戦 中とは? わかりやすく解説

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せん‐ちゅう【戦中】

読み方:せんちゅう

戦争行われている間。戦時中


戦争

(戦 中 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 01:08 UTC 版)

戦争(せんそう、: war)とは、兵力による国家間の闘争である[1]。広義には内戦反乱も含む(戦争一覧)。集団を形成するようになる有史以来、人類が繰り返してきたものである。戦争に対を為すのは国際紛争の平和的解決である[2]銀行などが引受けた巨額の戦費は慢性的な租税負担となる。市民生活に対する制限と攻撃は個人の尊厳を蹂躙する。時代ごとの考え方によって、違法性が認定されてきた[3]


注釈

  1. ^ 敵を完全に殲滅して敵国の抵抗力を徹底的に破壊する戦略。
  2. ^ ベイジル・リデル=ハートは『戦争に関する考察(Thoghts on War)』において戦争の原因は突き詰めれば心理的なものであると考え、全感覚(あらゆる方面における知覚)を用いて戦争を理解しなければ、戦争を防止する展望は持ち得ないと論じた[40]
  3. ^ 戦争哲学の前提として戦争の原因論はその性質から観察者の哲学的・政治的・歴史学的・法学的な立場やバイアスなどに大きく関わる。例えば決定論の立場で戦争の原因論を考察した場合、あらゆる要因がその戦争の発生を決定付けているために人間は本質的に戦争に責任を持つことができないということとなり、原因は起因したそれら諸要素となる。
  4. ^ 国際政治学において侵略と認定する条件として、第一に武力行使、第二に先制攻撃、第三に武力による目的達成の意思、が挙げられており、自衛や制裁などの免責理由がないこととして価値中立的な定義としている。ただし、侵略の条件に「意思」が挙げられていることはこの定義の法律的性質を現すものであり、ある特定の価値観が存在していると指摘できる。そのため、軍事上の事実的行為として侵略は武力の先制使用であると考えられている[42]

出典

  1. ^ 「戦争」『国際法辞典』、217-219頁。
  2. ^ 「国際紛争の平和的解決」『国際法辞典』、118-119頁。
  3. ^ 三石善吉 戦争の違法化とその歴史 東京家政学院筑波女子大学紀要第8集 2004年 pp.37-49.
  4. ^ 本郷健『戦争の哲学』(原書房、1978年)46-47頁
  5. ^ Field Manual 100-5, Operations, Department of the Army(1993)
  6. ^ 佐原真「日本・世界の戦争の起源」、仮名関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事4 戦争の考古学』岩波書店 2005年
  7. ^ 服部 2017, p. 190.
  8. ^ 佐原真「ヒトはいつ戦い始めたか」、金関恕・春成秀爾編『戦争の考古学』佐原真の仕事4 岩波書店
  9. ^ 本当の戦争―すべての人が戦争について知っておくべき437の事 ISBN 978-4087734102
  10. ^ 佐原真「戦争について考える」、『考古学つれづれ草』小学館 2002年
  11. ^ 朝日新聞2016年3月31日2016年4月10日閲覧
  12. ^ 佐原真「日本・世界の戦争の起源」、金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事4 戦争の考古学』岩波書店
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  20. ^ 飯田浩司著 『軍事OR入門』 三恵社 2008年9月10日改訂版発行 ISBN 9784883616428 195頁
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  22. ^ Brzezinski, Zbigniew: Out of Control: Global Turmoil on the Eve of the Twenty-first Century, Prentice Hall & IBD, 1994, – cited by White
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  34. ^ ジェイムズ・F・ダニガン、ウィリアム・マーテル著、北詰洋一訳『戦争回避のテクノロジー』(河出書房、1990年)37頁
  35. ^ 防衛大学校・安全保障学研究会編『安全保障学入門』(亜紀書房、2005年)24-25頁
  36. ^ 栗栖弘臣『安全保障概論』(BBA社、1997)116-119頁
  37. ^ 防衛大学校・安全保障学研究会編『安全保障学入門』(亜紀書房、2005年)25-27頁
  38. ^ 防衛大学校安全保障学研究会『最新版 安全保障学入門』(亜紀書房、2005年)31-32頁
  39. ^ 栗栖弘臣『安全保障概論』(ブックビジネスアソシエイツ社、1997年) 131-133頁
  40. ^ 松村劭『名将たちの戦争学』(文春新書、2001年)18頁
  41. ^ 古賀斌『戦争革命の理論』(東洋書館、1952年)128-139頁
  42. ^ 服部実『防衛学概論』(原書房、1980年)33-34頁
  43. ^ 防衛大学校・安全保障学研究会編『安全保障学入門』(亜紀書房、2005年)182頁の『軍事力によるエスカレーションの具体例』の図、及びジェイムズ・F・ダニガン、ウィリアム・マーテル著、北詰洋一訳『戦争回避のテクノロジー』(河出書房、1990年)32-36頁を参考とした。
  44. ^ 寺沢一、山本草二、広部和也編 編「Ⅲ国家の成立16国家結合」『標準 国際法』(初版)青林書院、1989年6月、112頁頁。ISBN 978-4417007517 
  45. ^ 佐分晴夫「従属国」『日本大百科全書』小学館http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%BE%93%E5%B1%9E%E5%9B%BD/2010年4月11日閲覧 [リンク切れ]
  46. ^ Yahoo Dictionary>JapanKnowledge>大辞泉>傀儡政権[リンク切れ]
  47. ^ Exite>三省堂>大辞林>傀儡政権[リンク切れ]
  48. ^ 防衛大学校・防衛学研究会『軍事学入門』(かや書房、2000年)及びジェイムズ・F・ダニガン著、岡芳輝訳『新・戦争のテクノロジー』(河出書房新社、1992年)などを参考にし、主要な闘争の局面について整理した。
  49. ^ 防衛大学校・防衛学研究会『軍事学入門』(かや書房、2000年)52-53頁



戦中(1941-1943年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:52 UTC 版)

日昌丸」の記事における「戦中(1941-1943年)」の解説

1941年昭和16年)に太平洋戦争勃発すると、「日昌丸」は船舶運営会統制下で運航された。1942年昭和17年3月27日午前3時15分頃、門司から大連空荷回航するため巨文島沖.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3356東経12730分 / 北緯33.933度 東経127.500度 / 33.933; 127.500を速力13.5ノット航行していたところ、アメリカ海軍潜水艦「ガジョン」による魚雷攻撃受けた右舷3番船倉付近に魚雷1発が命中して爆発デリック船倉吹き飛ばされ船体左舷まで亀裂生じて切断寸前となった浸水により船は左舷23度も傾斜し船首大きく沈下したため船尾スクリュー空中浮き上がった状態まで陥ったが、後部5番・6番船倉注水することで航行可能となり、現地漁船支援受けて同日正午頃巨文島自主的に擱座した。被雷直後混乱の中で救命ボート乗って退船した船員17人があり、3日後に駆逐艦朝風」により収容されたが、漂流中に3人が死亡していた。「日昌丸」は、鎮海警備府指揮下から派遣され駆潜艇1隻の警護を受けながら日本サルヴェージにより約1か月がかりで応急修理された後、釜山港朝鮮重工業釜山ドック完全復旧された。釜山での工事は、船体を完全切断した後に繋ぎ合わせる大規模作業要した1942年秋に日昌丸」は戦列復帰した。1943年昭和18年3月には日本陸軍により軍隊輸送船として徴用され、パラオ・ハルマヘラ島・ニューギニア島西部方面への輸送任務従事し少なくとも以下の護送船団加入している。 P502船団5月2日パラオ発・5月10日佐伯港着。 フ407船団8月4日パラオ発・8月11日宇品着。 H1船団10月10日マニラ発・ハルマヘラ経由11月11日マノクワリ着。

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戦中(1944-1945年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:52 UTC 版)

日昌丸」の記事における「戦中(1944-1945年)」の解説

1944年昭和19年中旬以降フィリピンの戦い向けたルソン島への増援部隊輸送のため、以下のようにヒ船団一部区間加入するなどした。モマ01船団では同行した姉妹船日蘭丸」が撃沈され、ヒ68船団ヒ71船団のように大損害を被った船団にも加わっていたが、本船損傷せずに切り抜けた。なお、ヒ68船団加入時には捕虜1550人を護送するいわゆるヘルシップとして使用されていた。 ヒ63船団加入して5月13日門司発・5月18日マニラ離脱して搭載物件揚陸6月1日マニラ出港して62船団途中加入6月8日六連島泊地到着モマ01船団7月3日門司発・「日蘭丸」撃沈7月15日マニラ着。荷役後にヒ68船団途中加入7月24日マニラ発で高雄港へ向かう(以降詳細不明)。 ヒ71船団8月10日伊万里湾発・8月15日馬公経由8月21日マニラ離脱して輸送物件揚陸マモ02船団8月27日マニラ発・9月4日門司着。 ヒ83船団11月25日門司発・11月30日高雄離脱。 「日昌丸」は、高雄で「有馬山丸」「和浦丸」「鴨緑丸」ともにタマ35船団編成した。この船団当時日本陸軍に残る最優秀船を集めたもので、歩兵第39連隊歩兵第71連隊によりレイテ島の戦い逆上決戦仕掛け決号作戦強行輸送使用する計画であった12月5日高雄出た船団は、敵機部隊警戒しつつ12月11日マニラ進出する12月14日第10次多号作戦船団として出撃予定準備進められたが、直前アメリカ軍ミンドロ島上陸船団発見され影響作戦中止となった出撃すれば沈没確実な状況だった。 決号作戦中止台湾へ戻った日昌丸」は、再びルソン島への増援輸送向かった空襲激化マニラはすでに危険となっていたため、北サンフェルナンド揚陸帰路は「和浦丸」など輸送船4隻・護衛艦5隻から成るマタ38船団またはマタ37船団編成して12月30日に北サンフェルナンド出港するも再びアメリカ第5空軍陸軍機約30機による空襲を受け、機銃掃射甲板上部構造物は穴だらけとなった僚船のうち貨物船室蘭丸」(日本郵船:5374総トン)が沈没貨物船「帝海丸」(帝国船舶:7691総トン)が大破擱座、残る「和浦丸」も被爆小破したため船団ラポッグ湾へ一時退避。翌12月31日航行再開して1945年1月2日高雄たどり着くことができた。 南方航路全体閉塞されていく中、1945年昭和20年2月12-28日に往路モタ36船団復路タモ44船団加入して門司基隆間を往復し台湾から日本本土へ最後引揚輸送成功させた。その後致命的な損傷を受けることなく終戦の日迎えた太平洋戦争前に51隻を数えた日本大型外航貨客船のうち、終戦時健在だったのは本船のほか病院船として保護された「氷川丸」だけであった。なお、終戦前、日本陸軍は「日昌丸」の活躍称えて武功旗を贈っている。

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