じばん‐ちんか〔ヂバン‐〕【地盤沈下】
地盤沈下
地盤沈下は,いわゆる典型七公害の一つに数えられており,その原因は種々ありますが,鉱物の採掘のための土地の掘削によるものを除き(別途,鉱山保安法等により対処されている。),地下水の過剰採取によるものです。地盤沈下は沈下現象の把握がしにくく,沈下がはじまると急速に進む可能性が大きく,いったん沈下すればほとんど回復しないとされています。
地盤沈下 (じばんちんか)
地盤沈下
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/11 05:49 UTC 版)
地盤沈下(じばんちんか)とは、地盤(地表面)が収縮や陥没により相対的に沈む現象[1][2]。堆積盆地の沖積層[3]における地盤沈下は世界中のどこでも発生する[4]。
- ^ a b c d e f g 石田哲朗. “地盤沈下と対策”. 東洋大学理工学部都市環境デザイン学科. 2020年7月18日閲覧。
- ^ a b 日本地下水学会/井田徹治著、『見えない巨大水脈 地下水の科学』、講談社、2009年5月20日第1刷発行、ISBN 9784062576390
- ^ 藤井昭二、「“沖積層”と地盤変動」 『第四紀研究』 1966年 5巻 3-4号 p.103-112, doi:10.4116/jaqua.5.103
- ^ 石井求、「関東平野(その 1) : 東京の地盤沈下」 土質工学会論文報告集. 18(4) , NDLJP:10447265, NAID 110003914435
- ^ a b c d e f 青木滋, 上條賢一、「新潟平野の地盤沈下の現況について 『日本地質学会学術大会講演要旨』 第105年学術大会(98松本) p.525-, doi:10.14863/geosocabst.1998.0_525
- ^ “平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に伴う地盤沈下調査”. 国土地理院 (2011年4月14日). 2011年4月16日閲覧。
- ^ 気象庁発表と読売新聞2011年4月15日13S版33面
- ^ “宮城県沿岸部における地震に伴う地盤沈下について”. 国土交通省 (2011年5月26日). 2012年1月28日閲覧。
- ^ “東京湾岸における液状化現象と地盤沈下量について(第1報)”. 国土地理院地理地殻活動研究センター (2011年9月8日). 2012年7月11日閲覧。
- ^ 寒川旭 『揺れる大地 日本列島の地震史』 同朋舎出版、1997年
- ^ 今村明恒(1941)、「白鳳大地震」 地震 第1輯 1941年 13巻 3号 p.82-86, doi:10.14834/zisin1929.13.82
- ^ 石橋克彦(1999)、「文献史料からみた東海・南海巨大地震」 地學雜誌 1999年 108巻 4号 p.399-423, doi:10.5026/jgeography.108.4_399
- ^ O-1石橋克彦 (PDF) 「1099 年康和南海地震は実在せず、1096年永長地震が東海・南海地震だった」という作業仮説, 第32回歴史地震研究会, 口頭発表セッション1
- ^ 神田茂(1968): 康和元年土佐における大地震 地震 第2輯 1968年 21巻 2号 p.142-143, doi:10.4294/zisin1948.21.2_142
- ^ 今村明恒(1930) 今村明恒(1930): 宝永四年の南海道沖大地震に伴へる地形変動に就いて, 地震 第1輯, 2, 81-88.
- ^ 間城龍男 『宝永大地震 -土佐最大の被害地震-』 あさひ謄写堂、1995年
- ^ 都司嘉宣(1988): 安政南海地震(安政元年11月5日,1854・11・24)に伴う四国の地盤変動, 歴史地震, 4号, 149-156.
- ^ 沢村武雄(1951)、「南海地震に伴つた四國の地盤變動に封する一考察」 地学雑誌, 1951年 60巻 4号 p.190-194, doi:10.5026/jgeography.60.190
- ^ 高木金之助編、沢村武雄 「五つの大地震」『四国山脈』 毎日新聞社、1959年
- ^ Plafker(1970) Plafker, G. and Savage, J. C.(1970): Mechanism of the Chilean earthquakes of May 21 and 22, 1960, Geol. Soc. Am. Bull., 81, 1001-1030.
- ^ Felipe Villalobos CRUSTAL DEFORMATION ASSOCIATED WITH THE 1960 EARTHQUAKE EVENTS IN THE SOUTH OF CHILE (PDF)
- ^ USGS Professional Paper 1707 (PDF) The Orphan Tsunami of 1700-Japanese Clues to a Parent Earthquake in North America
- ^ a b 地盤沈下防止対策研究会 1990, p. 20.
- ^ 井関弘太郎、「日本における三角州平野の変貌」 『第四紀研究』 1972年 11巻 3号 p.117-123, doi:10.4116/jaqua.11.117
- ^ 遠藤ほか 2001, p. 74.
- ^ a b 植下協、「地盤沈下(1)総論」 地下水学会誌 1987年 29巻 4号 p.183-192, doi:10.5917/jagh1987.29.183
- ^ a b c d e f g 和達清夫、「土質基礎の回顧と点描・補遺 : 5.地盤沈下研究の回顧 『土と基礎』 1976年 24(11), 土質工学会, NDLJP:10429301
- ^ 遠藤ほか 2001, p. 75.
