日産・ブルーバード
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6代目 910型系(1979年 - 1983年)
ダットサン・ブルーバード(6代目) 910型系 | |
---|---|
セダン ターボSSS-S | |
ワゴン 1.8GL(海外仕様) | |
ハードトップ | |
概要 | |
別名 |
一般輸出: DATSUN180B・DATSUN200B 北米 :DATSUN810DL・ 日産・マキシマ(初代) 台湾:裕隆吉利1800 |
販売期間 |
営業車以外: 1979年11月 - 1983年10月 営業車: 1979年11月 - 1993年7月 |
設計統括 | 石川康雄 |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン / バン / ワゴン 2/4ドアハードトップ |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
Z20E/Z20型 直4 2L Z18ET/Z18E→CA18E/Z18→ CA18型 1.8L 直4 Z16→CA16型 1.6L 直4 Z18P型 LPG 直4 LD20/LD20T型 ディーゼル2L 直4 |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,525mm |
全長 | 4,510mm |
全幅 | 1,655mm |
全高 | 1,370mm |
車両重量 | 1,110kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク |
データモデル | 2ドアHT 2000SSS-ES 5速MT(前期型) |
ブルーバード史上、最後のFR車となる。1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、この910型の日本向け仕様は、上位グレードのロングホイールベースボディや直列6気筒搭載モデルを投入しないという思い切った見直しが図られ[注釈 14]、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。発表は当時の新車としては異例となる東京モーターショーの会場で行われた。
510型を彷彿させる直線基調の機能的かつ、クリーンでボクシーなスタイルなども相まって、小型車(1.6L - 2.0Lクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。発売の4か月後にはターボエンジン搭載モデルを追加。最高出力135ps/6000rpm、最大トルク20.0kgm/3600rpmを発揮し、テストコースで0→400mが16秒台、0→100km/hが10秒台を記録している。
広告のイメージキャラクターには沢田研二を起用し、「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた[注釈 15]。このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となり(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。
輸出仕様も国内仕様に準じた形で4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の北米向けのみは、ホイールベースを100mm延長し、L24E型2.4L直列6気筒エンジンを搭載したセダンとワゴン(GL910 / WGL910型系)がラインナップされ、「ダットサン・810マキシマ」の愛称で発売された。北米以外の輸出仕様はL16S、L18S、L18T(ターボではなくツインキャブ仕様)、L20B(4気筒)が搭載され、セダン、2ドアハードトップ、ワゴンがラインナップされ、リアサスペンションは2ドアハードトップと欧州向けセダンはセミトレーリングアームの独立サスペンション、欧州以外向けセダンは4リンク、ワゴンは半楕円リーフのリジットアクスルであった。台湾の裕隆では吉利1800(裕隆911/912)として裕隆ブランドで生産・販売された。オーストラリア現地生産工場では1986年まで生産が継続された(次代U11型は導入されず)。
国内向けガソリンエンジンはバンを除いて全車直列4気筒のZ型に統一され、また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20T型)エンジンも追加される。営業車には、LPGエンジンのZ18P型が搭載された。SSSシリーズには開発当初、スカイラインRS用の4バルブDOHCのFJ20Eエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブーム真っ只中ということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある[注釈 16][注釈 17]。
足回りは、フロントサスペンションが日本製FR車初のゼロスクラブと、ハイキャスターにセッティングされた、マクファーソンストラットコイル、リアは、SSS系にはセミトレーリングアームコイル、エレガント系、タクシー、後期型ワゴンは4リンクコイル、バン、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは半楕円リーフリジッド(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。バンの最廉価グレード、および営業車を除く全車にフロントベンチレーテッドディスクブレーキを標準装備。キャブレター仕様を除くSSS系、後期型 2.0L のエレガント系にはウレタン製衝撃吸収大型バンパーが装備された。
当モデルの2ドアハードトップをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりの横浜スタジアムでリリーフカーとして使用されていた。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は68万3885台[10]
- 1979年
- 11月2日 - 発売。
- 12月 - バンとワゴン(名称はADワゴン[注釈 18] 1800GS / GL)を追加発売。
- 1980年
- 1981年
- 1月 - 2000キャブレター仕様(Z20S型・110PS)の2000 GL / GF / SSS-Lを追加。
- 2月 - 特別仕様車セダン1600スポーティーGL発売。
- 5月 - セダンターボSSSベースの特別仕様車『スーパー1』発売。
- 8月 - 特別仕様車1600スポーティーGL-II・V20ターボスペシャル発売。
- 9月 - 特別仕様車スポーツスター1600スペシャル発売。
