裴氏とは? わかりやすく解説

裴氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 06:20 UTC 版)

中国語
中国語 ペイ
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音 Péi
国語ローマ字 Pei
注音符号 ㄆㄟˊ
呉語
上海語ローマ字 Be1
粤語
粤拼 Pui4
閩南語
台湾語ローマ字 Pôe
ベトナム語
ベトナム語 ブイ
クオック・グー Bùi
チュノム

(はい)は、漢姓の一つ。

中国

(ペイ)は、中華圏の姓の一つで、『百家姓』の197番目。

分布

2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず[1]、主に山西省の黄河以東の夏県一帯に分布している。台湾の2018年の統計では156番目に多い姓で、3,760人がいる[2]

その中の一支族が河南省武陟県大虹橋村に分布しており、代以降の族譜が流伝している。

由来

中世に於ける著名な門閥貴族の中の一つであり、山西省聞喜県を本貫としている。

その始祖に擬せられるのは、の始祖である非子の後裔である。非子の支孫は𨛬(上が非で下が邑の字体)郷に封ぜられ、よってそれを氏姓とした。僖王の代、六世の孫である陵が封じられて解邑君となった。そこで、𨛬から「邑」の部首を除いて「衣」に従い、「裴」を姓とするようになった。

後に裴氏は支族が三分し、河東燕京西涼等の土地に分かれた。しかしながら、その譜系の源流を考えると、皆聞喜の裴氏に出ている。故に「天下に二裴なし」という言葉ができた。

裴氏一族は往古より以来、三晋の望族となり、なおかつ中国の歴史上でその名望明らかな名門貴族となった。裴氏一族は「秦より以来、六朝を経て盛んとなり、に至って全盛を迎えた。五代以後も、なお余勢を存していた。」

裴氏一族は、貴顕となったものが絶えず、正史に立伝或いは附載された者が、600名余を数えた。名を後世に残した者は、1,000名余を下らない。七品以上の官人は、3,000名余に達した。その『裴氏世譜』の統計に拠れば、裴氏一族で歴史上に於いて、嘗て前後して宰相59名、大将軍59名、中書侍郎14名、尚書55名、侍郎44名、常侍11名、御史10名、節度使・観察使・防禦使25名、刺史211名、太守77名、封爵された者では、公爵89名、侯爵33名、伯爵11名、子爵18名、男爵13名、宗室と婚姻を結んだ者が皇后3名、太子妃4名、王妃2名、駙馬21名、公主20名等に及び、真に「将相は接武し、公侯の一門たり」と謂うべき様であった。中国の「宰相村」の名は、この状況によって得られたものである。

著名な人物

架空の人物

朝鮮

朝鮮では異体字の「」が使われる。

ベトナム

(ブイ)は、ベトナムで9番目に多い姓であり、人口の2%を占める。

著名な人物

脚注

  1. ^ 《二〇二〇年全国姓名报告》发布_部门政务_中国政府网”. www.gov.cn (2021年2月8日). 2023年1月19日閲覧。
  2. ^ 全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 281 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。

参考文献

  • 西江輯成点校『裴氏人物著述』山西人民出版社〈河東裴氏研究叢書』2〉、2002年。ISBN 7203045374 
  • 周征松『魏晋隋唐間的河東裴氏』山西教育出版社、2000年。 ISBN 7544017486 
  • 矢野主税「裴氏研究」『社会科学論叢』1965年。 




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