そして現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:02 UTC 版)
高校教師時代には毎年、中国の京劇と日本の舞踊の融合による公演に熱意を注いできたが、最近は日本公演のみならず中国公演も企画したりと、ユニークな日中文化交流の発展に力を入れており、同時に日中の高校の交流にも尽力し、北京の高校生の集団での日本訪問などにも積極的に関与し、民間外交を展開している。 2010年3月、定年を2年残して33年間勤務した慶應義塾高等学校を退職。 2011年の3月には神奈川県横浜市と中国:北京市で公演を開催した。 2013年2月に、「OPEN YOUR EYES、あなたの瞳に輝きを。虚実の夢」と題する芝居と講演を組み合わせた公演を、東京と京都で開催し、新境地を開いている(原作と主演)。 明治期以降に日本へ入った欧米の民謡や歌曲の和訳、中国語訳に新たなる観点から取り組み、3つの言語(英語、日本語、中国語)が絡みあった、これらの曲への、かつての政治や社会情勢の過去の好ましくない影響を排除し、音楽(原型)の正しい解釈や普及の必要性を説いたり、明治期や古典的な詩だけではなく現代歌謡曲の翻訳も手がけ、日中間の音楽・文化の交流を図るほか、作詞、作曲も手がけている。明治期の歌謡の研究では、2011年の1月の「世紀の大発見」と言われた「仰げば尊し」などの19世紀の原曲(The Song of Close of School)の発見で有名な、櫻井雅人一橋大学名誉教授(英語学、英米歌謡論)などとも親交があり、協力して研究や活動をする姿勢を示している。 2012年11月発売のCD『同学・晩秋』は、一連の研究の中から、明治期の唱歌を現代に蘇らせるために独自に企画されたもので、日本人によく知られた曲である「仰げば尊し」と「旅愁」を、日本語、英語、中国語で新旧の歌詞やメロディー、歌唱で蘇えらせた。「仰げば尊し」の英語の歌詞による原曲がCDになるのは、世界初と言われている(これまでレコードにもなっていない。)。 このような欧米音楽の日本や中国など、東アジアへの導入過程についての歴史的研究を通し、ザ・タイガース時代の若年からの音楽への関心からくる音楽的な知識や関心と、その後の多年にわたる教師としての中国語、中国文学研究の成果を一つに纏めて、自身のユニークな経験を踏まえた研究を携え、音楽、文学、原語を超えた新境地、新分野を開こうと活動している。 また、集英社から『瞳みのる』名義で自伝『ロング・グッバイのあとで。ザ・タイガースでピーと呼ばれた男』が2011年2月25日に出版され、タイガース時代のこと、解散以後の生活などが綴られている。人気スターから学校教師、そしてミュージシャンとしての「復活」のみならず、自身が40年の沈黙を破る形で「出現」したということもあって、ベストセラーとなった。 2011年1月6日、C.C.Lemonホールで開催された沢田研二の正月コンサートにおいては岸部一徳、森本太郎に挟まれる形で瞳は観客席に座った。気付いた観客の間で大きなどよめきが起こり、40年振りに姿を現した瞳の話題で持ちきりとなった。 2011年2月8日には『上柳昌彦 ごごばん!』(ニッポン放送)ごごばん!トークセッションのコーナーに生出演し、40年ぶりに放送メディアに登場した。2月8日の朝日新聞朝刊「ひと」欄や2月10日の産経新聞にも登場している。5月22日と29日に放送のTBSラジオの、「嶌信彦のエネルギッシュトーク」にも出演して、近況やタイガース時代のことを語り、8月25日発売の週刊文春(9月1日号)の阿川佐和子との対談にも登場して、昔話や最近の活動について語っている。 ザ・タイガースの曲に関する本の執筆、幾つかの違ったテーマでの詩や音楽、そして中国語とその文化を組み合わせた出版、テレビ、ラジオなどでの教育、文化面での今後の活動を計画している。 2011年7月18日、ザ・タイガース解散以来、一般大衆の面前に主人公として「登場」するのは40年ぶりとなる瞳の講演会が京都で催された際には、京都だけではなく全国からオールドファンを中心に集まるという、再燃とも言うべき「熱」が沸きあがった。 2011年9月8日からスタートした沢田研二の2011年 - 2012年コンサートツアー【5ヶ月間、全国38ヶ所開催】にて森本太郎、岸部一徳と共に瞳が全公演にゲスト参加することが決定すると、旧来のファンを中心に大きな話題となった。1971年1月24日の武道館での解散コンサート以来、40年ぶりにミュージシャンとしての活動を本格的に再開することとなり、そして9月8日、東京国際フォーラムでの沢田研二ライブツアー初日、瞳は1971年1月24日の日本武道館以来となるステージに立った。 2012年1月18日放送のNHKの『SONGS』「沢田研二、ザ・タイガースを歌う」(NHK総合テレビ)で、沢田、岸部、森本とともに出演した。