日本語の方言 歴史

日本語の方言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 05:18 UTC 版)

歴史

琉球方言の分岐

琉球方言にみられるハ行P音や仮定形已然形の区別などの言語特徴は、奈良時代以前の日本語の姿を残すものである。一方で、本土方言と琉球方言の類似の程度から言って、両者が分岐した時期が弥生時代よりはるか前とも考えられない[141]服部四郎は二言語間の共通の語彙を比較する言語年代学の手法を使って、京都方言と首里方言の分岐年代について(1950年ごろから計算して)1450〜1700年前という計算結果を示している[142]。一方でこの計算結果は可能性の最下限を示すものだとして、実際の分岐年代は1500〜2000年前だったと推定している[143][144]。服部は、約2000年前以降、北九州から近畿への住民移動によって九州・琉球方言と近畿方言の分岐が起こり、九州において少なくとも2、3世紀は九州・琉球祖語が話されていて、その後、九州から南西諸島への住民移動が起こって琉球方言の母体となる言語が南西諸島にもたらされたと推定している[143][144]

上代東国方言

8世紀の時点で、日本語には少なくとも3つの大きな方言が存在したことが知られている。すなわち東部方言(東国方言、Eastern Old Japanese)と中部方言(Central Old Japanese)、西部方言(Western Old Japanese)である。このうち、下記のように確実な資料が残存しているのは西部(奈良付近)の上代日本語東部方言だけである[145]

奈良時代万葉集の東歌・防人歌には、多くの東国方言による歌が載せられている。東国方言は現在の長野県静岡県から東北南部、すなわち信濃、遠江、駿河、伊豆、上毛野、武蔵、相模、陸奥、下毛野、常陸、下総、上総、甲斐、安房の歌が伝わる[注釈 2][145]。東歌・防人歌から例として4首を挙げる。

筑波嶺(ね)に雪かも降る否(いな)をかもかなしき児(こ)ろが布(にの)乾るかも
(筑波山に雪が降ったのか。それともいとしいあの児が洗った布を乾したのだろうか)(常陸、3351番)
上毛野(かみつけの)伊香保の嶺(ね)ろに降雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
(通り過ぎることのできない妹の家のあたりよ)(上毛、3423番)
昼解けば解けなへ紐のわが夫(せ)なにあひ寄るとかも夜解けやす
(昼解くと解けない紐がわが背子に逢うからとでもか夜は解けやすい)(未勘国、3483番)
草枕旅の丸(まる)寝の紐絶えば吾(あ)が手と付けこれの針(は)持
(草を枕の丸寝をして紐が切れたらこの針で自分の手でお付けなさい)(武蔵の防人の妻、4420番)

万葉集に載せられたこれらの歌が、当時の方言を純粋に反映したものかどうかは明らかでないが、上代東国方言を今に伝えるものとして資料的価値が高い。これらの歌には、方言ごとに異なるが[145]、おおむね中央語との間に次のような違いが見られる[146](上記4首の下線部分にもある。なお、万葉集などの上代の文献ではイ列・エ列・オ列音の一部に甲乙の書き分けが見られ、なんらかの発音の区別があったとみられる。詳しくは上代特殊仮名遣を参照)。

  1. チがシになる。
  2. イ列音がウ列音になる。
  3. エ列甲類音がア列音になる。完了の「り」(中央語ではエ列に接続)がア列に接続する。
  4. エ列乙類音がエ列甲類音になる。
  5. オ列乙類音とイ列音、エ列乙類音が混同される(ただし長野県・静岡県にみられる)
  6. 「なふ」という打ち消しの助動詞を使う。活用は未然形「なは」、連体形「なへ・のへ」、已然形「なへ」で、連用形・命令形を欠く[147]。(例)「あはなふよ」(逢わないよ・3375)、「あはなはば」(逢わないならば・3426)、「あはなへば」(逢わないので・3524)。
  7. 一段型動詞の命令形語尾に「ろ」を用いる。(例)「ねろ」(寝よ・3499)、「せろ」(せよ・3465・3517)。
  8. 四段・ラ変活用動詞の連体形語尾がオ列甲類音になる。(例)「ゆこさき」(行く先・4385)
  9. 形容詞の連体形語尾が「き」ではなく「け」になる。(例)「ながけこのよ」(長きこの夜・4394)
  10. 推量に「なむ・なも」を用いる。

