天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線
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歴史
元来は、掛川駅から遠江二俣、三河大野を経て岐阜県東濃地方の大井(現在の恵那)に至る鉄道(改正鉄道敷設法別表第63号)「遠美線」として計画されたが、軍事上の要請から、浜名湖付近で海岸部を通る東海道本線が敵軍の攻撃により不通になった際のバイパスとするため、遠江二俣と新所原(法律の条文上は豊橋)の間を改正鉄道敷設法別表に第63号ノ2として1933年(昭和8年)に追加した上で建設された[6]。また、天竜二俣付近では、1929年(昭和4年) - 1935年(昭和10年)に存在した光明電気鉄道線の廃線跡を転用して建設を行っている。当初、東線・西線として部分開通し、その後全線開通となる。部分開通の時には、1150形、C10形蒸気機関車が入線していたが、全通時には8620形になり、1960年(昭和35年)頃に全機C58形に置き変わっている[12]。
- 1935年(昭和10年)4月17日 - 二俣線 掛川駅 - 遠江森駅間(12.9 km)開業。遠江桜木駅(現在の桜木駅)、原谷駅、遠江森駅(現在の遠州森駅)開業。
- 1936年(昭和11年)12月1日 - 二俣西線 新所原駅 - 三ヶ日駅間(12.1 km)開業。知波田駅、尾奈駅、三ヶ日駅開業。二俣線を二俣東線に改称。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 二俣西線 三ヶ日駅 - 金指駅間(13.8 km)延伸開業。都筑駅、佐久米駅(現在の浜名湖佐久米駅)、西気賀駅、気賀駅、金指駅開業。
- 1940年(昭和15年)6月1日 - 遠江森駅 - 金指駅間(29.1 km)延伸開業により掛川駅 - 新所原駅間全通。二俣東線が新規開業区間及び二俣西線を編入して二俣線に改称。遠江一宮駅、敷地駅、野部駅(現在の豊岡駅)、遠江二俣駅(現在の天竜二俣駅)、西鹿島駅、岩水寺駅、宮口駅、都田駅開業。
- 1953年(昭和28年)7月8日 - 東都筑仮停車場開業。
- 1954年(昭和29年)10月10日 - 西掛川駅開業。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 遠州鉄道の気動車が西鹿島駅 - 遠江二俣駅間に乗り入れ開始。
- 1960年(昭和35年)4月20日 - 戸綿駅開業。
- 1961年(昭和36年)5月16日 - 遠州鉄道の気動車の乗り入れ区間を遠江森駅まで延長
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 遠州鉄道の気動車乗り入れ廃止。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 蒸気機関車 (SL) を全廃して無煙化。
- 1984年(昭和59年)6月22日 - 第2次廃止対象特定地方交通線として廃止承認[4]。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 貨物営業を廃止[14]。
- 1987年(昭和62年)3月15日 - 国鉄二俣線(67.9 km)廃止[4]。天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線として掛川駅 - 新所原駅間(67.7km)開業[4]。気賀高校前駅(現・岡地駅)、アスモ前駅開業。遠江桜木駅を桜木駅に、遠江森駅を遠州森駅に、野部駅を豊岡駅に、遠江二俣駅を天竜二俣駅に、佐久米駅を浜名湖佐久米駅にそれぞれ改称。
- 1988年(昭和63年)3月13日 - 掛川駅 - 金指駅間を電子閉塞に切り替え。いこいの広場駅、原田駅、円田駅、浜松大学前駅(現・常葉大学前駅)、奥浜名湖駅開業。
- 1989年(平成元年)3月11日 - 金指駅 - 新所原駅間の電子閉塞切り替えにより全線電子閉塞化。タブレット閉塞廃止。
- 1996年(平成8年)3月18日 - 掛川市役所前駅、フルーツパーク駅開業[15]。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 大森駅開業[16]。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 浜松大学前駅を常葉大学前駅に改称。
- 2015年(平成27年)3月14日 - 森町病院前駅開業[17]。気賀高校前駅を岡地駅に改称。天竜二俣駅 - 新所原駅間を電子符号照査式から軌道回路検知式に切換。
- 2016年(平成28年)8月27日 - 台湾鉄路管理局の集集線との姉妹鉄道協定が締結される。同日から2017年(平成29年)12月31日まで、「1日乗車券の相互無償提供」を実施。一方の有効期間内の使用済み「1日乗車券」をもう一方の鉄道の指定窓口に持参すると、「1日フリー乗車券」と無償で交換できる[18]。
- 2020年(令和2年)7月1日 - 全通80周年を記念して「天浜線全線乗り放題純金フリーきっぷ」と記念カードの受注開始[19]。
