鉄道弘済会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 01:00 UTC 版)
概要
公益事業としては、知的障害児及び自閉症への支援施設「総合福祉センター弘済学園」[2]や義肢の製作等を行なう「義肢装具サポートセンター」[3]、孤児等の支援施設「札幌南藻園」[4]を運営している他、全国で保育所・認定こども園24カ所の施設を保有している[5]。
弘済会館内の「福祉資料室」[6][5]では、社会福祉に関する書籍・雑誌・資料等の閲覧及び貸出を無償で営業。
収益事業として全国に107件のオフィスビルやマンション等の不動産を保有しており、不動産賃貸及び貸会議室を運営[7]。
歴史
設立時の背景
鉄道の現場は、常に危険と隣り合わせであり、連結器に挟まれることや、貨車に飛び乗り行う突放作業等で多くの殉職者や負傷者(以下「鉄道公傷者」)を出していた。しかし、当時の国鉄共済組合は、負傷者で重傷者には給与4ヶ月または9ヶ月分の年金、殉職族には給与4ヶ月または5ヶ月分の遺族年金を給付するに限り、手足を失った者や残された遺族は、生活困窮者へと成り果ていた[8][9]。このような、悲惨な労働環境に対し、当時国鉄の官僚であった片岡謌郎らは、鉄道公傷者を救済する目的で鉄道弘済会の設立に至った。
年表
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1947年(昭和22年) - 全額出資で大阪鉄道荷物株式会社を設立する。
- 1949年(昭和24年)
- 1953年(昭和28年)児童養護施設「札幌南藻園」[4]を開設する[15]。
- 1958年(昭和33年)2月 - 全額出資で株式会社弘済出版社を設立する。
- 1959年(昭和34年)10月 - 全額出資で弘済建物株式会社を設立する。
- 1962年(昭和37年) - 全額出資で関西弘済食堂株式会社を設立する。
- 1962年(昭和37年) - 多治見駅にコンビニエンスストアを開店する[要出典]。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)4月 - 第三セクターの帯広ステーションビル株式会社を出資して設立する。
- 1969年(昭和44年)5月 - 東京都新宿区に東京身体障害者福祉センターを開設する。
- 1973年(昭和48年)8月1日 - 駅売店の愛称をKiosk(キヨスク)へ変更[17]。
- 1987年(昭和62年) - 国鉄の分割民営化に合わせて、鉄道弘済会を財団法人鉄道弘済会とJRグループ各社が出資する6つのキヨスク会社に分割し、キヨスク事業の大部分をキヨスク会社へ譲渡する。
- 1997年(平成9年)4月 - 大阪鉄道荷物株式会社の株式51パーセントを西日本旅客鉄道へ売却し、社名を株式会社ジェイアール西日本マルニックスに変更する。
- 2000年(平成12年)4月 - 関西弘済食堂株式会社を株式会社ジェイアール西日本フードサービスネットへ譲渡する。
- 2001年(平成13年)
- 2005年(平成17年)6月 - 弘済建物株式会社が東京地裁へ特別清算を申し立て、実質倒産する。
- 2006年(平成18年)- 大宮営業所を東日本キヨスクへ譲渡し、キヨスク事業から完全撤退する。
- 2008年(平成20年)5月13日 - 東京身体障害者福祉センターを隅田川駅敷地へ移転して「義肢装具サポートセンター」[3]に改称する。
- 2012年(平成24年)3月 - 東京駅旅行者援護センター、名古屋駅旅行者援護所の業務から撤退する。
- 2012年(平成24年)12月 - 京都駅旅行者援護所の業務を終了し、旅行者援護事業から完全撤退する[18]。
- 2013年(平成25年)10月 - 公益財団法人へ移行。
- 2018年(平成30年)10月 - 新聞雑誌取次事業を廃止。
公益事業
障害者福祉事業
1953年6月に千葉県山武郡に「日向弘済学園」を設立。
現在は、神奈川県秦野市に移転し「総合福祉センター弘済学園」として、自閉症・知的障害者を対象とした入所、デイサービス、就労支援等の福祉事業を行っている。
福祉型障害児入所施設(定員110名)
障害のある児童を対象に、生活習慣の自立支援や適応能力の拡大等を目指し、利用者の適性や年齢等に応じて療育。
利用者によっては「弘済彫」と呼ばれる木彫[19]や機織りの製作等を行っている。
製作された作品等は、毎年12月に東京駅八重洲口「動輪の広場」にて作品の展示・販売を行っており、例年石原プロモーションの舘ひろしが参加[20]。
デイケアセンター
18歳以上の自閉症・知的障害者を対象として、就労を目指す「生活介護支援事業」及び野菜・花などの生産を行なう「就労型支援B型事業」を行っている。
児童発達支援センター「すきっぷ」
発達の遅れ等が見られる児童およびその家族に対しての療育支援を行っている[21]。
放課後等デイサービス事業(愛称「わくわくクラブ」)
神奈川県秦野市内の特別支援学校や特別支援学級に通っている、学生を対象に放課後の余暇支援を行っている[22]。
身体障害者支援事業
日本国有鉄道の業務災害による身体障害者を対象としていたが、その対象を広げ戦争や交通災害などによる身体障害者までも事業の対象とし、義肢装具製作・研究・リハビリ等を現在も行っている。
1954年(昭和29年)には、義肢装具製作所が全国に21カ所あり年間8千件ほどの義肢装具を作成していたが、現在は東京都荒川区南千住の「義肢装具サポートセンター」1カ所となっている。
義肢装具サポートセンター
東京都荒川区南千住に義足、コルセットなどの装具を製作からリハビリまでを一貫して行なう施設を運営。
製作する義肢は、一般的な生活用からスポーツ用まで製作しており、パラリンピック選手なども利用している[23][24]。
