近鉄橿原線 車両

近鉄橿原線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 19:42 UTC 版)

車両

奈良線・京都線で使われる車両が橿原線でも使用されている。

8600系8619F京都市営地下鉄烏丸線乗り入れ対応の3200系3220系[4]5800系5820系L/Cカー1026系1026F - 1029F、9820系といった6両固定編成および、3両編成を2編成併結した8000系・8400系の6両編成は急行通過駅のプラットホーム有効長の関係で急行に限定して使用される。

終点の橿原神宮前駅構内には、標準軌の橿原線と狭軌南大阪線吉野線との台車交換施設があり、南大阪線系の車両が大阪線五位堂検修車庫で検査の際には、この台車交換施設で台車を交換し、大阪線所属の電動貨車モト90形(97・98)で牽引搬送して検査入場している。

運賃計算の特例

橿原線は大阪線・奈良線と組み合わせると布施駅 - 大和西大寺駅 - 大和八木駅 - 布施駅が「環状経路」となっているため、運賃計算上の特例が存在する[5]

  • 普通券・回数券では、「環状経路」内は最短距離で計算するが、最短でない経路で乗車することもできる。
  • 定期券では、橿原線の尼ヶ辻駅 - 新ノ口駅間と大阪線難波線の大阪難波駅 - 布施駅間を発着とする定期券については、大和西大寺駅経由または大和八木駅経由のどちらでも乗車できる。ただし、券面に記載されていない経路では途中下車できない。

歴史

大阪電気軌道(大軌)が最初に建設した現在の奈良線に次ぐ路線として、畝傍線(うねびせん)の名で西大寺駅 - 橿原神宮前駅間が1923年までに全通した。同線への免許が交付されるに当たり、天理軽便鉄道(現在の近鉄天理線)と大和鉄道(現在の近鉄田原本線)を買収することが条件付けられたが[6]、前者は1921年に合併したものの、後者については諸事情があって遅れ、傘下に置いたのは1924年ごろ、自社線にしたのは大和鉄道が信貴生駒電鉄に合併されて、大阪電気軌道が近畿日本鉄道となった後の1964年であった。

当初は大阪から橿原方面へ向かうルートとしての役割も担っていたが、短絡ルートとなる八木線(後に桜井線を経て現在の大阪線となる)が1925年に開業したことで、上本町 - 八木間におけるその地位は譲った。しかし、1928年には奈良電気鉄道1963年に買収されて近鉄京都線となる)が開業し、今度は京都から橿原・吉野・伊勢方面への連絡ルートとしての使命も果たすようになった。なお奈良電気鉄道は、開業当初から奈良線・畝傍線と直通運転を行っていた。

その後橿原神宮神域拡張のため、1939年に八木西口駅 - 橿原神宮駅(現在の橿原神宮前駅)間を東側の現在の位置に移設している。この時、線名も現在の橿原線となった。

なお1966年に京都駅から伊勢方面へ向かう「京伊特急」が新設された際、当初は連絡線の配置の都合から大和八木駅を2回通り、八木西口駅と大和八木駅の構内で2度スイッチバックする形態の運行をしていたが、1967年には新ノ口駅から直接大阪線の大和八木駅へ入れる新しい短絡線を完成させ、入れ換えの煩わしさを解消させている。

橿原線は、架線電圧の1500Vへの昇圧後も建築限界車両限界)が、標準軌の他路線よりも狭隘なまま残り、車両の製造・運用面での制約となっていた(京都線で奈良線用大型通勤車の運用が始まった後も、橿原線直通の運用には800系820系の使用を余儀なくされた。また特急専用車両でも、当路線での使用を前提とした18000系18200系18400系は、幅の狭い車体を採用している)。1973年9月に建築限界の拡大工事が完了し、制約が解消された。