1〜10のほとんどは足柄峠以東の関東・東北南部の歌に見られ、長野県・静岡県では方言色は薄い[147]。このうち音韻的な特徴については、上代特殊仮名遣いの甲乙の混同が中央語よりも早く進んでいたものと見られ、エ列の甲類と乙類の区別はすでになくなっている[147]。1については、当時中央で[ti]と発音したチを、東国方言では[ʧi]または[tsi]と発音していたことを表していると見られ、京都では室町時代以降に起こったチの破擦音化が東国ではより早く起きていたことを示す[147]。2は[i]が中舌母音[ï]になっていたものと考えられ、これが現代のズーズー弁に直接つながるものとする説もある[147]が、はっきりしない[146]。3のア列に接続する「り」は、八丈島の過去表現「書から」にその名残がある[147]

文法的特徴のうち、7は現代東日本方言にそのままつながるもので、命令形の「-よ」と「-ろ」の対立は奈良時代にまでさかのぼることになる。ただし、命令形「-ろ」は現代の九州北西部にもある形で、これについては方言周圏論を適用して奈良時代よりも前に中央で「ろ」から「よ」への変化があったと推定されている[147]。また、6については現代の東日本方言の「ない」に通じるものの可能性があるが、定かではない。一方、8・9・10は八丈島利島秋山郷などごく限られた地域に残るのみで[147]、東日本方言のほとんどで平安時代以降に中央語からの同化作用を受けたことになる。現代の東日本方言・西日本方言の違いのうち、断定の助動詞「だ」対「じゃ・や」、動詞・形容詞で起こる音便の違いは、万葉集よりも後の時代に現れたものである。

中古・中世

平安時代から鎌倉時代にかけての文献では、地方の言葉は粗野なものであるとするにとどまり、少数の語彙が記録されるのみで方言の全体像は不明である。その中で、命令の「ろ」が使われていた記録として、鎌倉時代の「塵袋」に

「坂東人ノコトバノスヱニロノ字ヲツクル事アリ、ナニセロ、カセロト云フヲ」[148]

と指摘されている。この間に中央語では、二段活用の動詞で「起く」のような旧終止形を廃止し連体形「起くる」を終止形として用いたり(終止・連体形の合一)、「打ちて」を「打って」とするなどの音便、語中・語尾のハ行音がワ行に変化するハ行転呼が起きた。一方、古代東国方言は中央語からの影響を受け、徐々に中央語に近い形に変化したと見られる。上代東国方言の文法的特徴が現代では伊豆諸島の八丈島や利島、長野県・新潟県境付近の秋山郷、山梨県奈良田、静岡県井川など中部地方付近に残るのに対し東北地方に見られないことから、上村幸雄は、中央語の影響で上代東国方言の特徴を失ったあとの東国方言が鎌倉時代以降に東北地方に広まり、現代の東北方言が形成されたのではないかと指摘している[149]

日本大文典

戦国時代以降には、各地の方言を記録した書物が現れるようになった。このころには「京へ筑紫に坂東さ」ということわざがあり、当時、中央と九州と東国の3つの方言圏が意識されていたことを物語る。特にポルトガルから来日したキリシタン宣教師ジョアン・ロドリゲスの著した『日本大文典』(1604年)では、各地の方言の特徴が詳述されている。日本大文典では

「'三河'(Micaua)から日本の涯にいたるまでの'東'(Figaxi)の地方では、一般に物言ひが荒く、鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない」[150]

とあり、これは当時も東日本では子音を強く発音し母音の無声化が盛んだったことを表現したものと解釈されている[147]。さらに、「関東」または「坂東」の特徴として、次の8点を挙げている。