- ^ 遠藤ほか 2001, pp. 75–76.
- ^ a b 遠藤ほか 2001, p. 76.
- ^ 桑原徹, 植下協, 板橋一雄、「濃尾平野の地盤沈下とその解析』 『土質工学会論文報告集』 19(2), xi, 1979, NDLJP:10447428, NAID 110003983239
- ^ a b 遠藤ほか 2001, p. 77.
- ^ 遠藤ほか 2001, p. 83.
- ^ 谷中隆明, 前川統一郎, 永野多美雄、「準三次元モデルによる新潟県六日町の地盤沈下予測」 『地下水学会誌』 1989年 31巻 3号 p.155-163, doi:10.5917/jagh1987.31.155
- ^ 新潟平野における地盤沈下 農業土木学会誌 1980年 48巻 12号 p.plate1-plate2, doi:10.11408/jjsidre1965.48.12_plate1
- ^ “暴れる地下水、60m上昇も…首都高・鉄道影響”. 読売新聞. (2013年4月27日) 2013年4月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “沈みゆくフィリピン諸島、地下水くみ上げの脅威 気候変動上回る”. AFP. (2019年6月9日) 2020年7月18日閲覧。
- ^ 筑波研究学園都市パンフレット 国土交通省 2003.8 (PDF)
- ^ 地質ニュース 406号 pp.56-pp.59 国土地理院 1988.6 (PDF)
- ^ 2006年度筑協交通状況実態調査報告書 筑波研究学園都市交流協議会筑協委員会 2007.3 (PDF)
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:37 UTC 版)
大正大噴火の前の歴史時代大噴火であった安永噴火の際も、錦江湾奥で地盤沈下が起きたことが知られている。安永噴火は歴史時代の四大噴火の中で最も総噴出物量が大きかったと推定されており、噴火後の地盤沈下も大正大噴火時よりも大きかったと考えられている。 大正大噴火後の地盤沈下は姶良カルデラを中心とした同心円状に発生した。沈降は約数十センチメートルから2メートルに達し、鹿児島市内でも約30~50センチメートルの沈降が観測された。この地盤沈下によって鹿児島湾奥では江戸時代に造成された干拓地、塩田が海没する被害が発生し、1914年8月に襲来した台風による高潮によって被害が更に拡大した。
※この「地盤沈下」の解説は、「桜島の大正大噴火」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「桜島の大正大噴火」の記事については、「桜島の大正大噴火」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:52 UTC 版)
現代のヴェネツィアは、他地域への人口流出、水害や地盤沈下、大気や水の汚染、建造物の老朽化など多くの問題に直面している。1966年の大水害の後には、歴史的な町を守るための国際的な運動がユネスコの主唱で組織された。 大潮、低気圧、そしてアドリア海の東南から吹く風「シロッコ(scirocco)」の3つの要因が重なると、「アックア・アルタ(acqua alta、高水の意)」と呼ばれる異常潮位を起こす高潮がヴェネツィア湾で起こる。このとき、ヴェネツィアの街中まで水が入り込み、特に一番低い「サン・マルコ広場」は水没する(広場や道路には臨時の高床が組まれ、通行を確保する)。過去に北の対岸の本土マルゲーラ地区で工業用の地下水のくみ上げが行われたことにより地盤沈下が起こり、アックア・アルタによる浸水の水位が1メートル以上になったこともある。建造物の沈下は、地下の帯水層の流出が原因とされるため、地下水使用の制限やアルプスからの水道の導入などで対処している。さらに今後の地球温暖化によって海面上昇が加速されることとなれば、将来ヴェネツィアの街全体がアドリア海に水没してしまうことが懸念されている。
※この「地盤沈下」の解説は、「ヴェネツィア」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「ヴェネツィア」の記事については、「ヴェネツィア」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:41 UTC 版)
水溶性ガス田は、地下100~1000m程度のかん水が特徴であり、汲み出すだけでガスを容易に分離することができるため、古くから採掘されてきた。1960年代の新潟平野では過剰な地下水の汲み上げがたたり、広い地域で地盤沈下が発生。農業用水路などが寸断するなどの被害が発生した。このため、汲み上げた地下水を再び地下に涵養するなどの対策方法の開発が講じられ、生産が行われている。
※この「地盤沈下」の解説は、「ガス田」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「ガス田」の記事については、「ガス田」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:09 UTC 版)