年表

  • 1921年(大正10年)4月1日:大阪電気軌道が畝傍線として西大寺駅(現在の大和西大寺駅) - 郡山駅(現在の近鉄郡山駅)間を複線で開業。
  • 1922年(大正11年)4月1日:郡山駅 - 平端駅間が複線で開業。
  • 1923年(大正12年)
    • 3月21日:平端駅 - 橿原神宮前駅(現在の駅とは別)間が開業。八木駅(現在の八木西口駅) - 橿原神宮前駅間は複線。
    • 12月24日:石見駅 - 八木駅間が複線化[7]
  • 1924年(大正13年)
    • 3月2日:平端駅 - 石見駅間が複線化され全線複線化[7]
    • 11月:畝火山駅を畝傍山駅に改称。
  • 1928年(昭和3年)8月:八木駅を大軌八木駅に改称[8]
  • 1929年(昭和4年)1月5日:大阪電気軌道桜井線(現在の大阪線)開通に伴い、立体交差部分に大軌八木駅を移転して大軌八木駅とし、これまでの大軌八木駅は八木西口駅となる(扱い上は大軌八木駅構内の別ホーム)。
  • 1930年(昭和5年)7月10日:吉野線の橿原神宮前駅 - 久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を三線軌条化し、畝傍線の電車が乗り入れ開始。
  • 1937年(昭和12年)3月:畝傍山駅を神武御陵前駅に改称。
  • 1939年(昭和14年)7月28日:八木西口駅 - 神武御陵前駅 - 橿原神宮前駅間を廃止。八木西口駅 - 橿原神宮駅(現在の橿原神宮前駅)の新線が開業。畝傍線を橿原線に、神武御陵前駅を移転し畝傍御陵前駅に改称。
  • 1940年(昭和15年)4月1日:久米寺駅を橿原神宮駅駅に統合。
  • 1941年(昭和16年)3月15日:大軌郡山駅を関急郡山駅に、大軌田原本駅を関急田原本駅に、大軌八木駅を大和八木駅に改称。
  • 1942年(昭和17年)10月1日:大和西大寺駅 - 八木西口駅間を、軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更(八木西口駅以南は、1939年の新線切り替え以来鉄道)。
  • 1944年(昭和19年)6月1日:関急郡山駅を近畿日本郡山駅に、関急田原本駅を近畿日本田原本駅に改称。
  • 1964年(昭和39年)10月1日:近畿日本田原本駅を田原本駅に改称。
  • 1967年(昭和42年)12月20日:新ノ口駅 - 大和八木駅間に大阪線伊勢中川方面との連絡線完成。
  • 1968年(昭和43年)10月10日ATS使用開始。
  • 1969年(昭和44年)9月21日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
  • 1970年(昭和45年)3月1日:近畿日本郡山駅を近鉄郡山駅に、橿原神宮駅駅を橿原神宮前駅に改称。
  • 1973年(昭和48年)9月20日建築限界拡大工事竣工。
  • 1977年(昭和52年)6月5日:筒井駅付近(約1km)高架化。
  • 1979年(昭和54年)7月1日:ファミリー公園前駅開業(当初は季節限定の臨時駅として開業)。
  • 1992年(平成4年)12月20日:大和西大寺駅 - 平端駅間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。
  • 1993年(平成5年)9月21日:ファミリー公園前駅に普通が終日停車となる。
  • 1996年(平成8年)3月15日:23000系(伊勢志摩ライナー)を京伊特急(・京奈特急)にも運用開始。
  • 1998年(平成10年)4月1日:平端駅 - 橿原神宮前駅間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月15日:天理駅発着の急行のうち昼間の毎時1本を橿原神宮前駅発着の急行および平端駅 - 天理駅間普通に置き換え、昼間の平端駅 - 橿原神宮前駅間は特急を除けば毎時急行3本・普通3本に増発。また大和西大寺駅 - 天理駅間の普通のうち昼間の毎時1本が平端駅 - 天理駅間に短縮され、昼間の大和西大寺駅 - 平端駅間は普通が毎時5本から4本に削減。急行で3220系運行開始。
    • 3月21日:ご乗降確認システム(フェアシステムK)稼働開始。
  • 2001年(平成13年)
    • 2月1日:各駅でスルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始。これに伴い、大和西大寺駅・田原本駅・大和八木駅・橿原神宮前駅における「途中下車指定駅」の制度が廃止。
    • 10月14日:各駅でJスルーカードの取り扱い開始。
  • 2002年(平成14年)5月29日天皇皇后の奈良視察に伴うお召し列車を橿原神宮前駅発京都駅行で運転(同月27日にも京都駅発近鉄奈良駅行で運転)。21000系(アーバンライナー)の第11編成を4両に短縮の上で充当。
  • 2003年(平成15年)3月6日:京伊特急の一部が大和八木駅 - 賢島駅間で阪伊乙特急と併結運転。橿原神宮前駅発着の急行のうち昼間の毎時1本を普通に置き換え、昼間の平端駅 - 橿原神宮前駅間は特急を除けば毎時急行2本・普通4本となる(大和西大寺駅 - 平端駅間も昼間の普通は実質的に毎時5本に戻される)。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月24日:急行停車駅に西ノ京駅が一部追加(土休日ダイヤの日中のみ)。
    • 4月1日:各駅でPiTaPaICOCAの取り扱い開始。
  • 2009年(平成21年)3月1日:Jスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了[9]
  • 2010年(平成22年)
    • 3月20日:特急停車駅に西ノ京駅も一部追加(土休日ダイヤの日中のみ)。
    • 10月10日:天皇・皇后の奈良視察に伴うお召し列車を、近鉄奈良駅から大和西大寺駅・大和八木駅経由で室生口大野駅まで運転(同日には大和朝倉駅から大阪上本町駅間にも運転され、同月7日には京都駅から近鉄奈良駅間にも運転)。21020系(アーバンライナーnext)21021F を充当[10][11]
  • 2012年(平成24年)3月20日:特急・急行の停車駅に、西ノ京駅が平日ダイヤの日中にも追加。
  • 2014年(平成26年)
    • 10月10日:京伊特急にも観光特急50000系(しまかぜ)を運用開始[12]
    • 11月15日:天皇・皇后の奈良視察(全国豊かな海づくり大会臨席など)に伴うお召し列車を、京都駅から橿原神宮前駅まで運転(片道のみ。11月17日には近鉄奈良駅から京都駅間にも運転)[13]
  • 2016年(平成28年)4月2・4日:天皇・皇后の奈良視察(神武天皇式年祭参拝など)に伴うお召し列車を、京都駅 - 橿原神宮前駅間に運転(往路は2日、復路は4日)[14]

