パソコン通信 パソコン通信の概要

パソコン通信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 17:24 UTC 版)

全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった[注釈 1]

パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。

システム

原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパーソナルコンピュータ(パソコン)にモデム音響カプラなどを接続して一般加入回線(電話回線)を経由してサーバにダイアルアップ接続していた。その中で電子メールの送受信や電子掲示板チャットなどを利用した情報交換が行われた。株式取引や公営競技の投票が運営されていた時期もある。当時の個人用パソコンには、一部の例外を除いてRS-232Cコネクタがついており、パソコンのデータはRS-232Cに変換されてモデムに送られ、そこで音声信号に変換されて電話回線を通してホスト局へ送信した[2]。反対に、ホスト局から送られてくるデータは逆の操作で利用者のパソコンに取り込まれる[2]ワープロ専用機の場合も原理は同じで、機種によってはモデムを本体に内蔵していて電話のモジュラージャックを持っているものもあった[2]。さらに、パソコン通信をするための専用ソフトウェアが必要で、利用者側はあらかじめホスト局の電話番号などをソフトウェア上に登録設定しておくことで、メニューを選ぶ感覚でホスト局に自動的にアクセスできた[2]

モデムの一例。RS-232Cケーブルでパソコン側と接続し、モジュラーケーブルでLINE側を電話回線に、PHONE側を電話機に接続すれば、電話機も普通に使用できる。

ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受信は文字データ中心である。パソコン以外にも、ワープロ専用機や家庭用ゲーム機携帯端末での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。

日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、ニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネットアスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、エプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。

一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。

大規模なところでは、「コミュニティー」と呼ばれる趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブではフォーラム、PC-VANではSIGと呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。

音響カプラ

通信方式はインターネットの各種通信プロトコルTCP/IPなど)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみ[注釈 2]で、ストップビットなど様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。通信手順は通信用ソフトによって多少の違いはあるものの、基本的には通信しようとするネットワークの通信制御手順に従った設定が必要で、通信速度、使用できる漢字や文字のコードの種類、送受信が一方通行(半二重)か双方向(全二重)なのか、やりとりするデータが7ビットか8ビットかなどを相手局に合わせる[3]。これができたら、相手局の電話番号を登録してコールし、つながればID番号を問われるのでIDを送り、続けてパスワードを問われるので正しくパスワードを送ればネットにログインすることができる[3]

画像などバイナリデータの送受信もできたが、各種バイナリ転送プロトコルを使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、ishなどバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。

通信速度は初期には音響カプラを用いた300bps程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになると、モデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のダイヤルアップ接続アクセスポイントが主要都市に整備され始めた1996年頃には28,800bps、1997年頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない。ちなみに56kbpsで通信するには、サーバ側にISDN回線と専用のTA・モデム[注釈 3][注釈 4]が必要なため、一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限である。

また1980年代半ばから、アマチュア無線家の間で、無線機にターミナルノードコントローラ(TNC)と呼ばれるデータ通信機器を接続して行なうアマチュアパケット通信が流行し、シリアルポートを持つパソコンやワープロでこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では、回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされたネットゲーム[注釈 5]もアマチュア無線経由で流行した。

日本のパソコン通信の歴史

黎明期

1982年、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫もApple IIをホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。[4]

1983年8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストにPC-9801を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた[5]

1985年日本電信電話公社日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。これにより、従来は電話の受話器に音響カプラを乗せてダイヤルも手動で行い速度も300bps程度だったパソコン通信が、モデムによって手軽かつより高速に楽しめるようになった。これを受けて、数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、網制御装置(NCU)を内蔵したものである。

全盛期

大手BBS

1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど、1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる[注釈 6][6]

基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しており、ニフティCompuServe朝日ネットPeopleなど提携関係にある一部の場合を除いては、他サービスとのつながりはほとんどなかった。電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、大手商用サービスのメールに限っては障壁がなくなった[7]

パソコン通信では、アクセス数の増加への対応や全国各地に居住する利用者への負担を軽減するためには、アクセスポイントを増やさざるを得なかった。大手事業者が運営する大規模なネットワークでも、夕方から深夜にかけてアクセスする人が多く、アクセスポイントの回線数にも限りがあるので、アクセス数が混雑しているときはつながらないこともあった[8]。ニフティとPC-VANがそれぞれの運営母体である富士通のFENICSとNECのC&Cという自前のVANを活用し[9]、全国各地にアクセスポイントを続々と設置していったのに対して、他社は遅れを取ってアクセスポイント数も少なく、日本の商用パソコン通信サービスはニフティとPC-VANの寡占状態となり[10]、1996年にはそれぞれ会員数200万人を数えた[11]

