裴廷裕とは? わかりやすく解説

裴廷裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/18 07:20 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

裴 廷裕(はい ていゆう、生没年不詳)は、中国末の文人である。は膺余で、名は庭裕とも記される。本貫河東郡聞喜県(現在の山西省運城市聞喜県)。

生涯

河東の名族である裴氏東眷の者であり、『新唐書』巻71上「宰相世系表」に名が見えている。また、王定保撰の『摭言』によれば、乾寧中期(894年 - 898年)に内廷に居り、文書作成が迅速であったため、「下水船」という号を得た、とされる。

昭宗朝に右補闕となり、時の丞相であった杜譲能に抜擢されて、柳玼たちと共に『宣宗実録』を編纂した。また、その際の稿本が『東観奏記』である。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

裴廷裕のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



裴廷裕のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの裴廷裕 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS