小槻氏 系譜

小槻氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 22:03 UTC 版)

系譜

鎌倉以前
鎌倉以後(壬生家・大宮家分裂後)

関連項目

氏族

戦国時代下野国武家壬生晴富弟の胤業を祖とするとし[11]本姓に小槻氏を称している。胤業は毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔で小槻氏を仮冒したとする説[12]があり確証はない。栃木県下都賀郡壬生町には現在、壬生氏が大津市雄琴神社から勧請を受けたとされる同名の雄琴神社が残り、同じく氏祖として今雄宿禰を祀っている。
戦国時代までの間、近江国栗太郡を拠点とした武家。小槻山君(小槻氏前身)が平安時代中期に居を移したのちから文献に散見され、小槻山君氏神の小槻大社・小槻神社に対する寄進を重ねている。このことから、青地氏は改名した小槻氏一族もしくは小槻氏の在地領主と考えられている[13]。但し鎌倉時代に馬淵氏(佐々木氏一族)から基綱が養子に入って以降、源氏を本姓としている。

機関

元来は朝廷の機関だが、官中の庶務を掌握するという性質上、小槻氏の相伝となる(官司請負制も参照)。

は公文書の作成・有職故実の調査を行うため、太政官文殿の管理も行った。官務家となった小槻氏は、その職の便宜上私的に文庫を有していたが、時代が移ると小槻氏の文庫にも重要書類が保管されるようになり重きが移っていく。そして嘉禄2年(1226年)の大火で文殿が消失すると、小槻氏の文庫が官文庫(官務文庫)と呼ばれ公的な機能をもつようになる。この官文庫は朝廷・幕府から尊重され庇護を受けて幕末まで維持され、同時に小槻氏の地位も確保され続けた。維新宮内省に献上され、現在も宮内庁書陵部に『壬生家文書』として保管、『図書寮叢刊壬生家文書』として刊行されている。
宮内省に所属し、行幸の際の湯殿や乗物の準備、宮中の灯火・薪炭の調達、内裏の庭の掃除といった雑務を担当する機関。鎌倉時代小槻国宗が主殿頭に任じられて以降世襲化、主殿寮の領地は私領化していった。
民部省所属で財政を司る。頭には外記・大夫史・諸道博士が任じられ、小槻氏も度々務めた。
太政官の厨房の管理を行う官司。本来、少納言局と弁官局が共同で管理することになっていたが、蔵人所の設置に伴い少納言局の職掌が形骸化し、弁官局ひいては小槻氏が管理するようになった。官厨家は各地に荘園を持ち、運営における食料・費用に充てており、中には小槻氏が開発領主のものもある。これらの荘園もまた小槻氏が掌握・知行し、事実上の所領と化していった。
治承・寿永の乱によって東大寺は荒廃し、大仏の復興にあたる職として修理東大寺大仏長官に小槻隆職が任じられる。その後も名目的に修理大仏長官または造東大寺次官に小槻氏が任じられた。
  • 採銅所
朝廷に献上するための銅・鉛を採掘・精錬するために置かれた機関。摂津国能勢郡多田銅山が主要産地で、小槻氏が管理し官務家の渡領として受け継がれた。

所領

小槻氏の私領のほか、官司請負制により太政官関係領・主殿寮領を所領とした。

江戸幕府公家統制以後の家禄:山城国下嵯峨(100石)

文書

天平9年(737年)から寛治7年(1093年)までの間の太政官符宣旨解状を、部目別に分類して編集した法令集。小槻氏が編集したと従来考えられてきたが、源経頼によるものとする説もある。
壬生晴富著。南朝の正統性を主張した神皇正統記に対して、北朝の正統を主張した歴史書。
小槻氏のち壬生家に伝来していた太政官符や宣旨を編纂した文書。元禄年間に壬生季連が天暦2年(948年)から元禄7年(1694年)までに出された太政官関連の古文書を書写したもので、当初『新写古文書』と呼ばれた。のち明治時代に上記『左丞抄(類聚符宣抄)』の続編という意味で名が与えられ定着した。
  • 『壬生家文書』
維新後宮内省(現・宮内庁)に献上された官文庫所蔵文書。『図書寮叢刊壬生家文書』として刊行。
  • 『壬生家譜』
明治維新後、当主壬生輔世が政府に提出した壬生家系譜。
日記
  • 『左大史小槻季継記』 - 近年の研究で、実際の記者は小槻季継ではなく息子の秀氏であると判明している。
  • 『匡遠記』 - 小槻匡遠記、建武2年(1335年)~観応3年(1352年)。南北朝時代の争乱・南北両朝の役所関係記事を記す。現存の自筆による原本3巻は後に断簡をまとめて作られた。後光厳院践祚の記事分を記した『後光厳院践祚記』という写本がある。
  • 『晴富宿禰記』 - 壬生晴富記、文安3年(1446年)~明応6年(1497年)。官務職(文書作成・記録保存・先例紹介)・守護大名の情勢・京都市中の動向を中心に記す。欠失があるため現存は13年分である。自筆原本が残る。
  • 『長興宿禰記』 - 大宮長興記、1475年1487年
  • 『雅久宿禰記』 - 壬生雅久記、1475年1490年
  • 『時元宿禰記』 - 大宮時元記、1501年1504年
  • 『干恒宿禰記』 - 壬生干恒記
  • 『孝亮宿禰記』 - 壬生孝亮
  • 『忠利宿禰記』 - 壬生忠利記
  • 『季連宿禰記』 - 壬生季連記

寺社

滋賀県
祭神:於知別命(落別王)、天児屋根命
祭神:落別命(落別王)、大己貴命
祭神:天太玉命、於知別命(落別王)
祭神:今雄宿禰(阿保今雄)、崇道尽敬天皇(舎人親王)、大己貴命
阿保今雄の墓が残る。
栃木県
祭神:天照大御神天武天皇、舎人親王、小槻今雄公(阿保今雄)

脚注


系譜参考

  1. ^ a b 『古事記』垂仁天皇段
  2. ^ a b 『日本書紀』垂仁天皇段
  3. ^ 『新撰姓氏録』
  4. ^ 『系図纂要』・『地下家伝』
  5. ^ a b c 『日本三代実録』貞観15年12月2日壬辰朔条
  6. ^ 『新撰姓氏録考証』巻五
  7. ^ 『公家事典』小槻氏項
  8. ^ 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  9. ^ 請田正幸 1986, p. 342-343.
  10. ^ 『玉葉』
  11. ^ 『壬生家譜』東大史料編纂所蔵
  12. ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)625頁
  13. ^ 『近江栗太郡志』在郡の小槻氏項


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