1944-1945年とは? わかりやすく解説

1944 - 1945年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 09:17 UTC 版)

寒冬」の記事における「1944 - 1945年」の解説

平均気温南西諸島除き平年より3 - 4以上も低く気象庁統計開始以来現在までで最も寒い冬となっている。ピーク時平年10上下回る日が連続し多く地点積雪記録更新し長野県富山県一部では7mを超えた北海道雄武北見枝幸では92日連続の真冬日富士山頂以外では最長記録)を記録した全国各地歴代最低平均気温記録青森1月-5.7八戸1月-6.2函館1月-7.9盛岡1月-6.7山形1月-5.0仙台1月-3.0福島1月-2.6小名浜1月/2月-0.1宇都宮1月-1.9水戸1月-0.7前橋1月-0.2熊谷1月-0.1長野1月-4.9軽井沢2月-7.3河口湖1月-5.2名古屋1月0.4高山2月-6.0、津2月2.0富山2月-1.2金沢2月-0.2福井2月-0.5大阪2月1.8神戸1月1.8)。また、盛岡1月26日に-20.6大阪1月28日に-7.5観測し歴代最低気温となっている。

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1944 - 1945年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 16:18 UTC 版)

エセックス (空母)」の記事における「1944 - 1945年」の解説

パウナル少将は、南鳥島攻撃皮切りに空母作戦滞りなく進めていったが部下から「慎重すぎる」などと指揮ぶりを批判され1944年になって早々に更迭された。後任司令官にはマーク・ミッチャー少将就任し部隊の名称も「第58任務部隊となった。「エセックス」は空母イントレピッド」、「カボットとともに第58.2任務群(モントゴメリー少将)に属し1月29日から2月2日までクェゼリンの戦い支援参加した作戦予想外に進捗したのを受け、エニウェトクの戦い繰り上げて実施されることとなり、その支援のためトラック島空襲実施された。「エセックス」のいた第58.2任務群は、第58.1任務群(ジョン・W・リーヴス少将)および第58.3任務群(F・Cシャーマン少将とともに2月17日18日空襲行い壊滅的な損害与えることに成功した三個任務群は一旦引き揚げた後、2月23日サイパン島テニアン島およびグアム攻撃して日本側の補給路に更なる打撃与えたマリアナ諸島空襲)。一連の作戦終えると、「エセックス」はオーバーホールのためサンフランシスコ回航された。 オーバーホール終えたエセックス」は、アメリカ海軍航空隊エース・パイロットであるデヴィッド・マッキャンベル(英語版少佐率いる第15飛行群乗せ空母ワスプ」、「サン・ジャシントとともに第58.4任務群を構成し5月19日から20日にかけては南鳥島を、5月24日にはウェーク島それぞれ攻撃。続くマリアナ・パラオ諸島の戦いでは、6月12日から8月10日までのマリアナ諸島制圧6月19日から20日マリアナ沖海戦、および9月6日から8日までのパラオ制圧中心に一貫して航空支援努めたこの間エセックスがいた大艦隊の司令長官第5艦隊スプルーアンス大将から第3艦隊ハルゼー大将代わり第58任務部隊第38任務部隊改められた。直後9月9日から10日にかけては、第38.3任務群(F・Cシャーマン少将)の一艦としてミンダナオ島攻撃行いペリリューの戦い支援した。「エセックス」は占領したばかりのウルシー環礁帰投10月2日台風襲来したものの乗り切って10月6日南西諸島および台湾攻撃のため出撃した。 エセックス艦載機10月10日沖縄島を(十・十空襲)、10月12日から14日にかけては台湾各地空襲してアメリカ軍レイテ島上陸支援した10月24日から25日レイテ沖海戦参加し戦艦武蔵撃沈等に貢献したその後10月30日まで日本艦隊捜索行った後、ウルシーに一旦帰投して補給行った11月入ってからはマニラ空襲などフィリピン北部要所空襲し、日本軍圧力をかけ続けたウルシー再度帰投していた際の11月20日ウルシー日本海軍人間魚雷回天』による襲撃を受け、エセックス眼前給油艦「ミシシネワ」が爆発炎上した11月25日から26日かけてもエセックス」の第38.3任務群はフィリピン各地への空襲計画していた。しかし、その11月25日に「エセックス」は初め敵の攻撃により損害を受けることとなる。この日、日本軍零戦彗星銀河基幹とする5隊の神風特別攻撃隊マニラ近郊航空基地から発進させ、すでに第38.2任務群(ジェラルド・F・ボーガン英語版少将)の「イントレピッド」、「カボット」に突入して損害与え、「ハンコック」にも軽微な損害与えていた。「エセックス」は特攻機2機の攻撃を受け、そのうちの1機を撃墜したものの、もう1機が飛行甲板命中15名が戦死して44名が負傷したが、深刻な損害はならず被災したイントレピッド」の艦載機一時的に収容して避難させた。一連の神風攻撃は、ハルゼー大将11月26日攻撃中止させる決断引き出すに至り第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の大半フィリピン海域から一時撤退することとなったウルシーでの修理の後、「エセックス」は再び前線出動し12月14日から16日にかけてはミンドロ島の戦い支援したコブラ台風遭遇後、生存者の捜索あたった1945年入り、「エセックス」は台湾先島諸島沖縄およびルソン島対す一連の攻撃参加しリンガエン湾上陸端を発するルソン島の戦いの手助けをした。続いて第38任務部隊南シナ海侵入しサイゴン海南島香港中国沿岸部片っ端から攻撃し軽巡洋艦香椎率いヒ86船団などを全滅させるなど猛威振るったグラティテュード作戦)。1月20日から21日にかけて台風遭遇した後、1月26日から27日にかけての台湾沖縄宮古島への再度攻撃行いウルシー帰投した。この後ハルゼー大将スプルーアンス大将交代して艦隊の名称は第5艦隊となり、第38任務部隊第58任務部隊となってミッチャー中将指揮執る事となった。 「エセックス」は、硫黄島の戦い援護として1942年4月18日ドーリットル空襲以来初めてとなるアメリカ海軍による日本本土空襲ジャンボリー作戦参加するため出撃した。2月16日から17日および25日3度にわたり、艦載機東京初めとする関東地方各地軍事施設工場攻撃した日本軍抵抗は驚くほど微弱で、艦載機大した損害もなく空母収容されていった3月7日第58任務部隊ウルシー帰投したが、3月11日特別攻撃隊による特攻攻撃を受け、空母ランドルフ」が損傷した3月続いて、「エセックス」は沖縄戦参加3月28日から5月23日までの間、断続的に航空支援提供し続けたこの間に再び第5艦隊第3艦隊となってハルゼー大将マケイン中将部隊指揮を執った。4月7日には、沖縄水上特攻作戦出撃した戦艦大和」等の撃沈貢献している(坊ノ岬沖海戦)。 レイテ湾での整備の後、「エセックス」はボーガン少将の第38.3任務群の一艦として、日本本州各地対す最終攻撃参加した。「エセックス」の艦載機は、7月10日厚木海軍飛行場攻撃皮切りに東北地方青函連絡船などに対す攻撃遂行した8月15日日本の降伏の後、「エセックス」は9月3日まで戦闘哨戒継続したその後直ぐにアメリカ本国帰国9月15日ブレマートン入港しそのまま1947年1月からはブレマートン海軍基地において「ヨークタウン」、「タイコンデロガ」、「レキシントン」、「バンカーヒル」、「ボノム・リシャールとともに予備艦隊編入されモスボール処理のうえ保管された。

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