美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 16:06 UTC 版)
美の具体的種類
美を一意に定義することは困難であり、その定義づけが美学という一つの学問として成立するほどである。美の種類、もしくはカテゴリーとして次のようなものがある。
- 自然美 - 自然の手付かずの美、自然による造形(グランドキャニオンなど)
- 芸術的な美 - モナリザ、ダヴィデの像、印象派の絵画
- 造形美 - 建築構造物の美(宮殿、大聖堂、ピラミッド)
- 機能美 - ハンドクラフト、織部の焼き物、パイプ、ガラス器
美のイメージ
ひとにとって美は、概念的に思考することのできるものであるだけでなく、同時にイメージとしても思い描かれ、それと重ね合わせて想像することもできる。
- 映画:マリリン・モンロー、ブリジット・バルドー
- ダンス:イザドラ・ダンカン
- 絵画:ヴィーナスの誕生、モナリザ、裸体のマハ
哲学における美
哲学における「美」の概念の概説的な説明は、すでに優れた記述がある。これは、哲学における美に関する思想や理論、つまり広義の「美学」における美の概念の歴史として、一つのまとまりとして考えられる。
美とは、価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。
ここでは、主として古代ギリシア・ローマ及び西欧哲学の伝統における「美」の本質探求の試みと、認識的概念としての美についての考察の諸位相を素描する。
美という言葉の多様性
哲学における「美」の概念と、それがいかなるものであるかの議論は、その前提として、本記事の冒頭で述べた通り、「美しい」とは何を意味しているのか、「美」という言葉が持つ「意味範囲」のある程度の明確な把握を前提とする。
例えば、日本語で「美」と訳される古典ギリシア語の「カロン」という言葉は、日本語の「美」とは異なる意味範囲を持っており、同様に、ラテン語の「美・美しいこと(pulchrum)」もまた、古典ギリシア語の「カロン」とは、また違う意味範囲を持っている。異なる言語のあいだで、まったく同じ意味内包を持つ言葉はそもそも存在しないのであり、たとえばプラトンが「美」について何かを論じている場合、それは古典ギリシア語の「カロン」について語っているのだという事実は重要である。
「美」に関連した概念として、「徳」という価値概念が、プラトンによって論じられているが、「徳」に当たる古代ギリシア語「アレテー」は、日本語の「徳」にはない特殊な意味があり、それは英語のvirtueにもまたないものである。しかし、ラテン語virtusは、ギリシア語「アレテー」の含意とほぼ重なる意味範囲を備えている。
このように、言語において同じ意味内包の言葉はないのだという自覚なしに、異なる言語での「美」に相当する言葉について論じられた思索や議論に言及することは、そこに危うさが伴っている。
美の概念措定
このように「美」という概念は、それが使用される言語によって意味内包が異なり、同じ言語でも時代や使用地域が異なれば、意味に差異が生じている。何が「美しいもの・こと」なのか、万民のあいだで共有できる普遍基準がないことに加え、文化や言葉を越えて、美に相当する単語自身の意味内包にも普遍性がない。
しかし哲学においては、「美の(普遍的)概念」は存在すると措定するのであり、このように措定された「美」の概念に基づいて、古典ギリシアで論じられた美や、ローマ時代の美の観念、中世初期や盛期中世等での美の概念、そして近世や近代の哲学における「美」の概念が、通約性を仮定された、或る意味、普遍的な「相」において考察される。
「乙女は美しい(he parthenos kale)」という言明における「美しい(kale)」とは、あくまで賓辞(述語)としての形容詞であり、「美しい」と「美しいこと・美」のあいだには、明らかに大きな距離がある。このような距離を乗り越えたのは、古典ギリシアにおける、形容詞の中性形を属性抽象名詞と見做し、存在(on)の類とする思考の慣習からである。その典型がプラトンのイデア論である。
このようにして、古典ギリシアにおいて、美(kalon)は、「美しい」とされる事物が、まさに何故に美しいのか、その根拠たる「存在」として概念規定されたと言える。「美しい物・人」についての議論は、歴史的に、世界中の文化で存在するが、「美しいもの」の根拠である「美」についての思索や、「美の概念」の規定は、古典ギリシアを始まりとする。
美の形而上学
存在論的把握
美の概念は、この世界に具体的に存在する事物、また事象としての「美しいもの・こと」(独語:Das Schoene)と必然的に関わりを持つ。しかし、この「美の概念(存在)」とは何であるのか、人が経験し、ときに感動する「美しさ」の本質については、哲学史にあって異なる解釈がある。
二つの代表的な考え方があり、(1)美の存在は、事物や事象が備える固有の性質であるとする「存在論的把握」と、(2)美の存在は事物に帰属するのではなく、それを知覚し、認識する人間主観が、事物や事象に付与する性質であるとする「認識論的把握」がある。おおまかにいえば、前者(1)は古典ギリシア哲学以来優勢であった見解であり、後者(2)は近世以降に登場する哲学的見解である。
存在論的把握の代表的な論者は、プラトン、アリストテレス、プロティノス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、フリードリヒ・シェリングである。これにはさらに、(1)美の性質を部分の均整にもとめる方向と、(2)部分性を否定し斉一であることをもって美の根本規定とする方向という、まったく対立する態度があらわれる。
