregold-standard-period-17001870/0FC7DA2F9137FE2A274D8F4063BD9074 
  4. ^ 柏木肇 訳編 『技術の歴史』 第12巻 筑摩書房 1981年 p.345.
  5. ^ a b Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. p. 5. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  6. ^ Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 7, 79. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  7. ^ Eichengreen, Barry; Esteves, Rui Pedro (2021), Fukao, Kyoji; Broadberry, Stephen, eds., “International Finance”, The Cambridge Economic History of the Modern World: Volume 2: 1870 to the Present (Cambridge University Press) 2: pp. 501–525, ISBN 978-1-107-15948-8, https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-economic-history-of-the-modern-world/international-finance/69BA1D520B1CACCB1A4B69AAE8ED4367 
  8. ^ Eichengreen, Barry (2019). Globalizing Capital: A History of the International Monetary System (3rd ed.). Princeton University Press. pp. 86–127. doi:10.2307/j.ctvd58rxg. ISBN 978-0-691-19390-8. JSTOR j.ctvd58rxg 
  9. ^ Gold standard Facts, information, pictures Encyclopedia.com articles about Gold standard”. Encyclopedia.com. 2015年12月5日閲覧。
  10. ^ William O. Scroggs (11 October 2011). What Is Left of the Gold Standard?. http://www.foreignaffairs.com/articles/69483/william-o-scroggs/what-is-left-of-the-gold-standard 2015年1月28日閲覧。. 
  11. ^ 大蔵省編纂 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省、1939年
  12. ^ 高橋洋一『日本経済の真相』
  13. ^ 大蔵省編纂 『昭和財政史(第9巻)通貨・物価』 東洋経済新報社、1956年
  14. ^ ニューディール政策と金没収
  15. ^ a b 久光重平『日本貨幣物語』毎日新聞社、1976年
  16. ^ 造幣局125年史編集委員会編 『造幣局125年史』 造幣局、1997年






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