草の根BBS

草の根BBSでは、24時間開設となっても複数の電話回線と複数のモデムがなければ複数の利用者が接続できず、長時間の接続を制限することもあった[注釈 7]。ベース遠距離からの電話回線料金の負担を軽減するために、パケット通信によるTYMPASやTri-PといったVANサービスで全国からの接続を仲介したこともあった。例えば、東京から大阪のホストへ直接電話回線の従量料金で接続することは相当な電話料金がかかり、VANサービスならば全国の主要都市にアクセスポイントがあり、近隣のアクセスポイントに接続すれば電話料金を節約できた。しかしホストとユーザーともにVANサービスを利用するための費用も必要であり、会員からの費用徴収が困難な側面もあり、個人で運営するBBSの運営は無料により近隣地区からユーザーの接続という趣味の範囲にとどまることが多かった。個人運営のホストの中には夜間のみ開設され、昼間は普通の電話として使われる回線もあり、専用の回線を24時間開放することは贅沢であった。

ネットワーキングフォーラムと呼ばれる全国大会も開催されたり、全国のネットワークの情報を紹介し、サービス内容などを詳細に網羅した『ワープロ/パソコン通信BBS電話帳』(電波新聞社)がマイコンBASICマガジン別冊として年2回のペースで出版されたこともあった[12]。それぞれのネットワークは個性があり、趣味、医療・結婚相談、教育・福祉、観光情報、JR運営、アニメ・ゲーム、オンラインショッピングなど、ユニークなものがたくさん存在した[12]。また、出版社などが運営するところもあったり、NHK衛星放送局も運営していた(銀河通信)こともある。名古屋市役所マイコンクラブが運営し、NHK-FM名古屋のリクエストと連動したDEPO-NETなどのメディアミックスも存在した。DEPO-NETは1989年に名古屋で開催された世界デザイン博覧会の協賛ネットワークであり、名古屋市役所やNTT名古屋、NHKという堅い組織が協力していたが、草の根BBSの一つであった。

これらの草の根BBSの中には、無線でパソコン通信を接続するだけでなく、JUNETと連動して、無線でインターネット接続をしていた。

インターネットへの移行

1994年頃から、世界規模の通信網であるインターネットへの一般個人からの接続環境が整備され始めた。

1995年Windows 95が発売され、パソコンの普及が加速した。ただしマイクロソフトCEO(当時)であったビル・ゲイツはインターネットの普及はまだ先であるとして、パソコン通信を前提としたネットワークを考えていた。それがMSNの元となる The Microsoft Networkである。ゆえに、Windows 95の初期バージョンにはインターネット関連の機能は初期状態で搭載されておらず、別売りの「Microsoft Plus!」に拡張機能としてのInternet Explorerが含まれていたのみであった。

Windows 95発売後、ビル・ゲイツは自分の判断の誤りに気づき、OSR2以降ではインターネット関連機能が標準搭載されるようになった。すなわち、OSR2ではTCP/IPが初期状態で選択されており、「Windows 95を使えばインターネットに接続できる」というイメージ戦略に成功した。

日本ではNTTがINS1500などダイアルアップ回線として安価に多数の回線を収容できるサービスを始めるなど、設備投資が安価になるなどの環境整備もあり、相次ぐISP企業の参入と、ダイヤルアップ接続用アクセスポイントの設置地域が拡充され、多くの地域で安価(市内通話料金あるいはテレホーダイ + プロバイダ料金)にインターネットへ接続できる環境が整っていった。この状況の変化により、基本的に一つの閉じたシステムであるパソコン通信については、事業の将来性や存在意義が薄れてしまったり、2000年問題で更新を迫られたホストも少なくなかったことから、アスキーネットや日経MIX、Peopleなど、殆どの商用サービスでは事業を中止したり、ニフティやPC-VAN、ASAHIネットのように、ISPに事業の中心を移したりしていった。

2000年代には大手、草の根とも、従来のパソコン通信上にあったコンテンツは、インターネットWeb上の電子掲示板等に移行しているか、廃業したところが多く、Telnet接続で文字通信手段を残しているホストもあるが、無手順による接続ホストは消滅に近く実態は殆どつかめないにまで減少した。

全盛期当時の過去ログなどは、利用者によって個人的に保存されたもの以外は、ホストのハードディスク故障、古い記録媒体の劣化やアクセス手段の喪失のほか、運営者によって破棄されるなどして散逸していることが多い。また、保存されているデータも、著作権者が所在不明などの理由により、再利用されることはほとんどない。

少数ながら、業務用で残っていたものもあった。NECモバイルギアシリーズ、シャープザウルスなどで屋外での利用を考慮したツールを発売した事もあるが、主な利用は掲示板ではなく、メールなどのデータの送受信としてである。また、屋外での公衆電話機にパソコン通信を考慮したモジュラジャックが付くなどしている。端末側の設備として携帯電話に於いては速度は遅いものの、パソコンと直接接続する物もあった。


