迂回路として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:21 UTC 版)
「天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線」の記事における「迂回路として」の解説
前記の通り、天浜線(二俣線)が建設された当時、東海道本線は海岸線近くを走り、天竜川や浜名湖の鉄橋が攻撃されることも想定されたため、迂回路として海岸から距離のある現在のルートが選定された。その迂回路としての役割を実際に果たしたこともある。 1944年(昭和19年)12月に東南海地震で東海道本線が大きな被害を受けた際に、復旧するまで列車が当線を通った。 1945年(昭和20年)7月24日に東海道本線が空襲によって不通となった際に、列車3本が当線に迂回した。 1945年(昭和20年)7月30日に浜松駅周辺が浜松空襲と同時に行われた艦砲射撃で不通となった際に、軍用列車や本線列車5本が当線に迂回した。
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