後の番組への影響
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当時は大晦日に同じ番組を続けるという発想はなく(当時同じ内容のものを翌年も放送するのは能なしと見做されていたという)、1946年以降は大晦日番組として『紅白音楽試合』が編成されることはなかった(代わって『明星祭』、『忘年音楽うらおもて』など別の音楽特番が編成された)。しかし、スタッフは『紅白音楽試合』の反響の凄さを忘れられず、放送の約5年後の1951年(昭和26年)、「大晦日の番組でなければいいだろう」と正月番組として『第1回NHK紅白歌合戦』を放送した。 なお、『NHK紅白歌合戦』は第3回(1953年(昭和28年))まで正月番組として放送されていたが、同じ1953年の12月31日には第4回が放送され、この第4回、テレビ放送開始を機に『紅白音楽試合』同様となる大晦日の放送が定着した。 2011年(平成23年)下期の連続テレビ小説『カーネーション』の第80話(2012年(平成24年)1月9日放送分)において、主人公・小原糸子(尾野真千子)らが自宅で『紅白音楽試合』を聞いているという場面があった。 2015年3月21日、「放送90年ドラマ」として、この番組の誕生を描くテレビドラマ『紅白が生まれた日』が放送された。ディレクターの近藤積をモデルとした主人公を松山ケンイチが演じる。
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