1950年代半ば、新潟市周辺で著しい地盤沈下が発生した。これは地下の含水層に溶融している水溶性天然ガスの採取を目的に地下水を汲み上げることによるもので、市域周辺の市街地化進捗や生活様式の近代化に伴って揚水量が急増し、地下水位が急激に低下したことによって引き起こされたものであった。急激な地盤沈下によって、市内中心部では堀の水質悪化や、港湾部の慢性的な浸水、信濃川河口の突堤の決壊、海岸沿いの砂丘の崩壊などといった深刻な被害が生じ、新潟市や新発田市をはじめとする周辺市町村で広い範囲にわたり、1年間あたり平均20 cm以上、特に坂井輪地区(現在の新潟市西区北部)では53.7 cmの沈降(1960年の観測データ)が発生するなど、大きな社会問題となった。 このため、国と県、各市町村が地盤沈下の原因究明のため組織的な調査を実施した結果、1959年(昭和34年)、当時の科学技術庁内に設けられていた資源調査会は「地下水の急激な大量揚水であるとの説を重視せざるを得ない」との見解を発表し、さらに翌1960年(昭和35年)の最終報告において「主原因はガス・水の大量汲み上げである」と断定した。これに基づいて1959年(昭和34年)以降、新潟市周辺では水溶性天然ガスや一般地下水の採取規制が順次実施され、大規模な地盤沈下はほぼ沈静化した。 萬代橋はこの一連の地盤沈下によって、橋梁部全体が架橋当初より約1.2 m沈降した。この大規模沈下が沈静化した後も地盤沈下そのものは更に進んだため、今日においては架橋当初と比較して橋梁部全体が約1.4 m沈降している。橋脚の水面付近には、橋脚に当たる流水の水圧を和らげるため「水切り」と呼ばれる半球状の構造物が設けられているが、水切りは現在、その大部分が水面下に没している。 1961年(昭和36年)4月25日、国道7号の新潟市本町通七番町から新発田市猿橋までの延長24.3 kmが、国が直轄管理を行う指定区間に指定されたのに伴い、萬代橋の管理業務は新潟県から当時の建設省に移管された。
※この「地盤沈下」の解説は、「萬代橋」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「萬代橋」の記事については、「萬代橋」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 16:20 UTC 版)
軟弱な地盤の影響で、佐賀平野は日本でも有数の地盤沈下地帯となっており、いわゆる海抜ゼロメートル地帯と呼ばれる地域も散在する。地盤沈下は1950年代から始まったと見られ、1960年には白石地域北部で大規模な沈降による窪みが出現し広く知られるようになった。その後も断続的に地盤沈下は進み、1994年には1年間で16cmという過去最大の沈降を観測した。主因は地下水の過剰な汲み上げと見られており、上下水道や農業用水路の整備が進んだ佐賀市方面では沈下は緩やかになってきている。白石地域でも地下水取水量は減少しているものの、更なる削減が必要だと見られている。
※この「地盤沈下」の解説は、「佐賀平野」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「佐賀平野」の記事については、「佐賀平野」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 17:07 UTC 版)
「パリセード・センター」の記事における「地盤沈下」の解説
モールが建設された場所は、もともと沼地だった。このため、建物全体が地盤沈下しているという噂がある。
※この「地盤沈下」の解説は、「パリセード・センター」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「パリセード・センター」の記事については、「パリセード・センター」の概要を参照ください。
地盤沈下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:18 UTC 版)
1980年代半ば、エコーフィスク油田は予想不能の地盤沈下に苦しめられた。地質調査の結果、エコーフィスク油田がある地盤は石灰岩の地盤であることが判明した。石油、天然ガスといった炭化水素が生産され、地盤の下には炭化水素の代りに水に置き換えられたため、石灰岩が溶け始めたのであった。地盤沈下は数メートル記録し、フィリップスがプラットフォームの操業するには困難になった状況に陥った時までに6メートルの地盤沈下になったと推測されている。ノルウェー政府はフィリップスに対し地盤沈下対策をとるよう迫り、またフランスのテクニップ(英語版)に問題解決を命令した。7つのうち5つのプラットフォームが相互に連結し同時に6メートル、ジャッキで持ち上げられなければならなかった。この解決策によりプラットフォームの鉄製の脚が伸ばされた。結果としてこれらの脚に巨大なフランジが溶接され、5つのプラットフォームは1回の作業で同時に持ち上げられた。すべてのフランジが溶接されたのちに、プラットフォームは安全になった。1987年8月17日から4日間にかけ、14のNUM 760FCNCと連結した108の液圧式懸架装置(hydraulic cylinders)によりこの作業が行われた。プラットフォームを38時間で6メートル持ち上げる為に、プラットフォームの高さのずれの許容範囲はプラスマイナス100ミリメートルしかなかったため、液圧式懸架装置の高さのずれの許容範囲は相互にプラスマイナス3ミリメートルしかなかった。脚にフランジを溶接している間に、これらの液圧式懸架装置が問題がひとつない機械として取り付けられた。6メートル持ち上げる前に一日かけ、他のプラットフォームと連結していない宿泊用プラットフォームが持ち上げられた。持ち上げられたプラットフォームの重量は約40,000トンであり、ギネスブックにも記録されている。
※この「地盤沈下」の解説は、「エコーフィスク油田」の解説の一部です。
「地盤沈下」を含む「エコーフィスク油田」の記事については、「エコーフィスク油田」の概要を参照ください。
「地盤沈下」の例文・使い方・用例・文例
地盤沈下と同じ種類の言葉
- 地盤沈下のページへのリンク