戸板保佑とは? わかりやすく解説

戸板保佑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:43 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

戸板 保佑(といた やすすけ、宝永5年1月27日1708年2月18日) - 天明4年9月7日1784年10月20日))は江戸時代中期の仙台藩天文学者数学者である。宝暦改暦に参加した。また山路主住とともに、関孝和に始まる関流算学の集大成である全511冊の『関算四伝書』を編纂した。幼名は重豊、通称は善太郎。号に格九、取譬甫、黄海、統天斎、植、蕃、多植、茂蕃、多植茂などがある。

経歴

仙台に生まれた。青木長由に中西流の和算暦学を、遠藤盛俊に天文暦学を学んだ。享保16年(1731年)遠藤の後任として仙台藩の天文暦道掛についた。享保14年 - 安永9年(1729年 - 1780年)にかけて自宅などで日食月食観測して『仙台実測誌』に記し、実際に起こらなかった食なども含め48回の月食と18回の日食の記録を残している。戸板保佑は寛延4年(1751年)5月に起きた暦に載っていない日食を予報しているが、伊達村敏もこの日食を予報していた。

宝暦3年(1753年土御門泰邦らの宝暦の改暦に参加するために上京した。この時に山路主住へ師事し、関流の和算を学び仙台に持ち帰った。以後、仙台では中西流・関流が学ばれるようになる。仙台に戻った後も江戸の山路主住・之徽父子と崇禎暦書の研究を続け、日本で初めてとなる西洋暦を完成させた。晩年には、山路父子に学んだ和算・天文学の成果をまとめ、安永9年(1780年)に『関算四伝書』、天明2年(1782年)に『天文四伝書』としている。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戸板保佑」の関連用語

戸板保佑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戸板保佑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戸板保佑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS