正倉院とは? わかりやすく解説

しょうそう‐いん〔シヤウサウヰン〕【正倉院】

読み方:しょうそういん

【一】奈良市東大寺大仏殿西北にある宝庫天平時代建造で、校倉(あぜくら)造り北倉・南倉を、板倉である中倉がつなぐ。宝物には、聖武天皇遺愛品や東大寺文書寺宝などのほか、ペルシアおよびアジア各地遺品含まれ東洋美術の粋を伝える。現在は宮内庁所管

【二】正倉およびその敷地一郭正蔵院

正倉院の画像

正倉院 (しょうそういん)


正倉院

読み方:ショウソウイン(shousouin)

古代大蔵省諸国寺院置かれ倉庫で、正倉のある一画


正倉院

作者山之口洋

収載図書天平冥所図会
出版社文藝春秋
刊行年月2007.7


正倉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 03:50 UTC 版)

正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉高床倉庫)。聖武天皇光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されている。


注釈

  1. ^ イギリスのSoame Jenyns(1904 - 1976)は「Jenyns, Soame; Watson, William(1963), Chinese art; the minor arts 邦訳 中国工芸、美術出版社」で、「江戸時代の日本で制作された」と推定した。ただ、現在は支持されてはいない。正倉院に納入された時代が不明であることもあり、1960年代から制作地制作年代には諸説がある。
  2. ^ 建築史家の鈴木嘉吉は校木収縮説を明確に否定しており、正倉院事務所長を務めた和田軍一も否定的見解を述べている[22]
  3. ^ 展覧会の「協力」とは、一般に開催する展覧会を成功させるため、広報や技術提供、観覧者満足度の向上などの側面において主催者の支援を行うこと。通常「協力」主体は、直接の資金援助は行わず、反対に観覧収入などから見返りも受けない。

出典

  1. ^ 三訂版、知恵蔵、防府市歴史用語集、世界大百科事典内言及, 精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉、日本大百科全書(ニッポニカ)、百科事典マイペディア、日本歴史地名大系、山川 日本史小辞典 改訂新版、世界大百科事典 第2版、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、旺文社日本史事典. “正倉院(しょうそういん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年11月24日閲覧。
  2. ^ a b 公開講座『正倉院の工芸 遣唐使は何を持ちかえったか』 奈良女子大学社会連携センター
  3. ^ a b 西川明彦「正倉院宝物の意匠にみる国際的展開」米田雄介ほか編『正倉院への道天平の至宝』(雄山閣出版、1999)所収、p.132
  4. ^ “神宿る海の正倉院 厳格な禁忌、守られた宝物”. 産経ニュース. (2017年5月6日). https://www.sankei.com/article/20170506-QPP22HRA4RJ7NEIQAOB7TOUBHE/ 
  5. ^ “高野山 霊宝館 1000年後見据え、文化財を保存 “山の正倉院”開館100年 /和歌山”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2021年5月31日). https://mainichi.jp/articles/20210531/ddl/k30/040/239000c 2022年7月15日閲覧。 
  6. ^ 春日大社 国宝殿
  7. ^ “春日大社 千年の至宝「平安の正倉院」の名品”. 毎日新聞. (2017年1月23日). https://mainichi.jp/articles/20170123/dde/012/040/008000c 
  8. ^ 平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-国宝 平城宮跡出土木簡-」 平城宮跡資料館
  9. ^ a b 由水 1996
  10. ^ 2010.10.28のおしらせ元興寺文化財研究所
  11. ^ 東大寺ミュージアム | 東大寺・奈良公園 [奈良県]”. 国宝を巡る旅. 2023年11月24日閲覧。
  12. ^ 主に米田・杉本『正倉院美術館』による
  13. ^ 伊藤義教『ペルシア文化渡来考』 岩波書店、1980年
  14. ^ 正倉院の香木“蘭奢待”について知りたい”. 国立国会図書館. 2024年3月26日閲覧。 “蘭奢待 らんじゃたい 正倉院中倉に伝世する香木。”
  15. ^ 奈良国立博物館だより 第23号”. 奈良国立博物館. 2024年3月26日閲覧。 “香道が盛んになった室町時代以降の関心の的は、なんといっても蘭奢待です。足利義満・足利義教・足利義政・織田信長・徳川家康など、時の権力者がこれを截ったこともよく知られています。近代に入ってからは、明治10年(1877)に明治天皇が截らせています。”
  16. ^ 改訂新版, 山川 日本史小辞典. “正倉院 螺鈿紫檀五絃琵琶とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月23日閲覧。
  17. ^ 歌唱編|文化デジタルライブラリー”. www2.ntj.jac.go.jp. 2024年3月23日閲覧。
  18. ^ 小野玄妙 1929
  19. ^ 松島・松本 1947
  20. ^ 正倉院聖語蔵経巻アーカイブ 富士フイルムと丸善による。
  21. ^ 光谷, 拓実. “年輪年代法による正倉院正倉の建築部材の調査”. 宮内庁. 2014年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月26日閲覧。
  22. ^ 鈴木嘉吉「新国宝 正倉院正倉」『月刊文化財』407号、第一法規、1997および和田軍一『正倉院案内』、吉川弘文館、1996
  23. ^ a b c あの信長も気を遣った?正倉院1200年の奇跡”. 読売新聞オンライン (2018年11月3日). 2022年10月6日閲覧。
  24. ^ 安藤 1947
  25. ^ 大正の大修理(宮内庁)
  26. ^ 正倉院正倉整備工事(宮内庁)
  27. ^ 正倉院正倉整備工事現場公開(宮内庁)
  28. ^ 古沢範英 (2014年10月21日). “正倉院、1世紀ぶりの修理完了 25日から公開再開”. 朝日新聞デジタル. 2014年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月3日閲覧。
  29. ^ 共同通信社 (2014年5月16日). “平成の正倉院、お目見え 100年ぶり大修理終える”. 日本経済新聞社. 2014年11月3日閲覧。
  30. ^ 1997年4月19日付読売新聞朝日新聞報道
  31. ^ 高木博志『近代天皇制と古都』、pp.231、2006年、岩波書店、ISBN 4-00-022550-2
  32. ^ 鈴木嘉吉「新国宝 正倉院正倉」『月刊文化財』407号、第一法規、1997、など
  33. ^ 西の正倉院パンフレット
  34. ^ 松島・松本 1947 または 東野 1988 170p
  35. ^ 入場者四十一万余は新記録(『東京日日新聞』昭和15年11月25日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p270 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  36. ^ 和田 1967 または 東野 1988 172p
  37. ^ 第61回正倉院展パンフレットによる。
  38. ^ 2019年11月2日付・読売新聞第3社会面
  39. ^ 小川伸彦 「正倉院展へのメディア展開 --二〇〇五年秋の「事件」を読む」『美術フォーラム21』 vol.14、醍醐書房、2006年(平成18年)4月号、ISBN 978-4-925185-24-0
  40. ^ 近年では「日本国宝展」(2014年10月15日〜12月7日)や、御即位記念特別展「正倉院の世界」展(2019年10月14日〜11月24日)。
  41. ^ 「天平の秘宝」 ―正倉院宝物を探る― - NHKアーカイブス 1981年11月9日
  42. ^ 正倉院 天平の宝物を守り抜いてきた宝庫 - NHKアーカイブス 2024年3月3日閲覧
  43. ^ 正倉院の奇跡 ~守り継がれた天皇の倉~ - 読売テレビ 2019年10月19日
  44. ^ 天皇が創った至宝〜正倉院宝物が伝える“日本誕生”〜 - NHKオンデマンド 2019年10月30日
  45. ^ 至宝からひもとく天平の祈り~第72回 正倉院展~ - NHKアーカイブス 2020年11月1日
  46. ^ 史上初のプロジェクトに密着2年!正倉院の1300年前のガラス宝物・完全再現に挑む - 読売テレビ 2023年11月3日
  47. ^ 華麗なる宝物 天平の祈り ~第75回 正倉院展~ - NHKオンデマンド 2023年11月5日
  48. ^ 奈良・正倉院~なぜ1300年もお宝を守れた?~ - 美術展ナビ 2024年3月2日