注釈

  1. ^ 小規模な局は、2018年現在も運営されている[1]
  2. ^ AOLでは画像表示もできた。
  3. ^ ISDN回線内ではデジタル信号で送信するが、電話局の交換機でアナログ信号に変換する。
  4. ^ このモデムが内蔵されている業務用TAもあった
  5. ^ 個人がプログラムを組んだリバーシゲームやチェス等の物が主だった。
  6. ^ ちなみに同書によれば、1990年頃のモデムの価格は1200bpsが2万円以下、2400bpsが4万円台。
  7. ^ 個人で運営されているネットでは、電話回線が1本というところも多く、誰かがアクセスしていると、他のメンバーは回線を使用できなかった[8]
  8. ^ ただし、チャットに夢中になって時間を忘れて利用し続けていると、ネットの課金や電話料金が多額に請求されてしまうという問題もはらんでいた[3]
  9. ^ 日本の通信料金は決して安価ではなく、(NTTの場合)市内局番の通信料は3分ごとに10円かかり、市外局番でより遠方のアクセスポイントへ接続するとなれば、その距離に応じて現在よりもかなり高額な通信料金がかかる時代だった。
  10. ^ 第二電電日本テレコム日本高速通信があった。
  11. ^ みかかまきと読む。みかかは、NTTの隠語(みかか参照)。真紀は画像フォーマットのMAKIに由来する。

出典

  1. ^ パソコン通信“最後のホスト”「死ぬまで続ける」と語る理由、文春オンライン、2018年5月28日。
  2. ^ a b c d 多田太郎「まだネットワーキングしていない人のためのワープロ/パソコン通信入門」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 44
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 多田太郎「まだネットワーキングしていない人のためのワープロ/パソコン通信入門」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, pp. 46–47
  4. ^ 小口, 覺「試行錯誤の通信システム」『パソコン通信開拓者伝説』小学館、1988年4月20日、96-100頁。ISBN 4-09-346041-8 
  5. ^ a b c d e f g 杉井, 鏡生「草の根ネットワークに始まるパソコン通信―ユーザー主導で、あっという間に10万人の利用者」『ザ・PCの系譜 : 100万人の謎を解く』コンピュータ・ニュース社、1988年2月17日、180-183頁。ISBN 4-8061-0316-0 
  6. ^ ピクニック企画, 堤大介, ed. (1 March 1990). "パソコン通信". 『電脳辞典 1990's パソコン用語のABC』. ピクニック企画. p. 182. ISBN 4-938659-00-X
  7. ^ ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社、2005年、p.432
  8. ^ a b 多田太郎「まだネットワーキングしていない人のためのワープロ/パソコン通信入門」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 46
  9. ^ 小林憲夫『ゼロから会員200万人を達成した ニフティサーブ成功の軌跡』コンピュータ・エージ社、1997年、p.49
  10. ^ 「PC-VAN、ニフティサーブ 2大ネットで3分の2」『中日新聞』1995年7月7日号。当時、商用パソコン通信サービス利用者は300万人でそのうち3分の2を両サービスが占めたという記事。
  11. ^ 小林、1997年、p.2
  12. ^ a b 多田太郎「まだネットワーキングしていない人のためのワープロ/パソコン通信入門」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 45
  13. ^ a b c 多田太郎「まだネットワーキングしていない人のためのワープロ/パソコン通信入門」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 43
  14. ^ a b 池田将「ワープロ/パソコン通信で電話代をとことん節約する方法」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 50
  15. ^ a b 池田将「ワープロ/パソコン通信で電話代をとことん節約する方法」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 51
  16. ^ a b c 池田将「ワープロ/パソコン通信で電話代をとことん節約する方法」『マイコンBASICマガジン』1990年3月号, p. 52
  17. ^ 電子フォーラム|プロバイダ ASAHIネット”. asahi-net.jp. 2019年6月6日閲覧。
  18. ^ FORSIGHTライブラリィ[1]より
  19. ^ 『ヒット商品物語』p.251 インターコム営業本部部長 米田守 (1988年当時)
  20. ^ a b c 安田幸弘『パソコン通信の常識読本』日本実業出版、1989年、64頁。 
  21. ^ a b c 長沢英夫 編『パソコンベストソフトカタログ』JICC出版局、1988年、155-157頁。 
  22. ^ a b c 「DataSheet-通信ソフト」、『ネットワーカーマガジン 1992年秋号』所収、アスキー、1992年10月、PP203-208。
  23. ^ 『ヒット商品物語』pp.250-251
  24. ^ 『ヒット商品物語』pp.252-254
  25. ^ または遊び全部。『ヒット商品物語』 pp.247-249, p.251
  26. ^ 『ヒット商品物語』 p.231
  27. ^ 東京電脳倶楽部『パソコンソフト徹底評価』1994年、134頁。ISBN 4-534-02244-1 
  28. ^ 『徹底評価』p.136
  29. ^ 東京電脳倶楽部『パソコンソフト徹底評価』1994年、142頁。ISBN 4-534-02244-1 
  30. ^ 東京電脳倶楽部『パソコンソフト徹底評価』1994年、138頁。ISBN 4-534-02244-1 
  31. ^ 『徹底評価』p.140
  32. ^ 川上弘美「受賞者のことば」より






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