迂回路として
前記の通り、天浜線(二俣線)が建設された当時、東海道本線は海岸線近くを走り、天竜川や浜名湖の鉄橋が攻撃されることも想定されたため、迂回路として海岸から距離のある現在のルートが選定された。その迂回路としての役割を実際に果たしたこともある。
- 1944年(昭和19年)12月に東南海地震で東海道本線が大きな被害を受けた際に、復旧するまで列車が当線を通った。
- 1945年(昭和20年)7月24日に東海道本線が空襲によって不通となった際に、列車3本が当線に迂回した。
- 1945年(昭和20年)7月30日に浜松駅周辺が浜松空襲と同時に行われた艦砲射撃で不通となった際に、軍用列車や本線列車5本が当線に迂回した[20]。
注釈
出典
- ^ a b 鉄道事故調査報告書 - 国土交通省
- ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング)
- ^ 天浜線 天竜浜名湖鉄道(2020年8月1日閲覧)
- ^ a b c d e 『鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、92-99頁。
- ^ 「天竜浜名湖鉄道が二俣線全通80周年を迎え、TH2102が国鉄色に」鉄道ファン railf.jp(2020年6月7日)2020年8月1日閲覧
- ^ a b 東海道線の一部が国防上、移転敷設 1933年9月8日付『中外商業新報』(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 各駅情報 西鹿島 遠州鉄道(2020年8月1日閲覧)
- ^ a b 【汐留鉄道倶楽部】天浜線で感じる歴史の重み 中日新聞サイト(2022年4月22日)2022年8月17日閲覧
- ^ 「年30万から150万円、最低2年」日本経済新聞ニュースサイト(2021年10月13日)2022年8月17日閲覧
- ^ a b 寺田裕一『ローカル私鉄 列車ダイヤ25年 東日本編』JTB、2004年、163頁。ISBN 978-4533054846。
- ^ 天竜浜名湖鉄道 「ダイヤ改正」について (PDF) 天竜浜名湖鉄道(2017年2月22日)
- ^ 『国鉄時代』Vol.6 飯田線 旧型電気・旧型国電の桃源郷 ネコ・パブリッシング、2006年8月21日、68頁
- ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』7号 東海(新潮社、2008年)p.33
- ^ “国鉄線4区間の貨物営業廃止を軽微認定 運輸審議会”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1985年2月2日)
- ^ 「天浜線の新駅「フルーツパーク駅」が開業」『静岡新聞』静岡新聞社、1996年3月19日、21面。
- ^ 『静岡交通ニュース』第68号 (PDF) - 静岡県、2009年4月6日
- ^ “天浜線「森町病院前駅」 3月14日開業へ”. 静岡新聞. (2015年1月10日). オリジナルの2015年1月11日時点におけるアーカイブ。 2016年11月29日閲覧。
- ^ “天竜浜名湖鉄道・全線 台湾鉄路管理局・集集線 姉妹鉄道協定締結!”. 天竜浜名湖鉄道. 2016年10月4日閲覧。
- ^ 「純金の天浜線乗り放題切符 全線開通80年を記念、受注開始」静岡新聞@s(2020年7月1日)2020年8月1日閲覧
- ^ 天竜浜名湖鉄道パンフレット『乗って楽しむ天浜線』
- ^ 「掛川に天浜線新駅 18年度開業目標」『中日新聞』、2016年2月11日。2016年11月29日閲覧。オリジナルの2016年2月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「掛川市、天浜線の新駅誘致 「アピタ」増床にあわせ」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2016年2月19日。2016年11月29日閲覧。
- ^ 「ドンキとダブルネーム店 アピタ掛川、8月に新装開店」『静岡新聞』静岡新聞社、2020年2月27日。2020年10月23日閲覧。
- ^ “MEGAドン・キホーテUNY掛川店、2020年8月4日開店-増床予定だったアピタ跡、天浜線「新駅」は幻に”. 都商研ニュース. 都市商業研究所 (2020年7月28日). 2020年10月23日閲覧。
- ^ 天浜線の31施設が、新たに国の有形文化財 に登録へ - 浜松市「浜松の元気」
- ^ #57 天竜浜名湖鉄道で行く浜名湖満喫の旅 BS日テレ『友近・礼二の妄想トレイン』公式HP
- ^ a b c d AKB×天浜線 ファンゲット/アイドル、アニメで訴求 掛川駅→「元カレです駅」に『日経MJ』2022年6月27日(観光・インバウンド面)2022年8月17日閲覧
- ^ 『ゆるキャン△』1日フリーきっぷ&グッズについて 天竜浜名湖鉄道(2021年10月10日更新)2022年8月17日閲覧
固有名詞の分類
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