正倉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:13 UTC 版)

久米官衙遺跡群」の記事における「正倉院」の解説

前項の「回廊北方官衙」の北西にある。当初は「回廊状遺構」および「回廊北方官衙」と同様に一町区画占めていたが、7世紀末か8世紀初め頃に敷地を南に30メートルほど拡張している。区画施設は、当初道路側溝のような溝と目隠し板塀であったが、敷地拡充後はあらためて濠(幅2.5ないし3メートル)が造られている。拡充後の規模は、濠の外周測ると、南北が約140メートル東西120メートル(北濠)から125メートル(南濠)となっている。内部建物何度建て替えられ敷地拡充後は礎石建てとなっている。

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正倉院

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九州王朝説」の記事における「正倉院」の解説

奈良正倉院の宝物の殆どは天平10年738年)に九州筑後の正倉院から献上されたものであり、元は九州倭国宝物である。 「正倉院文書」中の正税帳によると、当時の税は、稲・塩・酒・粟などを納めるのが普通だが、「筑後国」の貢納物は鷹狩のための養鷹人猟犬白玉青玉・縹玉などの玉類などである。鷹狩曲水の宴などの貴族趣味畿内地方にはなく、筑後にはあった。 玄界灘真っ只中九州本土から約60kmに浮かぶ沖ノ島は、宗像大社神領であり、日本で最も多く国宝出土しており、「海の正倉院」と称されている。沖ノ島から出土した土器のほとんどは北部九州製であり、一部山口県土器である。

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正倉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:42 UTC 版)

高名な依頼人」の記事における「正倉院」の解説

作中、グルーナー男爵ワトスン対しその知識試そうと、聖武天皇奈良の正倉院の関係について説明するよう要求する場面がある。当時イギリスでは日本はあまり知られておらず、正倉院については戦後1946年一般公開されるまで日本でも有名というわけではなかった。ドイルこうした日本について詳細な知識持っていたのは、幼少時からの友人ウィリアム・K・バートンから聞いたためではないかとする説がある。バートン衛生工学教授として東京帝国大学招かれお雇い外国人で、10年上日本で生活をした人物である。バートンには正倉院についての知識があり、それをドイル伝えたことがあったのだと考えられる日本情報以外では、短編技師の親指」に登場する水力技師依頼人、ヴィクター・ハザリの職業と技術について知識が、バートンから得たものだとする説がある。 ウィリアム・バートン (William Burton) とワトスン偽名使ったヒル・バートン (Hill Barton) とは姓が似ていて、名前のウィリアム愛称ビル (Bill) であることを考慮すると、酷似しているといえる

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