瞳にとってはデビュー45年目にして初めてのNHKテレビへの出演となった。 ザ・タイガース解散(1971年1月24日)から41年目のその日となった2012年1月24日の沢田研二ライブツアー最終日の日本武道館公演では、岸部四郎も登場して第二期タイガースメンバーで勢揃いとなり、当日の聴衆を沸かせることともなった 2012年2月から4月にかけて、全国で自らの講演会(トークライブ)を開催した。 2012年11月19日森本タローとスーパースターとのジョイントコンサート「Childfood Friend」を中野サンプラザで開催。幼馴染の二人の温かさが伝わるライブとなった。 最近は、古くからのファンなどからはタイガース解散から現在までの瞳の経歴を加味して、「ピー先生」「人見老師」などのニックネームで呼ばれている。2012年12月には、自著の『老虎再来』(祥伝社刊)が出版され、沢田研二コンサートツアー(岸部兄、森本と共にゲスト参加)同行記を始め、瞳自身に関する最近の動向が盛り込まれ、最近の活動について綴られている。 一方、2013年1月には、加橋かつみも復帰し、44年ぶりにザ・タイガースのオリジナルメンバー全員による全国ツアーコンサートが開催されることが、沢田から発表されて、大きな話題となった。 2013年1月13日の、朝日新聞の「天声人語」では、瞳のユニークな活動とタイガースの動向について書かれ、これまた話題になった。2013年に入って、瞳に関する、新聞、週刊誌、ラジオ、テレビでの報道が頻繁に行われると共に、瞳自身についても団塊世代のユニークかつ、代表的な人物として見る向きもあり、日本や中国でのラジオ、テレビへの出演や、マスコミなどからの接触・報道も多くなっている。また、音楽史、音楽論の研究の中で、タイガースの一番のヒット曲である、「花の首飾り」の誕生や広がりについてのユニークな研究書(『ザ・タイガース 「花の首飾り」物語』(小学館))が11月末に出版された。この本は、忘れられていたこの曲の作詞者、関係者を尋ね歩き、この曲にまつわる様々な話をインタビューも多用して発掘するもので、後述の、この曲の歌詞が誕生した北海道の八雲町との関係の強化や、同町でのコンサートの開催などにつながり、町起こしにも役立てられている。 2013年12月3日、オリジナルメンバーによる44年ぶりのザ・タイガース復活ライブの第一弾が日本武道館で開催された。それに続き、最後の東京ドームを含む全国7都市(合計8か所)で公演が開催された。チケットは完売でいずれの会場も熱狂的なファンで埋め尽くされたほか、最終の東京ドーム公演(12月27日)には岸部四郎も病を押して登場、史上初めてザ・タイガースの全メンバー6人が一堂に会することが実現した。この模様は2014年1月24日にNHK BSプレミアムで放送された。 日本文芸家協会の「ベスト・エッセイ2014」に、前年に「文藝春秋」に書いた「自由が丘の金田中」が選出され、他の作品とともに単行本(光村図書)に収録され、文筆分野でもその才能を発揮している。また2017年12月には、『北京を知るための52章』(明石書店)を編集、出版し、長く関係が深かった北京の街について紹介している。 2014年4月に、神奈川歯科大学特任教授に就任。横須賀市での公演会も開催している。 2014年6月から10月にかけて、新編成の「瞳みのる&二十二世紀バンド」による、「瞳みのるエンタテイメント2014~歌うぞ、叩くぞ、奏でるぞ」の公演を全国20か所で実施、続いて2015年9月から12月にかけて、バンドツアー「Let's Goカキツバタ」を全国公演した。 一方、2014年9月には、「花の首飾り」歌詞の生まれ故郷である北海道二海郡八雲町の公民館で、「花の首飾り町づくりコンサート」を、この曲の作曲者の、すぎやまこういちと、東京メトロポリタン・ブラス・クインテットの協力で行った。2015年9月に同町で第二回を開催した。この公演と、瞳の北海道への関心と協力に合わせ、八雲町の観光大使、北海道の観光大使にも就任した。 2015年の1月から2月にかけて、自身の原作、プロデュースによる、「仲麻呂と楊貴妃~邯鄲の夢~」を、東京、大阪、名古屋で公演した。 2016年には、「瞳みのる&二十二世紀バンド」による国内での公演の他、初めて同バンドの北京公演を実施した。この公演はフジテレビによって日本国内で放送された。 2017年の12月には、二十二世紀バンドによる初めての台湾公演が台北市において行われた。 2018年5月12日、兵庫県神戸市の湊川公園において開催の「第18回神戸新開地音楽祭」メインステージ「GSゴー↗ゴー↗ナイト」にスペシャルゲストとして出演。 2019年3月11日、72歳で子供を授かった。
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