日昌丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 08:18 UTC 版)
日昌丸(にっしょうまる)は、南洋海運が1939年に建造した貨客船。日本の大型外航貨客船のうち病院船以外で太平洋戦争を生き残った唯一の船である。1956年には戦後初の巡航見本市船として東南アジア各地を回り、記念切手も発行された。
注釈
- ^ 駒宮(1987年)は、ヒ71船団と一部重複する時期のカタ626船団加入船にも本船を挙げている。同船団は8月6日に鹿児島港発・8月9日に那覇港経由・8月15日に基隆着となっている[19]。しかし、同書のヒ71船団の行程と矛盾するうえ、陸軍運輸部作製の『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』でもカタ626船団と同行程の船団加入船にあるのは本船ではなく「日昇丸」(2284総トン)で、逆に本船はヒ71船団の初期加入船に数えられている[20]。
- ^ 近海用の貨客船では「興安丸」と病院船「高砂丸」が残っていた[29]。また、1920年(大正9年)竣工・4千総トン級の中型老朽船であるが、同じ南洋海運所属の「サマラン丸」も残存している。
出典
- ^ a b 岩重(2011年)、12頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1943年、内地在籍船の部212頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050083400、画像28枚目。
- ^ Nissyo_Maru_class
- ^ 「南洋海運設立―資本金八百五十万円 社長には浅野平二氏」『大阪朝日新聞』1935年7月3日。
- ^ a b c d 岩重(2011年)、107頁。
- ^ a b c 吉田(1965年)、371頁。
- ^ 引き揚げ一万人越す、外務省発表『朝日新聞』(昭和16年11月25日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p457 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ Cressman (1999) , p. 173.
- ^ a b 吉田(1965年)、364-367頁。
- ^ 吉田(1965年)、368頁。
- ^ a b 吉田(1965年)、370頁。
- ^ 駒宮(1987年)、65頁。
- ^ 駒宮(1987年)、79頁。
- ^ 駒宮(1987年)、96頁。
- ^ 特務艦聖川丸 『自昭和十九年七月一日 至昭和十九年七月三十一日 特務艦聖川丸戦時日誌』 JACAR Ref.C08030649400、画像18枚目。
- ^ 駒宮(1987年)、173、180頁。
- ^ 駒宮(1987年)、204-205頁。
- ^ 駒宮(1987年)、225-228頁。
- ^ 駒宮(1987年)、225頁。
- ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 JACAR Ref.C08050112800、画像21枚目。
- ^ 駒宮(1987年)、240-241頁。
- ^ 駒宮(1987年)、297頁。
- ^ 防衛庁防衛研修所(1970年)、538頁。
- ^ 駒宮(1987年)、303頁。
- ^ 防衛庁防衛研修所(1970年)、550頁。
- ^ a b c 駒宮(1987年)、315-316頁。
- ^ 日本郵船株式会社『日本郵船戦時船史』 下、日本郵船、1971年、816-817頁。
- ^ 駒宮(1987年)、346、351頁。
- ^ a b c 岩重(2011年)、64頁。
- ^ a b 日本郵船歴史博物館 「航跡 第48回:戦後初の機械巡航見本市船」『YUSEN』2006年7月号、日本郵船、2006年。
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