今後の予定

八木西口駅 - 畝傍御陵前駅間の奈良県立医科大学附属病院付近に新駅の設置が計画されており、近鉄側は条件として八木西口駅の廃止を主張している[15]。橿原市は2020年4月、八木西口駅を移設する案、八木西口駅を存続させた上で新駅を設置する案、新駅を建設しない案の3案を比較検討する業務を、公募した業者に委託することとした[16]。その後2022年7月に、近鉄の運賃改定における公聴会にて新駅設置に関して近鉄側が八木西口駅の廃止を条件としない形で協議を行う旨の文書を提出した[17]


  1. ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
  2. ^ 駅ナンバリングを全線で実施します (PDF) - 近畿日本鉄道、2015年8月19日
  3. ^ 年末年始ダイヤのご案内(大阪) (PDF) - 近畿日本鉄道 2009年11月10日
  4. ^ 保安上は烏丸線の車両である京都市交通局10系電車も走行可能であるが、当線に乗り入れた事はない。
  5. ^ 運賃と使用時のご注意 - 近畿日本鉄道
  6. ^ 「大軌新線附帯条件」 1918年12月7日付大阪新報 (神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  7. ^ a b 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.84
  8. ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.86
  9. ^ Jスルーカードの利用終了について (PDF) - 近畿日本鉄道ほか 2008年12月2日
  10. ^ 行幸啓について (PDF) - 奈良県ホームページ
  11. ^ 近鉄で21020系使用のお召列車運転 - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2010年10月11日
  12. ^ 観光特急「しまかぜ」平成26年10月10日(金)、京都発着の定期運行開始! (PDF) - 近畿日本鉄道ニュースリリース、2014年4月24日
  13. ^ 行幸啓について (PDF) - 奈良県ホームページ(2014年11月22日閲覧)。
  14. ^ 行幸啓について (PDF) - 奈良県ホームページ(2016年4月4日閲覧)
  15. ^ 「八木西口駅」廃止か存続か 近鉄と橿原市協議1年、なお平行線 - 産経新聞、2017年1月5日
  16. ^ 参加表明4月17日まで/橿原市の新駅整備等まちづくり効果検討 - 建設通信新聞、2020年4月17日
  17. ^ “近鉄八木西口駅、新駅と併存可能性も 近鉄が廃止から転換、荒井・奈良知事は歓迎”. 奈良新聞. (2022年7月1日). https://www.nara-np.co.jp/news/20220721214152.html 2023年4月11日閲覧。 






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