ただし美はまったく認識と離れて存在するものではない。すでにプラトンにおいて、美は愛すなわち認識の欲求的能力の志向的対象として把握されている(『饗宴』)。また美の性格を均整あるいは斉一に求める論も、認識への適合性に多くその論拠をおいている。トマスは美を究極には神に帰せられる属性とするが、「視覚に快いととらえられるものは美しいと呼ばれる」(『神学大全』)とし、その人間的認識能力とのかかわりを否定していない。
芸術家美学と呼ばれる画家や文人による美論も、おおくこうした方向によることが多い。レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、芸術家は自然の幾何学的構造を美というもっとも理想的な状態において再提示する能力を持つ幾何学者であり、そのことが彼をして対象のより正確な把握へと赴かせた。ホガースの美の理論は、線とその印象を追求することによって、素描の美的な効果について研究するとともに、美そのものの性質を線の形状から説明しようとした。
なおこうした、存在それ自体の性格として美を把握する方向は、多く他の価値概念と美が共通するないし同一であるとの論に帰着する。シェリングは美を客観的なものの絶対性としつつ、根本においては善や美と同一であるとする。これについては後節「#他の価値領域と美の関係」を参照。
認識論的把握
近世に入ると、美を存在の賓辞ではなく、人間の認識の構造から説明しようとする論者が登場する。これには心理学的把握と狭義の認識論的把握を挙げることができる。これはイギリス経験論と大陸合理主義哲学の影響下に発達した学説であるが、のちには実証的心理学の影響も受けて、現代における美の把握の一潮流をなしている。代表的な論者には、エドマンド・バーク、イマヌエル・カントがいる。
18世紀イギリス美学においては、心理学的な美の把握がみられる。バークはジョン・ロックの影響下に、美を社交性への本能的欲求から説明しようとした(バークの美論については後で#美的範疇の節で詳述する)。一方ドイツでは合理主義哲学の影響下に、ライプニッツの表象理論を継承した認識論的美論が展開される。アレグザンダー・バウムガルテン『美学』からは、美を「感性的認識の完全性」とする定式が導出される。こうした近世の認識論的把握の頂点に来るのがイマヌエル・カントである。カントにおいて美は四つの徴表を与えられる。その認識根拠はしかし感性や悟性のアプリオリな制約にあるのではない。この意味で美は極めて主観的である。美は共通感官(センスス・コミヌス)に基き、判断の普遍妥当性を要求するが、それ自体は対象の性質ではなく、「構想力と悟性の自由な戯れ(das freie Spiel der Einbildungskraft und des Verstands) 」に帰着される。この認識能力の自由な戯れを引き起こすものが美しいものといわれる。そして美は理性の能力の調和、すなわち上級認識能力の理想的な調和の実現として、道徳性の象徴である(『判断力批判』第1部)。
注釈
出典
- ^ “麗しい/美しい(うるわしい) とは? 意味・読み方・使い方”. goo辞書. 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b c 広辞苑第六版【美】
- ^ a b c d ブリタニカ百科事典【美】
- ^ 桑原武夫,加藤周一 編 1969, p. 13.
- ^ 「はしがき」『岩波講座哲学 (6)芸術』、i。巻頭の「はしがき」において、編者は、「大和の国は美しく、小野小町は美しく、方程式のこの解法は美しいという」と記している。(引用)
- ^ a b 「はしがき」『岩波講座哲学・芸術』、i。
- ^ 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」『岩波講座哲学・芸術』、p.39。パンドーラー、キルケー、ヘレネーなどの「美しき者」はまた同時に災悪(カキアー)であった。
- ^ 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」、p.54。「カロカカキア」というギリシア語は存在しない。『理想』に掲載した論文中で今道が造語した。
- ^ a b 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」『岩波講座哲学・芸術』、p.39。
- ^ 張世超; 孫凌安; 金国泰; 馬如森 (1996), 金文形義通解, 京都: 中文出版社, pp. 910–1
- ^ 季旭昇 (2014), 説文新証, 台北: 芸文印書館, p. 299, ISBN 978-957-520-168-5
- ^ 葛亮 (2022), “説“美”“好”――正確理解会意字”, 漢字再発現――従旧識到新知, 上海: 上海書画出版社, ISBN 978-7-5479-2884-4
- ^ 黄徳寛 (2007), 古文字譜系疏証, 北京: 商務印書館, p. 3188, ISBN 978-7-100-05471-3
- ^ 禤健聡 (2017), 戦国楚系簡帛用字習慣研究, 北京: 科学出版社, pp. 212–3, ISBN 978-7-03-052085-2
- ^ 徐超 (2022), 古漢字通解500例, 北京: 中華書局, pp. 120–1, ISBN 978-7-101-15625-6
- 1 美とは
- 2 美の概要
- 3 概説
- 4 美の具体的種類
- 5 美という概念の射程
- 6 漢字の「美」
美と同じ種類の言葉
- >> 「美」を含む用語の索引
- 美のページへのリンク