日本の染織工芸
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近代以降
明治以降、化学染料の導入とともに、手間のかかる植物染料の使用は急速に衰退していった。明治時代初期、当時の日本政府は化学研究のため舎密局(せいみきょく)という役所を設置したが、早くも明治5年(1872年)には、化学染料の導入のため、フランスのリヨンに舎密局の役人を派遣している。[100]。友禅染などにも化学染料が導入されて、それまでになかった色が出せるようになり、織機もフランス人ジャカールが開発したジャカード織機が使われるようになった。明治時代の末期には天然染料は化学染料に完全に圧された形となっていた[101]。
21世紀の日本では、天然素材、天然染料による染織は、伝統工芸品、無形文化財として命脈を保っており、各地に伝統染織品の展示・普及施設がつくられ、技術の伝承、製品の販売が行われている。また、「草木染」と称して天然素材による染織品製作が続けられている。「草木染」という語は、長野県出身の文学者で染織研究者であった山崎斌(あきら)によって名付けられたもので、昭和5年(1930年)、山崎が東京銀座の資生堂で「草木染手織紬復興展覧会」を開催した時に使用したのが始めとされている[102]。
代表的な織物の産地
- 東北地方
- 関東地方
- 中部地方
- 近畿地方
- 中国・四国地方
- 九州地方
注釈
- ^ 経三枚綾とは、経糸が緯糸2越分浮いて、1越分沈む形を繰り返す。
- ^ 金襴は文緯に金糸を用い、金糸で文様を表した織物。中国では織金という。金糸は金箔を貼った紙を細く裁断して糸としたもの。日本の金襴が金糸のみで文様を表したものを指すのに対し、織金は金糸を用いた織物全般を指す点で意味に相違がある。
- ^ 緞子とは、地を繻子織とし、文様をその裏組織の繻子織で表した織物で、経糸と緯糸に異なる色の糸を用いたものを指す。ただし、名物裂で緞子と称されるものは、必ずしも前述のような組織でなく、経糸と緯糸に異なる色糸を用いたものを指している。
- ^ 印金は、帛面に糊や漆などで金箔を貼って型文様を表したもの。地には羅、紗、綾などが用いられる。
- ^ 武士などが羽織って着たコートのような衣服。
- ^ 練貫とは、経糸に生糸、緯糸に練糸(精錬した絹糸)を用いて織ったもの。
出典
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