児童福祉事業
保育所・認定こども園
1951年(昭和26年)働く母親の為に、和歌山市に「わかば」保育所(現:わかば園)をはじめとし、全国に24ヶ所の保育所・認定こども園を運営[25]。
- 関東甲信越エリア
- 北陸エリア
- 四国エリア
- 九州エリア
児童養護事業
「札幌南藻園」
全国の日本国有鉄道関係者の孤児及び一般の戦争孤児等のその多くは、極貧の生活下にあることが判明し、豊かな生活及び不良化を防止するために、1953年(昭和28年)札幌市中央区の札幌温泉跡地に「札幌南藻園」を設立[11]。現在も運営されている。
「函館母子寮」
1945年(昭和20年)7月の青函連絡船空襲によって殉職した日本国有鉄道の職員遺族母子のための施設として1949年(昭和24年)に開設[11][26][27]。
職員遺族母子だけでなく、戦時中に夫を失い生活困窮者となった一般の母子への支援にもあたっており、1954年(昭和29年)当時は、28世帯111人が支援を受けていた[28][26]。
1954年(昭和29年)の洞爺丸海難事故で再度多数の職員が犠牲になり、24世帯分を増築し52世帯収容となった。乳幼児数も増え、保育園(現在:人見認定こども園(ひとみ弘済保育園))が併設された[26]。
1974年(昭和47年)函館母子寮は保育園を残し財団法人弘済会から函館市に移管した[26]。
- ^ キヨスク雑誌消滅の危機 売上高9割減で卸が撤退日本経済新聞 電子版2018年8月29日
- ^ 総合福祉センター弘済学園
- ^ a b 義肢装具サポートセンター
- ^ a b 札幌南藻園
- ^ a b “公益事業等”. www.kousaikai.or.jp. 公益財団法人 鉄道弘済会. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 福祉資料室
- ^ a b “収益事業”. www.kousaikai.or.jp. 公益財団法人 鉄道弘済会. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 種蒔く人 鉄道弘済会誕生時代. 財団法人鉄道弘済会. p. 37
- ^ 高坂, 盛彦 (2010/12/20). 国鉄を企業にした男 片岡謌郎伝. 中央公論新社. p. 85
- ^ a b 『鉄道弘済会三十年史』 鉄道弘済会、1962年2月25日。pp216
- ^ a b c d e 種蒔く人. 財団法人鉄道弘済会. (1954年12月1日). p. 157
- ^ a b 『鉄道弘済会三十年史』 鉄道弘済会、1962年2月25日。pp218
- ^ 『鉄道弘済会三十年史』 鉄道弘済会、1962年2月25日。pp26-27
- ^ 日本運輸倉庫株式会社
- ^ “札幌南藻園を見学:大場信一園長に聴く”. fukushi.hokkaido-np.co.jp. 北海道新聞社会福祉振興基金. 2019年10月4日閲覧。
- ^ “国鉄・名鉄・近鉄の鉄道資本スーパーに進出”. 新日本経済 1963年11月号 (新日本経済社) (1963年11月1日).pp106
- ^ 旅客構内営業研究会 “講座 旅客構内営業の話(2)”. 国有鉄道 33(2)(308) 1973年12月号 (交通協力会) (1973年12月).pp4
- ^ [1]
- ^ “鉄道弘済会・弘済学園 | SELP訪問ルポ | 日本セルプセンター”. www.selpjapan.net. 2019年10月4日閲覧。
- ^ “神奈川)「わたしたちが創る展」東京駅で 舘さんも応援:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年10月4日閲覧。
- ^ [2]
- ^ “» 地域生活支援センター「わくわく」|弘済学園”. www.kousaikai.or.jp. 2019年10月4日閲覧。
- ^ “» 義肢装具について|義肢装具サポートセンター”. www.kousaikai.or.jp. 2019年10月5日閲覧。
- ^ “メダル候補・谷真海らの力強い味方、義肢装具士・臼井二美男氏…2020年東京パラリンピックを支える”. スポーツ報知 (2019年9月7日). 2019年10月5日閲覧。
- ^ “» 年表|公益財団法人 鉄道弘済会”. www.kousaikai.or.jp. 2019年10月5日閲覧。
- ^ a b c d “「函館市史」通説編4 7編1章コラム4”. archives.c.fun.ac.jp. 2019年10月5日閲覧。
- ^ “人見町会活動記録”. hitomicho.org. 札幌市人見町会. 2019年10月5日閲覧。
- ^ a b 『種蒔く人 鉄道弘済会誕生記』財団法人鉄道弘済会、1954年12月10日、163,164,165頁。
- ^ “鉄道弘済会とは”. www.kousaikai.or.jp. 公益財団法人 鉄道弘済会. 2019年10月5日閲覧。
- ^ 『相鉄グループ100年史』 相鉄ホールディングス 、2018年12月、81-82ページ
- ^ “横浜駅地下街 会社沿革 横浜地下街40年のあゆみ”. 2005年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月22日閲覧。
- ^ 相模鉄道・横浜地下街・相鉄企業「株式交換による横浜地下街株式会社及び相鉄企業株式会社の完全子会社化に関するお知らせ」『相鉄企業株式会社』 相鉄企業、2005年1月27日
- ^ 弘栄堂書店労組争議解決お礼!(書店労協)
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