日本大文典による関東方言の特徴
  1. 未来を表すのに「べい」を用いる。たとえば「参り申すべい」「上ぐべい」など。
  2. 打ち消しの「ぬ」の代わりに「ない」を用いる。たとえば「上げない」「読まない」など。
  3. 形容詞で、「良う」「甘う」の形の代わりに「良く」「甘く」の形を用いる。
  4. 動詞で、「払うて」「習うて」の形の代わりに「払って」「習って」の形を用いる。
  5. 「張って」「借って」の形の代わりに「張りて」「借りて」の形を用いる。
  6. 移動の「へ」の代わりに「さ」を用いる。たとえば「都さ上る」。
  7. 「しぇ」の音節は「せ」と発音する。たとえば「しぇかい」(世界)を「せかい」など(当時の京都では「せ」を「しぇ」と発音した)。
  8. 尾張から関東にかけては、「上げんず」「聞かんず」のように未来形「〜んず」を盛んに用いる。

上記は、現代の関東方言と異なる部分もあるにしろ、万葉集に記された方言と比べると、はるかに現代のものに近くなっている。江戸時代初期の他の文献にも、東国でハ行四段動詞の連用形促音便や、断定の助動詞「だ」、打消の助動詞「ない」が現れている。

日本大文典では、中国地方の方言について、アイをアーと発音すること(「なるまい」を「なるまぁ」)、「上げざった」「参らざった」のように打ち消しの助動詞「ず」「ざる」を使うことを記しており、これは現在の中国地方西部の方言にあてはまる。また備前ではガ行音の前の鼻音がないことを記している。

日本大文典は九州の方言についても詳しい。九州全般の特徴として、合音をウーと発音すること(「一升」を「いっしゅー」)、移動を表す「へ」の代わりに「に」「のやう(yŏ)に」「のごとく」「さまえ」「さな」などを使うこと、推量の助動詞「らう(Rŏ)」「つらう(Tçurŏ)」「づらう(Dzurŏ)」を使うことが記されている(ŏは開音のオー)。九州方言のうち豊後では、エイ・オイをイーと発音し(「礼」を「りい」、「良い」を「いい」など)、打消しの助動詞「ざる」や尊敬の助動詞「しゃる」を使う。肥前肥後筑前では、動詞の命令形に「上げろ」「見ろ」のように「-ろ」を用い、形容詞の語尾が「良か」「古か」のようにカ語尾になり[151]、推量の助動詞「いらう(Irŏ)」「やらう(Yarŏ)」を使い、尊敬の助動詞「させめす」「せめす」を使う。また肥前などではアイ、オイがアエ、オエとなる(「世界」を「せかえ」、「黒い」を「くろえ」など)。これらを現在の九州方言と比較すると、「合音→ウー」や命令形「-ろ」、カ語尾などは、現在の方言にそのままあてはまる特徴で、九州方言を多く採録した『日葡辞書』(1603年)に記録された「かるう」(背負う)などの多数の語彙と合わせると、現在の方言の大枠が当時すでにできあがっていたことが推察される[151]

江戸時代

現代の方言分布は、江戸時代の藩の領域に沿うことがあり、特に津軽藩仙台藩薩摩藩など東北や九州でこの傾向が強い。このことから江戸時代の藩制によって今日の方言圏が形成されたことが分かる[152]。当時、藩の間の移動は制限され、藩が小さな国家のように機能していたためである。

江戸時代には他の地域とは互いに全く言葉が通じないことが多く、謡曲調や文語調に話すなどして意思疎通をしていた[153]

江戸時代には方言を記述した書物が増え、辞書も編纂された。越谷吾山著の『物類称呼』(1775)の以下の記述などから、東西方言の違いが意識されていたことも分かる。

「大凡我朝六十余州のうちにても山城と近江又美濃と尾張これらの国を境ひて西のかたつくしの果まで人みな直音にして平声おほし、北は越後信濃東にいたりては常陸をよひ奥羽の国々すへて拗音にして上声多(し)」
「今按に東海道五十三次の内に桑名の渉より言語音声格別に改りかはるよし也」