- 10月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。
- 1982年
- 1月 - マイナーチェンジ。内外装変更。同クラス初のピラーレスの4ドアハードトップモデルを追加。2ドアハードトップは1800ターボSSS / ターボSSS-Sの2グレードに整理。
- 5月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。
- 6月 - 4ドアハードトップ1800ターボSSS/1800SSS-Eベースの特別仕様車『リミテッド4』発売。
- 10月 - 一部改良。自然吸気の1.6L / 1.8LガソリンエンジンをCA16、CA18 / CA18E型に変更。ターボ車は4速AT化。
- 1983年
- モータースポーツ
- 1981年10月 - オーストラリアで開催された耐久レース「バサースト1000」に参戦。結果はオーバーヒートによりリタイア。
- 1982年5月 - 当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルを装着。ドライバーは、柳田春人。
エンジンは直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T型(2082cc 570ps/7,600rpm、55kgm/6,400rpm)を搭載する。この車両は当初シルビアの兄弟車ガゼールのカウルを装着していた。この個体は近年レストアを受け、現在は座間事業所内にある日産座間記念車庫に保管されている。 - モンスター田嶋が全日本ダートトライアルにFJ20Eを搭載した車両で参戦していた。
- 主な戦歴
- 1982年5月 - 「富士GCシリーズ第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞
- 1982年5月 - 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞
- 1982年10月 - 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)ドライバーは長谷見昌弘/星野一義。
- 1982年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞
- 1983年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝
- 1983年 - 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得
- 営業車モデル
営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産されていた。その理由に、
- FFでは、FRより最小回転半径が大きく、(タクシー業界で重視される)小回り性能で不利である。
- 技術的にはFFで問題なかったが、マニュアルトランスミッション車のクラッチ板交換の際に「エンジンを下ろさなければ整備できないなど整備性の悪さ」がハイヤー・タクシー業界で難色を示された[注釈 19]。
- 熟成されつくしたFRは、車両や部品の耐久性の面で当時は発展途上にあったFFよりも信頼性が高かった。
- FFはFRに比べステアリングホイールへの反力や操舵力自体がやや大きいこと、登り勾配やフル積載では発進時のクラッチ操作がシビアとなることなどから、乗務員の負担が若干大きい。
以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。
- 1984年1月 - 一部改良。デラックス仕様を廃止、LPG車に5速フロアMT追加。1983年の日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型系と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置も左側から右側に移動されている。
- 1985年3月 - 一部改良。LPGエンジン車はリアサスペンションの耐久性向上とLPGボンベ容量が71Lから99Lに増大のためにリーフリジッド(E-PC910型)へ変更[注釈 20]
- 1986年
- 1月 - 一部改良。3速コラムMTを廃止し、4速コラムMT新設。
- 8月 - 一部改良。駐車灯廃止およびリヤ中央席にシートベルト追加。
- 12月 - 一部改良。左右非対称のアンシンメトリーミラーと積雪地対策のショートエプロンをオプション設定。
- 1987年10月 - マイナーチェンジ。生産工場が追浜工場から日産車体平塚工場へ移管され、ステアリングホイールの形状変更[注釈 21]、メーターパネルをタコグラフ取り付け対応に、SSS系と同一デザインのフロントグリル(通称・ハニカムグリル)と後期型SSS系と同一のリアコンビネーションランプに変更。ディーゼルエンジンはLD20・II型に換装。
- 1989年
- 3月 - 一部改良。AT車にシフトロック追加。
- 7月 - 一部改良。LPG車にLPガス緊急遮断装置採用。
- 1990年4月 - 一部改良。コラムMT車にパワーステアリング及び全車にサンクスパワーウィンドウ(運転席及びリヤ左側がパワーウィンドウ)をそれぞれオプション設定。
- 1991年10月 - ディーゼル車生産終了。
- 1993年7月 - クルーの販売開始に伴い、営業車モデル(タクシー用)の販売を終了。
注釈
- ^ U13型のマイナーチェンジ時のキャッチコピーは「すこぶるしっかり新型ブル」であった。
- ^ 310型系セダンはテールランプの形状から、「柿の種」の愛称があった。
- ^ 当時のメインユーザーであったタクシー業界からの定員増加の要請による。タクシー需要への考慮は、トランクスペースを極力広く取った設計にも現れていた。
- ^ ビートルは1954年モデルから1200cc エンジンは30HPとなり、公称最高速度112km/h=70マイル/hであった。1961年には34HPに強化される。
- ^ 1200cc のP311型は最高速度115km/hを公称、定員乗車でも緩い坂を100km/h登坂可能とされた。
- ^ このときの記録がダットサンチームマネージャーの笠原剛造により「栄光の5000km」(後に「栄光への5000km」に改題)として出版されベストセラーとなり、後に石原裕次郎主演で映画化もされた(但し映画に登場するのは510型)。
- ^ 三角窓のないデザインは元々C30型系ローレルで採用される予定であり、ブルーバードの510型系へのモデルチェンジが繰り上げられたことに伴いローレルのデザインを一部流用して仕上げられた。そのため、510ブルーバードとC30ローレルのフロントデザインに類似性が見られる。
