静岡鉄道秋葉線
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脚注
参考文献
- 川島常雄「静岡鉄道秋葉線ものがたり -時代に翻弄されて消えて行った小さな電車の話-」『鉄道ファン』No. 485、交友社、2001年9月、pp. 96-105。
- 原口隆行『日本の路面電車II-廃止路線・東日本編-』JTB〈JTBキャンブックス〉、2000年。
- 吉川文夫・花上嘉成『静岡鉄道秋葉線-石松電車始末記-』NEKO PUBLISHING〈RM LIBRARY 18〉、2001年。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 奥田愛三「静岡鉄道〔電車線〕」『鉄道ピクトリアル』No. 140、交友社、1963年1月、pp. 67。
- 吉川文夫・道村博・宮松丈夫「またひとつトロリーラインは消えた 静岡鉄道秋葉線」『鉄道ファン』No. 17、交友社、1962年11月、pp. 55-59。
関連項目
- 静岡鉄道
- 秋葉バスサービス
- 静岡電気鉄道デ10形電車 - 静岡電気鉄道(現静岡鉄道静岡清水線)デ3・デ5が秋葉線へ転出となったことから、増備された電動貨車。同線の長沼車庫に保存されている。
注釈
- ^ 現在の県道58号線にほぼ相当する。
- ^ 奥田(1963)では2フィート5インチ、今尾 (2008) では737mmとしている。
- ^ 大ヒットした2代目広沢虎造の浪曲・清水次郎長伝の登場人物「森の石松」の出身地が遠州森町である事にちなみ当該記事内で「石松電車」として紹介されたもので、現役時代の地元沿線でそのような通称が存在した事実はない。
- ^ 電動客車・付随客車のデッキ部ダッシュボードのみ鋼板。
- ^ 本来はアメリカの建築用語で控えの間のこと。鉄道用語では客室を本部屋に見立てて運転台デッキを控えの間とみなし、転じて運転台正面の窓を示す。
- ^ ねじ式連結器から締結用のねじ部品を省略したもの。
- ^ 現在のシングルアーム式パンタグラフを向い合せにしたような形態をしている。
- ^ ブリル21Eのコピー品。
- ^ ちなみに南口は駿遠線の起点駅があったことから『駿遠口』と付けられた。
出典
- ^ 「静岡電気鉄道(静岡鉄道秋葉線)」『日本の路面電車II-廃止路線・東日本編-』132頁。
- ^ 春野町史編さん委員会 編『春野町史 通史編 下巻』春野町、1999年3月31日、267頁。
- ^ 武内 孝夫『遠州地方の交通発達史』遠州鉄道株式会社、1993年10月、142頁。
- ^ 『<ポケット社史>静岡鉄道』ダイヤモンド社、1969年4月10日、35頁。
- ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『<ポケット社史>静岡鉄道』ダイヤモンド社、1969年4月10日、36頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「秋葉線の車輌」『静岡鉄道秋葉線-石松電車始末記-』29 - 47頁。
- ^ a b “袋井駅 秋葉口(北口)ポスター (PDF) ”. 袋井市 (2014年11月30日).
固有名詞の分類
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