江戸時代の前半までは、京都方言が中央語の地位を占めていたものの、江戸幕府が成立して以降、江戸言葉の地位が次第に高まっていった。また、江戸時代には上方の言葉が江戸に流入したため、江戸・東京方言は周辺の関東方言に比べてやや西日本的な方言になった(「行くべ」ではなく「行こう」など)。やがて上方方言に対して江戸方言の優位が固まっていき、明治時代に東京方言を基に標準語を確立することになった。

近代以降

明治になって言葉の統一が求められるようになると、東京方言をもとに標準語を確立し普及させようとする動きが起こった。同時に、方言を排除しようとする動きが広がり、標準語こそが正しい日本語であり、方言は矯正されなければならない「悪い言葉」「恥ずかしい言葉」とみなされた。昭和40年代ごろまで、方言撲滅を目的の一つとする標準語教育が各地の学校で行われ、中には地域・家庭ぐるみで自発的に方言追放活動を推進するところもあった。都会出身者の方言蔑視と地方出身者の方言コンプレックスが強固に形成され、方言にまつわるトラブルが殺人・傷害・自殺事件に発展することもあり、とりわけ集団就職などで国民の国内移動が活発化した高度経済成長期に多かった[154]

高度成長を終えて標準語が行き渡った時代になると逆に方言に対する評価が変化し、標準語・共通語と方言の共存(ダイグロシア)が図られるようになった。日本では政治的な意図に基づく強力な言語の統一は行われておらず、厳密な意味での「標準語」は存在しない。しかし、テレビ映画などのマスメディアによる共通語の浸透、交通網の発達による都市圏の拡大、高等教育の一般化、全国的な核家族化や地域コミュニティの衰退による方言伝承の機会の減少などから、伝統的な方言は急速に失われている。

伝統的な方言の衰退に伴って、自分たちの方言を見直そうという機運が各地で高まっている。たとえば、関西芸人や、「おいでませ山口へ」をきっかけとする観光面での積極的な活用、地元の子供向けの看板での活用、地元住民向けの公共物や商品のネーミングなどでの活用、方言を用いた弁論大会、方言自体の商業利用(もとは地元ラジオ番組の一コーナーだった「今すぐ使える新潟弁CD版の全国発売、「DA.YO.NE」各方言盤や「大きな古時計秋田弁盤などの人気曲の方言カバーの発売など)がある。2000年代前半には首都圏の若者の間で方言がブームとなり、方言を取り上げるバラエティー番組(Matthew's Best Hit TVなど)や仲間内で隠語的に使えるように方言を紹介する本が話題を集めた。

また近年、日常の口語に近い文面を多用する電子メールチャットなどの出現によって、これまで書き言葉とされることの少なかった方言が、パソコンや携帯電話で頻繁に入力されるようになった。それに対応して、ジャストシステム日本語入力システムATOKは『ATOK 2006』から「北海道東北」「関東」「中部北陸」「関西」「中国四国」「九州」の各方言入力モードを用意している。

伝統的な方言の衰退は進んでいるが、一概に共通語化しているわけでもない。語彙については共通語化が著しいが、文法やアクセントの特徴は若年層でも比較的保たれている[155]。また、ウチナーヤマトグチのような伝統的な方言でも共通語でもない言葉や、「マクド」「なまら」のように特定地域だけに広まる若者言葉も生まれている(新方言も参照)。方言だと気付かれずに公的な場でも使われやすいもの(例:西日本の「なおす(=片付ける)」、東北の「投げる(=捨てる)」)や共通語に存在しない事柄・概念・文法のために共通語化できないもの(例:青森の「あずましい」、九州などでの存在動詞の進行形)もある。若年層では方言コンプレックスも薄れつつあり、東京の言葉に影響を与えることも増えるなど(若者言葉#方言由来の若者言葉参照)、むしろ日本の方言は安定期に入ったとする声もある[155]


注釈

  1. ^ ただしこれらの語は京都付近では幕末以降「高低低」に変化している。
  2. ^ このうち甲斐と安房のデータからは何も得ることができない

出典

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