- ^ セミトレーリングアーム後輪懸架は、世界的にも当時、メルセデス・ベンツ、BMWなどの限られたモデルで先例があったのみで、この時代の独立懸架のなかでは特に限界時の挙動に優れたものであった。同クラスの日本製乗用車ではいすゞ・ベレットが先行して四輪独立懸架を採用しており(後輪は限界時の挙動変化が急激なダイアゴナル・スイングアクスルで、普遍的成功とはならなかった)、これを知った日産社長の川又克二が「うちではできないのか?」と技術陣にプレッシャーをかけたことが一因であった。もっとも日本興業銀行の出身で技術屋ではない川又の場合、その要求も高性能の追求というよりは、カタログスペックでの商品性向上の方を目論んでいた節がある。
- ^ このグループのみバックランプは中央部に設置(それ以外は内側(ナンバープレート脇))。
- ^ 1973年1月にバイオレットに引き継がれた。
- ^ 個人タクシーの場合は使用実績あり。
- ^ a b グレード名のEはEGI(電子制御のガソリン噴射装置)搭載エンジン車を意味する。
- ^ 当時ブルーバードを販売する日産店からは2000ccクラスの車種設定の要請が出ていたが、日産手持ちの主流エンジンにはこのクラスで適当な乗用車用直列4気筒エンジンがなく、本来なら適切なクラスであった旧プリンス系G型エンジンも、当時は元来の日産派が合併以前の旧プリンス派を冷遇していた社内事情から選択できなかった。やむなく、6気筒で重く嵩張るが一応2000cc級のL20を搭載したものである。
- ^ 直列6気筒エンジン搭載車は1980年9月に登場したレパードが引き継いだ。
- ^ この広告に対しライバル車の7代目コロナではロジャー・ムーアを起用し「スーパーヒーローより愛をこめて」「舞台は主役を待っていた」のキャッチコピーで対抗した。更に初期のTVCMでは、ブルーバードのCM中の沢田を連想させる白スーツの男が噴水に落下するシーンを入れており、BC戦争の激化が表面化していた。
- ^ カーマニア向け雑誌の企画で実際にFJ20Eに換装されたものもあったが、エンジン重量の違いで極端なフロントヘビーとなり、走行性能はかなり不安定になったという。しかし、日産では、さらに格下のB310型系サニーやA10型系バイオレットと同じシャシのS110型系シルビアにFJ20Eエンジンを搭載している。
- ^ 1997年頃まで、ニスモのパーツカタログにダートトライアル用FJ20搭載エンジンマウントが記載され販売されていた。
- ^ 後にADバンの乗用車仕様の名称に採用された。
- ^ 810型、910型、U11型開発主管の石川康雄の談[要出典]。廃車までの走行距離が数十万kmに達するタクシーでは、クラッチ板交換の回数も自家用車に比して格段に多くなる。
- ^ ディーゼルエンジン車は従来通り4リンク式。
- ^ Y30〜Y31前期のセドリック / グロリア営業車仕様のオリジナルと同一のもの。
- ^ U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了まで。
- ^ 1981年7月、当時の石原俊社長の方針で、それまで展開していた「ダットサン」ブランドを廃止して、「日産」ブランドに順次変更する事が発表された。
- ^ ネット値。グロス値で換算するとおよそ160PSになる。
- ^ B14型系サニーがベースとなっている。
- ^ U11型マキシマ(ブルーバードマキシマ)とグレード呼称は同じだが、「LEGRAN」だったU11マキシマに対してU14は「Le Grand」とスペルが異なる。
- ^ ただしホイールインセットはシルビア・180SXが40mm、ブルーバードが45mmと異なる(サイズは同じ15×6J 4-114.3)。
- ^ FF車のみ
- ^ リーンバーン車
- ^ 2001年以降、日本市場では呼称が消滅したが、2013年にオセアニア市場で発表されたパルサーで復活している。
出典
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第9号9ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第57号3ページより。
- ^ “「ダットサン ブルーバード(510型)/DATSUN 510」が「2023日本自動車殿堂 歴史遺産車」に選定”. 日産自動車株式会社 (2023年7月11日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ 沼田亨『新聞広告でたどる60〜70年代の日本車』三樹書房、2007年、7頁。ISBN 978-4-89522-500-7。
- ^ a b c 『モーターファン別冊 ダットサン ブルーバード510のすべて』三栄書房、2013年、57頁。ISBN 978-4-7796-1870-3。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第3号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第11号13ページより。
- ^ ダットサンブルーバードU セダン 2000GTX - 日産ヘリテージ
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第14号7ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第16号9ページより。
- ^ a b c 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p93
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第20号19ページより。
- ^ “ブルーバードワゴン”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ a b デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第55号9ページより。
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- ^ 『ブルーバードに「XEサルーンF」を追加』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1988年2月3日 。2022年9月27日閲覧。
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- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第80号13ページより。
- ^ “東京サンエス株式会社”. www.tsss.co.jp. 2020年7月1日閲覧。
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