第1回NHK紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/30 02:11 UTC 版)
エピソード
- 後年の取材において、紅組司会の加藤は「第1回の司会をしたことをすっかり忘れていた」、白組司会の藤倉は「(白組司会の話を受けた際)正月位は休ませろとゴネた記憶がある」と語った[11]。
- 上述の通り、当初は単発番組扱いであった紅白が長寿番組化することを予想していたスタッフはいなかったという。一方で、当時NHKに入局したばかりだった川口幹夫は本紅白をラジオで聴き、紅白が将来大きくなることを予想したという[10]。放送後、あまりの好評により、翌年(1952年)に第2回を放送、以降長らく続く長寿番組となり、川口は紅白を国民的番組に育て上げることになる。
- 第2回では、白組司会は藤倉が続投したのに対し、紅組司会については今回担当者の加藤が「アドリブが利かない」と判断され丹下キヨ子に交代となった[12]。
- 2011年8月16日に二葉あき子が死去して以降、2022年(令和4年)現在まで第1回出演者のうち存命者はトップバッターの菅原都々子ただ1人となっている。
- 2009年(平成21年)8月22日放送の『第41回思い出のメロディー』で本紅白の再現コーナーが設けられ、2006年末でプロ歌手を引退していた菅原が3年ぶりに出演し、一夜限りの特別出演で「憧れの住む町」を披露した。
脚注
参考文献
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
- 池井優 『藤山一郎とその時代』新潮社、1979年。ISBN 4-10-417901-9。
- 合田道人 『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0。
外部リンク
- NHK紅白歌合戦 公式サイト (日本語)
- 第1回 NHK紅白歌合戦 - NHK放送史
注釈
出典
- 第1回NHK紅白歌合戦のページへのリンク