かなの成り立ちとは? わかりやすく解説

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かなの成り立ち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)

日本の書道史」の記事における「かなの成り立ち」の解説

漢字の伝来により、漢字使って日本語文章を記す努力始まり、この表記法時代とともに変化した。『山ノ上碑』(681年)では、漢字日本語語順並べ、「送りがな」や「てにをは」など後世かなで書かれる部分を記さない文章となっている。 借字万葉仮名奈良時代天皇命令記した宣命という文書では、「送りがな」や「てにをは」は漢字の音を借りて小さく書き入れている。「の」には「乃」、「は」には「波」、「を」には「乎」などを一定して使っている。このように漢字使い日本語の音に当てはめて書き記す表記法借字しゃくじ)という(真仮名〈まがな〉とも呼ばれる)。借字後世江戸時代から)万葉仮名呼ばれるようになった。4,500首あまりの和歌収録する『万葉集』に、この借字用いられていることによる和銅4年711年成立『古事記』には日本語の音を表現するために、借字漢字の訓を交えて読ませる工夫施されている。 正倉院万葉仮名文書正倉院万葉仮名文書』(しょうそういんまんようがなもんじょ)とは正倉院中倉に伝わる紙背文書で、一字音の借字ばかりで書かれ文書2通のことである。2通のうちの1通(文頭が「和可夜之奈比乃(わがやしなひの)…」)の紙背には、天平宝字6年762年1月のものと考えられる記録造石山寺所食物用帳』が記されており、この仮名文書は天平宝字6年より以前のものであることがわかる。もう1通(文頭が「布多止己呂乃(ふたところの)…」)の紙背には、天平宝字6年1月30日2月1日付の『造石山寺公文案』という文書があり、筆者異なるものの、前の1通と同時期に書かれたことがわかる。両文書とも行書体草書体交えて書かれており、1つの音には1つの字を統一して使い、あまり画数の多い字は使っておらず、現在の「かな」の感覚に近い使い方をしている。また筆者能書ではなく一般の人の書きぶりである。 借字文字数減少 奈良時代上代特殊仮名遣により音の数は87音(最大88音)あり、各音に対して数種から十数種の漢字をあてたため、1,000近く借字があった。その後画数少なく書きやすい字に淘汰されていったことや、甲類乙類混合音の数が少なくなったことにより、平安時代後期には約300字に字母減少した草仮名の手)、片仮名 文字数減少平行して字体簡略化進み平安時代初期借字草書体美しく表現した草仮名そうがな)が使われた。草仮名筆跡として、『秋萩帖』(あきはぎじょう)、『綾地歌切』(あやじうたぎれ)などがある。草仮名の手(そうのて)とも呼ばれた。「手」とは筆跡のことである。 また、主として借字一部用いて片仮名誕生した片仮名平安時代初期のころより僧侶経典を読むための訓点として、その行間余白記入したのが最初である。小さく書けること、速く書けることの必要性から当初から記号的な性質の強いものだった平安時代中ごろになって現在の片仮名近くなったが、それまではもとの漢字字形に近いものも多く筆者による差異小さくなかった。 女手平仮名平安時代中期になると、草仮名をさらに崩し簡略化して記した仮名すなわち平仮名誕生する当時仮名数字分を続け字にするいわゆる連綿でもって綴られ女性が使うことが多かったことから女手おんなで)とも称した。これは貴族はじめとする宮中男子官人がその職務上、漢字文を多く書き記さなければならなかったことから、男の書いたものを男手おとこで)と称したのと対照したのである。ただし仮名の文でもたいていの漢語漢字で書くように当時慣習づけられており、女性もそれら漢語漢字書くことができなければ仮名の文を綴ることができなかったし、男性和歌女手すなわち仮名綴っていた。このころ貴族男女交際もっぱら和歌やりとりであり、和歌内容もちろんのこと仮名書きぶりその人物の評価決めるひとつであった。また『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集編纂などもあって、かな書道全盛期迎えるに至る。 この時代書名のあった人物中期詳細は「日本の書家一覧#中期」を参照 この時代筆跡中期筆跡名筆年代書体書風所在周易宇多天皇 897年ごろ 行書草仮名片仮名 宮内庁 紀家集 大江朝綱 919年 行草唐様 宮内庁書陵部 白詩醍醐天皇 不詳 草書狂草 東山御文庫 智証大師諡号勅書 小野道風 927年 行書和様 東京国立博物館 屏風土代 小野道風 928年 行書和様 三の丸尚蔵館 玉泉帖 小野道風 不詳 行草唐様和様 三の丸尚蔵館 継色紙小野道風 11世紀前半 草仮名・かな 諸家分蔵 秋萩帖小野道風 10世紀末ごろ 草仮名 東京国立博物館 虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名消息 不明 967年ごろ かな 石山寺懐紙 藤原佐理 969年 行書和様 香川県立ミュージアム 国中文帖 藤原佐理 982年 草書 春敬記念書道文庫 離洛帖 藤原佐理 991年 草書 畠山記念館 綾地歌切藤原佐理 不詳 草仮名 畠山記念館 稿本北山抄紙背仮名消息 不明 11世紀初頭 かな 京都国立博物館 御堂関白記 藤原道長 998年 - 1021年 行・かな 陽明文庫 稿本北山抄 藤原公任 11世紀 行草 京都国立博物館 巻子本和漢朗詠集藤原公任 不詳 行草 三の丸尚蔵館 白楽天詩巻 藤原行成 1018年 行草和様 東京国立博物館 本寺切 藤原行成 不詳 行草和様 本能寺 三宝感応要録紙背仮名消息藤原行成 不詳 かな 京都鳩居堂 升色紙 不明 11世紀後半 かな 諸家分蔵 関戸本古今集 不明 11世紀後半 かな 個人ほか 粘和漢朗詠集 不明 不詳 行草・かな 三の丸尚蔵館 高野切一種 不明 不詳 かな 土佐山家宝物資料館ほか 高野切二種 源兼行推定不詳 かな 毛利博物館ほか 高野切三種 不明 11世紀中ごろ かな 諸家分蔵 寸松庵色紙 不明 11世紀後半 かな 諸家分蔵 藍紙万葉集 藤原伊房 不詳 行書・かな 京都国立博物館 堤中納言集 伝紀貫之 不詳 かな 小野道風智証大師諡号勅書 小野道風屏風土代 小野道風玉泉帖 継色紙 秋萩帖 藤原佐理・離洛帖 藤原公任稿本北山抄藤原公任巻子本和漢朗詠集 藤原行成白楽天詩巻 藤原行成本能寺升色紙 関戸本古今集 高野切一種 高野切二種 高野切三種 寸松庵色紙紀貫之堤中納言集 伝藤原公任・大色紙

※この「かなの成り立ち」の解説は、「日本の書道史」の解説の一部です。
「かなの成り立ち」を含む「日本の書道史」の記事については、「日本の書道史」の概要を参照ください。

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